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祈り (ルイside)
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人工心肺の稼働音と器具の触れ合う金属音、自らが放つ指示出しの声ばかりが凍りついた部屋の空気を震わせた。
顕微鏡下での血管縫合が一息つくと、器具出しを行う仲間に汗を拭ってもらいながら、手術台の隣のベッドでこんこんと眠る雪夜に目をやった。
煌牙が倒れるなり錯乱状態に陥った雪夜は、落ち着かせようと近づいた生徒会の面々をその鍛え上げられた手業で瞬く間に気絶させてしまった。
殺さないだけの理性が働いてくれたのは不幸中の幸いだったが、これ以上は危険だと判断し、即効性の鎮静剤で眠らせていた。
そして雪夜の覚醒を待つ余裕もなく、煌牙の手術は開始された。
万が一、術中に目覚めた場合のことを考え、雪夜の両手両脚はベットの四肢に拘束済みだ。
このまま眠ったままでいてくれた方がトラブルなく手術を進められる反面、頼むから早く起きてくれと祈らずにはいられない。
薬の量は調整したが、効き方には当然のごとく個人差がある。
もし眠っている間に煌牙に何かあれば、雪夜は正気を保てないだろう。
たとえ何があったとしても、戦う姿をその目に焼きつけ、最期の時をしっかり見守り見送れるか否かは、残された者のその後を大きく左右する。
一刻を争うどうにもならない状況だったとはいえ、鎮静剤で場をしのいだやり方が本当に正しかったのか否か、疑問が残る。
だがあの時、暗殺に長けた雪夜を止められるだけの戦闘員が、ここ桜華にはいなかった。
唯一自分や組織のメンバーならやり合えたが、大事な手術を前に指先の一つでも怪我をすればそれこそ致命傷になりかねない。
医者はいつも、最後には祈ることしかできないのだ。
どれほどの準備を整え最善を尽くしても、これでよかったのかとの後悔や疑問ばかりが残る。
ミス一つ犯さなくとも、指先からこぼれ落ちていく命は多くある。
世界中の医者から見放された患者を闇で救い、多額の報酬を受け取り、古巣の資金源にすることはできても、自分はけして神ではない。
……神ではないのだ。
人の死に多く触れ、今やちょっとやそっとのことでは動じない精神力を身につけはしたが、残していく者と残された者との間に交わされる闇夜の大地に降り注ぐ光の粒子にも似た、美しくも儚く尊い想いに触れるたび、引き裂かれるような痛みを覚えずにはいられない。
できることならこの先も、長く続く未来を。
叶わなくともせめて、やさしくかけがえのない終わりの刻を胸に刻んで欲しい……。
自分はそれを見守り見届ける者だと思っている。
指先からこぼれ落ちていった命の分だけ培われてゆく技術は、次の命のために役立てなければ嘘だ。
もはや何もしてやれない、儚くも勇敢に散っていった魂に、幸あれ。
もし来世があるのなら、今度こそ天寿を全うできるように。
幸せな星のもとに生まれ落ちてくれと、ただひたすらに願った。
そうして送り出した幾多の命の終わりを涙一つこぼすほとなく、あまりに冷静に見つめるせいだろう。
組織に移ってきてからでさえ、陰で氷の貴公子などとふざけた名前で呼ばれているのも知っていた。
血も涙もない冷血漢だとののしられてもかまわなかった。
覚悟を決めて、これからも目の前の道を歩いていく。
今はただ煌牙の命をつなぎ留めることだけに全力を尽くそう。
この手を頼りに、暗く長い道のりを駆け上がってこい。
切り立った崖の上には、おまえの愛して止まない雪夜がいる。
孤独に震えボロボロになりながらも、おまえの帰りを待っている。
おまえじゃなきゃダメなんだ。
あの子にはおまえしかいない……。
それでもなお、自分の死後も生きろと突き放した煌牙は、強い男だと思う。
リューがすべてだった自分がまさかの新しい相手を得たように、生きていればこそ新たな出会いや気づきがある。
未来は希望だ。
眩しくも尊い輝きに満ちている。
それでもなお、おまえと生きる以上の未来なんて、あの子にはありはしない。
ずっとおまえだけを愛してきた。
士郎から二人の絆の深さを伝え聞いていたからこそ、手術室に雪夜を入れることにこだわった。
生きるか死ぬかの瀬戸際で魂をこの世につなぎ止めるものは技術じゃない。
人と人をつなぐ想いなのだと思い知らされたことが何度もある。
負け戦の戦犯は自分でいいが、勝ち戦の栄光は、あくまで想い合う者達の絆の強さであるべきだ。
だから、逝くな。
片脚もがれても、登り切れ。
頂上の縁に手をかけてくれさえすれば、引き上げてやれる。
助けるにはおまえの力が必要なのだと心の中で叫びながら、再び手を動かし始めた。
頭の片隅で人工心肺の作動音や周囲の動きを常に察知しながらも、手術中はいつも平常時とは違う時の流れを生きている気がする。
凝縮した時を生きる。
尊い命の炎がまるで光の帯のように彼方へと続いている。
ほんのわずかでも手元が狂えば光の帯は途切れ、崖下へと真っ逆さま。
震えるほど怖くても。
進むしかない。
気合いを入れ直すと、すべての動脈と静脈を遮断し完全に血流の途絶えた煌牙の心臓を取り出しにかかった。
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