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混乱(煌牙side)
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士郎の呼吸が寝息に変わると、龍之介は黙って立ち上がり室内を動き回った後、再び椅子に腰かけた。
スクリーンから漏れる光と起動音で、パソコンを膝の上で広げていると気づいた瞬間、飛び起きた。
「……てめぇ、人のもん勝手に触んじゃねぇ!」
龍之介が士郎にチラリと視線を送り、眉をひそめた。
「……ソイツが起きンだろーが。オトナしくしてろ」
まるで大人が子供の駄々をあやすような物言いに、屈辱と怒りで、眼裏が焼けた。
常に恐怖の対象として見られてきた人生において、こんな扱いはついぞ受けたことがない。
この男は自分のことなどまったく相手にしていないのだと、改めて思い知らされた気がした。
敵う敵わない以前に、歯向かっていく強い気持ちを失くした惨めな自分に、絶望した。
そうまでして生きたいのか……?
情けない負け犬のままで。
薄闇の中、龍之介がパソコンを操作しながら、ため息をつく。
「スゲェ顔になってンぞ。……ンな、般若みてェな面してっから、死神に取りつかれンだ」
「……バカにしやがって……っ」
握った拳が震えた。
「笑えっつってンだろ」
日本語わかンねェのか、このクソガキが、と龍之介が毒づいた。
「わけわかんねーこと、言ってんじゃねぇ……っ」
ふー、ふー、と自分の呼吸がひどくうるさい。
……笑え?
笑いなど、自分の人生にはついぞ無縁な言葉だ。
もはやそれが何を指すのすら忘れてしまうほどに。
嘲笑ならかろうじて理解できたが、相手を威嚇する方が遥かに容易いと思ったその時、不意に龍之介の周囲の空気が緩み、聞こえてきた笑い声に、ギョッとした。
「……なァんか、オマエ見てっと、昔のルイを思い出すンだよなァ。……当時はアイツも相当、とがってた」
「……誰だ、そりゃ」
「……アホか。主治医の名前くらい、覚えとけ」
龍之介が心底呆れたように、ため息をつく。
そう言えば、そんな名前を名乗られた気もする。
「……知らねェし」
「まァ、いきなり現れた男に命預けろって言われりゃ、戸惑うか」
戸惑いも怒りも情けなさもあった。
だが、ルイと名乗ったあの男の瞳には、命に対する真摯な覚悟が見て取れた。
相手が誰だろうが、命を救うという行為自体に手を抜くことはないだろう。
それだけは不思議と信じることができた。
言葉にせずともその思いを汲んだのか、龍之介がひっそりと笑う。
「オマエの選択は正しいぜ? アイツに救えねェ命なら、そりゃァもう、人の手じゃどうしようもねェ一線を超えちまってるってことだ」
「……他人事だからって、軽く言うな」
「しかたねェよ、他人事だからな」
龍之介がひょいと肩をすくめた。
「てか、死ってヤツとは仲良くし過ぎて、恐怖の対象ってよりかはダチに近い感覚でよ。まァ、仲良くやろうぜ、っつーか何つーか」
何を大層なことを、とは思えなかった。
この男から滲む闇の気配は、確かに死の淵をいくつも超えてきたに違いない凄みに満ちていた。
「他人事なら、ほっとけよ……っ」
じわじわと迫ってくる、この死の恐怖が理解できるのは、自分と同じ境遇に立たされた者だけだ。
やりたいことをやり尽くして結果的に訪れる死と、なすすべもなく呑み込まれる死では、天と地ほども違う。
「そりゃァ、まァ、無理だろーな」
のんびりとした声音に、苛立ちが募る。
「……あぁ!?」
「だってオマエ、目の前でブッ倒れそうなツラさらしてンだもんよ。一応は助けるだろ、寝覚め悪ィし」
軽い声音。
そんな簡単なことではないのは、自分が一番よくわかっていた。
「それでおまえらに、一体何の得がある……?」
ルイと話した時にも思った。
自分を救うのに失敗すれば、強大な相手を敵に回すことになる。
救えたからとて、何の得もありはしない。
単に技術的な修練として切りたいという感じでもなかった。
まったくもって理解できない。
「オマエ、とことんひねくれてンな」
楽しげに龍之介が笑った。
「たまには人の世話になるのも悪かねェだろ? 生きたがってるヤツがいる。助けた側もちょいイイコトした気分になれる。別に恩に着ろとも言わねェし、そうやってつながれてく命があるってだけの話だ」
煙に巻かれた気もすれば、ものすごく深い話をされた気もした。
だが、ひたすらに甘く深い声の響きのせいか、その瞳に宿るどうしようもない哀しみのせいか、不思議なほど反論する気になれず、無言を通した。
「まァ、テメェの命だ。誰に預けるかは、テメェで決めろ。土壇場でやっぱ止めたっつっても、ルイのヤローは怒ンねェよ。そのための準備を寝る間も惜しんでしてたとしても、怒ンねェ。冷たく見えて、案外、人の尊厳ってやつを誰より大事に考えてンだよな」
ニヤニヤと笑う瞳の奥に、無限の信頼が透けて見えた。
「……チッ」
どいつもこいつも、カッコつけやがって。
「……ったく、遠慮なく睨み倒してくンじゃねェよ。まァ、嫌いじゃねェけどな、そーゆー強がりは」
面白がるような視線に、恐怖なのか嫌悪感なのか、叫び出したいほどの爆発的な衝動が、身体中を駆け巡る。
「……独りで必死こいて走ったって、つまンねェだろーが」
「……っ」
不意に響いた、孤独に乾いた声に、胸を突かれた。
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