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過去(雪夜side)
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夢を見ていた。
つらくて、切なくて、無我夢中で駆け抜けてきた。
初めて坊と出会った頃。
母に捨てられ、父には邪魔者扱いされ、この世のどこにも居場所がなかった。
目に映る世界はモノクロで、殴られる恐怖と空腹感ばかりが、深く記憶に刻まれている。
ドンに挨拶するから、ついてこい。
ある日、父がそう言った。
おまえは見た目だけはいいから、気に入られるかもしれないと、そうしたらたらふく美味い飯が食えるのだと、いつになく上機嫌に手を引かれたものだ。
いつまた殴られるかとビクビクしながらついていくと、先にドンに挨拶してくるから大人しくしていろとおいてけぼりにされた庭で、キラキラした男の子に出会った。
ほとんど外に出ることを許されなかった自分にとって、彼と過ごす日々は生まれて初めて味わう、子供らしい遊びの時間だった。
楽しくて……ただ幸せで。
坊……と呼ばれていた彼には、鬼のような父でさえ、不思議と頭が上がらなかった。
甘くておいしいお菓子をもらった。
公園よりも広い庭で、秘密基地を作ったこともある。
池でザリガニを取ったり、木に登ったり、毎日が冒険の連続だった。
この世にこんなにも鮮やかな世界があるのだと、初めて知った。
けれど、ある日を境に、世界は音を立てて崩れて消えた。
ドンと呼ばれるその人の前に、引きずり出された。
畳に頭を押しつけられ、父の失態をひどく詰られた。
何が何だかわからなかった。
父を救いたければ、おまえが償え。
どうしようもない父でも、あれでたった一人の肉身だ。
母に捨てられた痛みが蘇る。
幼い自分にとって独りにされる恐怖は、世界を失うにも等しかった。
選択の余地などなかった。
けれど、父を失う以上につらかったのは、光を奪われたことだ。
もう、煌牙とは会うな。
おまえは弱すぎて、あいつの邪魔にしかならない。
悔しければ強くなれ。
そうすればあれに通じる道を用意してやる。
どうする?
底冷えのするドンの声に震えた。
進むのも引くのも地獄なら、せめて光ある場所を目指したいと、泣きながらすがった。
そして、闇に沈んだ。
それからの日々は、思い出したくもない。
ドンの側近が教育係となり、基本的な体力作りや戦闘術、武器の扱いを教え込まれた。
組の中でも最高幹部しかその存在を知らない、色をもこなす暗殺要員として仕立て上げられるまでに、8年の月日を要した。
敵味方を問わず、ドンに仇なす者を消すのが役目だと教えられた。
はじめて人の命を奪った日。
自分は干からびた人形になったのだと感じた。
道具のように仕込まれ抱かれても、心は冷え切っていくばかりで、不思議と痛みは覚えなかった。
自分と世界の間には常に厚い壁があり、自分ではない何かが罪を犯し、汚れていく。
凍え慄きながらも、自分には過ぎた天上高くに輝く光を、ただひたすらに追いかけた。
いつか父の犯した罪を償えたなら。
坊のために散り、彼の目に映りながら眠ることを許されるだろうか。
坊を想うと、不思議なほど心が揺れた。
甘く切なく、胸の奥が疼く。
誰かに抱かれるたびに、この腕が坊なら……、そう望まずにはいられなかった。
日に日に汚れていく自分。
愛されるはずもない。
それでも、せめてそばに行けたなら。
敵だらけのあの人の盾にくらいはなれるかもしれない。
そしてようやく、そばに行くことが許された日。
絶望的な事実を知らされた。
坊の命は、あとわずかだと。
他に知られるのも面倒だ。
あれは、世間から隔絶された学園に送る。
相変わらず冷たい瞳のドンが言った。
最期を看取りたいかと聞かれ、霞んでいく景色の中、無我夢中で頷いていた。
10年ぶりに、声が枯れるほどに泣いた。
坊が自分よりも先に逝く……?
世界から光が消えることを知らされたその時に誓った。
坊が逝く時は共に逝く。
再び出会った坊は、ひどく凍えた瞳をしていた。
幼い頃の、弾けるような笑顔の面影などなく。
怒りと絶望に固く閉ざされた魂。
死ぬのなら、せめて世界に自分の存在を焼きつけてやるともがく、瀕死の獣。
坊が自分を覚えていなくても、自分はあの日々を忘れない。
できることなら、この心臓をもいで差し出したいけれど、こんな汚れた命は、きっと坊には相応しくないから。
そばにいられれば、それでいい。
あなたの最期の日々が、せめて少しでも安らかであるように。
ただ静かに見守らせてくださいと誓ったはずなのに、……つい欲が出た。
坊の熱に触れられる、これが最初で最後のチャンスだと思ったら、拒めなかった。
坊の熱を口に含んだ。
憎しみと蔑みに満ちた瞳。
首が絞まる。
うっとりと目を閉じた。
坊の手で逝けるのなら。
これ以上の幸せはない、終わらせて欲しいと願った瞬間、喉の奥に熱が勢いよく吐き出された。
むせた身体を蹴りつけられて、必死に吐き出すまいと、身体を丸くした。
坊がくれた、はじめての熱。
愛しくて……哀しくて。
永遠にこの時が続けばいいのにと願った。
けれど、身の程をわきまえなかった罰は、すぐにも下った。
ドンに抱かれたこの身を、知られてしまったのだ。
ドンが自分に夢中だという周囲の認識は、実はまるで正しくない。
同列に置かれたファーストなどの手前、そう認識させておいた方が面倒がなかったに過ぎない。
教育係に抱かせて、それを肴に酒を飲むことはあったが、ドン自分を抱いたのは、ほんの数えるほとだ。
使える駒かどうかを選別するために。
震えるほどの恐怖は魂の奥深くに刻み込まれ、けして逆らうなと、首に巻かれた目には見えないが鎖が締まる音がする。
光に背を向けられた瞬間、それまでギリギリのところで己を支えていた希望が砕けた。
世界が崩壊する音を聞いた気がした。
坊への尽きぬ愛しさと、坊を傷つける自分への、今すぐ抹殺してしまいたいほどの憎しみに染まり、前も後ろも見えなくなる。
会いたい……。
消し去りたい……。
相反する感情に荒れ狂い、泣き続けた。
誰かが自分の名を呼んだ気がした。
もう大丈夫だと抱きしめられた。
それでも、そんなすべてがどうでもいいことのように思えた。
いっそこの身ごと深い海の底に沈めて欲しかった。
二度と浮き上がらない重石をつけて。
朽ち果て、魚の餌になり、巡り巡って、いつかまた、坊……。
あなたに会いたい……。
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