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夜明けから
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奇才 有村一誠(ありむら いっせい) 順風満帆な人生の秘訣。
昨日、発売された同業者向け雑誌にはこんな見出しででかでかと謳っていた。
確かに、俺の人生は世間一般では順風満帆と呼べるものだったかもしれない。
俺は人生に困ったことがなかった。
いやそれは語弊か、人生で苦労という思いを感じたことがなかった。
父の仕事上の関係で多少なりとも裕福な家庭で育ったし、大学も国立に入学、シアトルに編入後飛び級して経営学修士号、いわゆるMBAを駆け足で取得して卒業した。交友関係も当たり障りなかったし、女に事欠いたこともない。
卒業式、父と母は僕に涙を流しながら「こんなにできた息子を持てて私たちは幸せだ、誇りに思っている」といった。「優秀な息子だ」と。
俺の人生は思ったより簡単だった、簡単すぎて何も思わなかった。
父と母、両親が俺の功績をまるで自分のことのように祝福し、涙した姿にはもちろん感動したし、とてもうれしかった。それに嘘はない。
しかし、心にぽっかりと穴が開いてしまったように、達成感というものだろうものが、まるでなかった。
俺の心に虚無感という風穴だけがポツリと口を開けたままだった。
帰国後、俺は就職せずに起業した。
学生のうちにコツコツと株でもうけた資金を元手に、大学時代の友人のツテを借りて、当時は地方中小規模だった雑貨用品店の下請けとして小さな小さなハンドメイド雑貨メーカーを。
すると一年もしないうちに会社が大当たり。
それから数知れないオリジナルヒット商品を生み出し驚異的な速さでどんどん会社を大きくしていった。
4年とそこらで中小企業ではトップレベルと呼べるほどに業績を伸ばし、昨年は不良債権を抱え傾いた老舗家具メーカーをm&aし、家具の業界にまで進出した。
「華麗なる若社長」、だとか「雑貨・家具の世界に舞い降りた革命家」だとか、マスコミにもてはやされることも多くなった。
絵に描いたような成功話だと世間は言う。
なるほど、自分でもそう思った。
こんなとぼけた成功話、俺以外にあまり聞いたこともない。
起業してままない数年間はいくら経営が軌道に乗っているとは言えどもまだまだ先は見えないものだ。
実際、過去に急速に成長した企業の多くは、急速に経営不振に陥る事象が多い。
だから俺は当時さまざまな取引先へ分刻みのスケジュールのもとで東奔西走し、寝る間も惜しまず働いている状況が続いていたのだ。
だがしばらくすれば、会社経営の基本地盤も固まり、部下も成長して以前ほどそんなにあれこれと会社つきっきりで走ったりすることも少なくなった。
なんだつまらない。
人生とはこれほど簡単なものなのか。
人生とはこんなにもつまらないものなのか。
まるで間違い探しだ。
予め答えの書いてある間違え探し。
つまらない。
ある日、一緒に会社を立ち上げた大学院時代からの友人からこんなことを言われた。
「そうだ、お前ピアノでも初めて見ろよ」
いつもいつも厄介にもならない、いやがらせレベルの案件ばかりを持ってくる同僚の話によるとこうだ。
「お前って、顔もよくて何でもできるけど、社長としては何かが足りないんだよな~…………」
「あ、そうだっ! 楽器だっ! お前楽器とかやったことないだろ!!」
「やっぱり社長なんだから楽器の一つや二つ余裕で弾けるようじゃないとな、恰好がつかないからなぁ……」
「大丈夫。お前ならまたすぐできるようになるって」
正直意味はまったく分からない。
別に楽器なんてできなくたって、社長業は十分務まる。ていうか、むしろ楽器と企業は関係ない。
楽器の会社を経営しているならわからなくはないが、うちの商品は家具だ。無関係にもほどがある。
そういっても同僚は「ふざけんじゃねぇ! うちの社員の未来がかかっているんだ!さっさと習いに行ってこい!」とまたもや意味の分からない発言。
とりあえずこうなった同僚は誰の言でも聞く耳を持たないことは知っていたので、暇つぶしくらいにはなるだろうとポジティブに考えることにし仕事の合間や、休日にピアノ教室へ通うことにした。
音楽には興味のかけらもなかったが、ネット経由で自宅から一番近いピアノ教室の体験入学に申し込むと、さして間も置かぬ間に「承りました。あなたのご来店をお待ちしております、道中にはお気をつけてお越しくださいませ」と返信メール。夜も遅い時間なのに随分と早い受け答えで熱心な先生もいるもんだな、なんて感心した。
こんな何気無く始めたピアノが、俺の人生に大きな彩りを与えるだなんてこの時は考えてもいなかった。
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