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ぼくはあなたを起こすだけ
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嵐山准は忙しい。
忙殺されている、という方が正しいほどに。
大学生であり、ボーダー本部所属、A級5位の嵐山隊隊長のアタッカーであり、ボーダーという一組織の“顔”であるのだから、当然と言えば当然だ。学業と、任務・広報の仕事、その両立は人並み外れた努力を嵐山に強いる。
幸いにも彼は限界を知る男なので、けして身体に障る無茶はしない。人間の欲求に抗うことは、あるが。
たとえば。嵐山准という強大なネームバリューに対して浮かぶ色恋沙汰の噂はほぼないに等しい。
たとえば。仕事に逐われ寧日のないときなんかは切り詰めすぎて風間にまで食事に気を遣われる。
しかし、そのなかでもいちばんは、睡眠だ。
ろくすっぽ眠らずに仕事に没頭するせいで、いざ眠ろうとしても頭の芯まで醒めきって、眠りの気配はかけらも訪れない。そんなことはままあった。逆に、寝入ったまま昏々と次の昼や夕まで、ということも。
嵐山准は、限界を知っているがゆえに、その直前まで自分を殉じることができる男なのだった。
×××
(ああ……今日は……少しきつかった……)
町はすでに寝入っていた。それは自らの帰る場所でも同じだった。いつもならかわいらしい出迎えをしてくれる妹弟も柔らかな温もりに包まれているはずだった。
時間さえあれば本部で着替えることもできたのだが、生憎の時間でそうもいかず。結果、今、寝巻きがわりのTシャツとラフなパンツに着替えている。
しん、とした部屋はすっきりとしていて、自分でそうしているにしても寂しさを感じた。慰めるように、カーテンレールに無造作にかけられたハンガーがカラカラと鳴った。
無駄にごちゃごちゃとした隊室にはしないでくださいね、なんて言う後輩もいたが、そんな無駄にものが置かれた空間さえ恋しい。何しろ俺の身体が5つあっても足りないくらい忙しいのだ。その騒がしさとのギャップは激しい。
「くっ……はぁ……」
グッと伸びをすると息を絞り出す。癖になってしまわないようにとため息は控えているのに。
(こんなことではいけないな)
病室からすでに出たはずの、しかしまだ万全の状態ではない後輩を思う。
ただでさえ控えめな白い肌が薄青くなっていた。隊服でない彼の姿を他にも見てみたい、思っていたけれど、こんな形でならまったく望まなかった。望まなかったとも。
自分の寿命の方が縮んでしまうのではないか。そんな思いに駆られた日々はある日を境に一転した。
気を腐らせ、民衆の正義を勝手に背負い、鉄槌の下されるのを血眼で見届けようとする大人たち。激越な口調でたった一人の少年を組伏せようとする。作られた異常な空間で、真摯に、敬虔に、信頼を手繰り寄せた後輩の姿を見た。
なんとかして彼の、三雲くんの力にならなければ。
俺の何を、削ってでも。
大方、三雲くんは笑って「あなたのせいじゃない」というだろう。その通りだ。彼が楔に射たれたとき俺は彼のそばにはいなくてなにもできなかった。彼が会見につれていかれたときそばにいたとしても、なにもできなかったのだ。
なら考えるのは過去でなくこれから。この“顔”を、利用される側から利用する側へまわるだけだ。ボーダーのイメージは三雲くんが容易く覆した。あとはそれを美しく小綺麗に整えるのが俺たちの仕事だ。
ざっくりとした格好で、ぼすりとベッドに沈みこむ。泥のように、体が溶けて行くのを感じる。明日も広報の仕事が待っている。風呂の湯を張らないと。それでも体はいうことを聞かないほど休養を、眠りを欲している。
「帰ったらきっちり骨休めしたほうがいいよ、眠気に抗わずにさ」
防衛任務で鉢合わせた、暗躍を好む同僚が、グラス越しにニヤリと笑っていっていたのを今さら、思いだした。
軽やかな音色が、とけるように浸みるように流れてくる。ゆらゆらとまぶたの裏で光がうるむ。小鳥のオーケストラが眠りの扉をノックした。
爽快なサウンドの存在感が大きくなる、少しずつ。失われた恋の歌が、『君に恋したのに、君は僕を空高く吹き飛ばした』なんてちかちかと。これはなんだろう、たしかこれはそんなに聞かない曲のはずだ。ああ、思い出した、この曲は電話の着信音で、俺は着信音を個別に設定していて。
(そして、相手は)
「――――三雲くんっ?!!」
まるで感電したみたいに飛び起きる。
時間はAM5:30、いつものよりいくらか早い。夢ひとつ見ず眠った体は軽く、すぐに音楽の元の箱を探す。特に苦労することなく伸ばした指先に震えが伝わって、飾り気のない枕元の端末を手に取った。
「……っ嵐山だ!…………三雲くん、かい?」
磨きあげられた画面をスワイプすると、電波の糸が繋がる。
『はい。三雲です。……早くから、すみません。』
気兼ねした声。向こうで汗を流す三雲くんが見えるようだ。すっかり冴えた心持ちでベッドと別れ、クローゼットを引き開けながら返事をする。
「いや、大丈夫だよ。ところでどうしたんだ?」
『…その、木虎が』
「木虎?」
うちの隊員は他の隊員に……殊に三雲くんに迷惑をかけるような者はいない。となると、なんだ?
『嵐山さんが……今日は定刻通り起きられないだろうから、起こしてあげてくれない、と』
気の回る後輩の少女は、昨日の夕刻に三雲くんに連絡していたらしい。俺の様子を彼女の素晴らしい観察眼で観ていたのか、スケジュールを確認したのかはしらないが。
『…なんでぼくなのかは、わからないんですけど……迷惑じゃありませんでしたか?』
ぱちぱち、と目を瞬かせる。迷惑なんてとんでもない。三雲くんの声で起こされるのなら、きっと寝入るのが何倍も楽しみになる。
もちろん、そんなことは後輩の優しさにつけこむ甘えだとわかっているので、おくびにも出さないが。
「有りがたいよ。身体を整えるのにある程度時間をかけないといけないから…早く起きないといけなかったんだ。」
『そうでしたか……良かったです。その……嵐山さん、このごろお仕事忙しいみたいですけど』
(見ていてくれてたのか。……嬉しいな、頬が緩んでしまいそうだ。でも、心配させるのは本意じゃない)
「少しね。でも問題ないよ。うちの隊員たちは優秀だからね! だから三雲くんは自分の事に集中して………
『あ、あの!!』
……どう、したんだ?」
常に先輩をたてる礼儀正しい後輩代表の彼が、言葉を遮るなんて珍しい。聞き返すとかえってきたのは、恥ずかしそうで、けれど確りと意思をもった答で。
『あした、からも。ぼくに嵐山さんを起こさせて貰えませんか? ぼくはお仕事を直接応援はできませんが、こんなことで力になれるなら、えっと、』
途中からは生まれ持っての遠慮がちなところが出てきてしまったらしい。しりすぼみになってゆく。
『……いえ、おこがましいですね。……忘れてください』
「そんなことはないよ!」
『え、っ』
「すまない、大声を出して。……三雲くんに起こしてもらえるとは、嬉しくてね。…後輩に起こされるのが嬉しいなんて、って…笑わないでくれるかい?」
『わ、わらうわけ、ないじゃないですか!』
「……そうだね。三雲くんは笑わない。……………じゃあ、君さえよければ。」
三雲くんの提案はあまりにも魅力を湛えていて、知らないうちに心のうちの願望を口に出してしまっていたのかもしれない。ひときわ嬉しそうにうなずく彼のいとけなさ、微笑ましさに、聞かれていてもいいか、なんて思ってしまう。
何時に起こしてくれると嬉しいな、と約束を取り付ける。そして笑う。努めて快活に。
少年は、ほんとうにじぶんでもいいのだろうか……などと、ますます小声で言っていた。
(聞こえているぞ三雲くん……)
献上は美徳だが、出会って暫くの俺にまでそれが働くのはいただけないというか、正直、寂しい。幸運なことに俺はそういう複雑な、およそ誰にも聞かせられないもやもやをうまく消化する術は知っていたので、ぐらっと傾きそうな後輩の心の天秤に一石を投じる。
「……それじゃあ、お礼に食事に誘わせてくれないか?」
『えっ、』
「うん、それがいい、三雲くんの話もゆっくり聞きたいしね、三雲くんは、和食と洋食どちらが好きかな?」
『えっ、あっ、その、わ……わしょくです…………』
慌てている様子にほんのりと微笑む。かわいらしいな、と思う。三雲くんの押しへの弱さは把握済みだ。殺人的スケジュールの錆びになりそうな俺への心配と、俺と食事をする時間の楽しみに揺れてくれているのだと、うれしいが。
(贅沢は言わないさ。俺の頼みに頷いてくれるだけで十分だ)
そこから次々と、遊びにいったりの計画をぽんぽん出す。
『嵐山先輩、……楽しみにしていますね。』
「……!! …ああ! 最高のプランを考えておくよ!!」
『ふふ、ぼくも先輩を紹介したい場所を考えておきます。』
こうやって考えているのだけでも実は楽しいが、そんな俺に、三雲くんの天秤は『楽しみ』へと傾いてくれたようだった。
『……だから、ぜったい、無理だけはしないでくださいね。朝の挨拶にもはらはらさせられるのは、心臓に悪いです。』
気遣いが身に染みる。朝からもうお腹一杯だ。かわいい弟妹の呼ぶ声に通話を切った後も、三雲くんの貴重な声が反響していた。
彼のために、死力を尽くすのは言うまでもないけけど、本人を悲しませてしまってはもとも子もないな。
きゅっとネクタイを上げて、家族の待つ部屋へとかけ降りていく。さあ、今日も忙しくなるぞ!
次の日から、嵐山隊の面々や根付の胃を圧迫していた嵐山の無理と、それに付随する遅刻やポカがいっさいなくなり。さらにそのテンションが高く、現場を大いに盛り上げるようになること。
早朝から、まるみのある、鳥が詠うような口調で誰かを起こす修を、彼の母が目撃するようになるのは、また、別の話。
嵐山准は忙しい。毎日過密なスケジュールに追われている。しかし、その眠りは深く、毎日のモーニングコールが、彼の眠りを柔らかく揺り起こしている。
×××××
迅さんは多分見えてた
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