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第三章 帰郷(19)
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俺たちは海岸の停留所から、バスに乗って山の方へ分け入り、俺が指示した、ある停留所で降りた。
そして、そこから10分ほど歩き、小さな町営住宅までやって来た。
その住宅は、塗装がはがれ放題のぼろぼろの屋根と外壁に覆われた、二間ほどの狭い平屋だてが、10軒ほど横に並んだ長屋だった。
俺が生まれた当時から新入居者の募集は停止しており、入居者の引っ越しや死亡により少しずつ空き家が増えていき、俺たち家族が、一番最後までここに残っていた入居者だった。
だから、もう取り壊されているかと思ったのだが、解体費用が惜しまれたのか、未だ当時の姿を留めたまま、かつての住んでいた長屋が今、目の前に存在していた。周囲に人の気配はなく、人知れず、ただ朽ちていくのを待っているといった様子だった。
さっき西野に話した親父の会社の来歴などは、ネットで『嶋田興業』と検索すればいくらでも出てくる、公にもよく知られた逸話だったが、俺は、今まで誰にも話したことのない、これからも誰にもしないと思っていた、もっと個人的な話を、西野にしたいと思っていた。
俺たちは長屋の前を進んで、そのうちのある一軒の前で立ち止まった。
俺は、当時、本当にまともに鍵がかかっていたのかも疑わしい、円筒状のノブのついた、薄い玄関ドアを見つめる。そこにあった表札の名前はなくなっていたが、マジックによる母の手書きだったその文字を、俺は今でもしっかり思い出すことができた。
「今の家に引っ越す、前の前の家がここだった。俺が生まれて、10歳くらいまで過ごした家だよ。
見ての通りで、本当に貧乏だったんだ。
今の親父を見ると、親父には、会社を興して成功するだけの地力もあったんだと思える。でも、家庭の事情で高校も中退して学のなかった親父は、今みたいな隆盛に至るまで、本当に苦労してきた。
俺が小学校にあがるころ、借金の取り立ての人が、この家まで押しかけてきたことがあった。
親父は、俺の目の前で迷うことなく、その人に土下座した。
その人はやくざ映画に出てくるような悪い人じゃなくて、子どもにそんな姿を見せるのを嫌がって、わりとすんなり帰ってくれた。
だから、よけい、親父は人様に土下座しないといけないほど悪いことをしてるんだとショックを受けたよ。
親父のことを恥ずかしいと思って、それから、何年も、親父とろくに口も利かなかったんだ」
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