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よく殴った方も痛いって言うけど、絶対に殴られた方が痛い。口の端を押さえるリカちゃんを見て、そんなことを考えていた。
これが拓海だったら何するんだって怒る。歩だったら無言で殴り返してくるだろう。
でも俺が殴ったのはリカちゃんだ。
「殴り慣れてないから慧君の手、血が出てるよ。大丈夫?」
殴られた自分よりも俺を心配するリカちゃんに無性に腹が立つ。あまりにも反応がないから、もう1発ぐらい殴ってやろうと思った。思ったから手を振り上げる。
今度はいきなりじゃない。俺が手を上げたことは見えているし、リカちゃんなら避けられる。
それなのに、リカちゃんは全く動こうとしなかった。
「また殴るなら今度は反対の手の方がいいと思うよ」
そう言って逆の手で殴りやすいよう顔を動かす。そっと目を瞑った口元は、薄く弧を描いていた。
こんなことをされて、素直に従えるわけない。殴られても平気どころか、わざと殴らせようとしているやつなんて初めてだった。とは言っても、人を殴ったことなんて殆どないんだけど……。
「もういい」
振り上げた手を下ろし、リカちゃんから離れる。
「そう。気が済んだなら寝る?この状況で映画なんて観ても、慧君は頭に入らないだろ」
慧君は……ってことは、リカちゃんは違うんだろう。今俺が観るって言ったら、黙って隣に座って待つんだろう。それがリカちゃんの『普通』だ。
俺にはないリカちゃんの『普通』が冷たい。
「なんで理由聞こうとしねぇの?」
どこまでも冷静なリカちゃんに訊ねる。
「そんなことより、手当したいから手出して」
「そっちの方がどうだっていい!」
「良くない。俺にとっては出て行った鹿賀よりも、慧君の手が傷ついたことの方が心配」
かすり傷がついただけの俺の手は、手当なんて必要ない。それなのにリカちゃんが優先するのは俺だ。
「なんでリカちゃんは、鹿賀に優しくしてやろうと思わないんだよ」
「俺が心配するのも、気にかけるのも、受け入れるのも慧君だけだから」
赤くなった唇で呼ばれる『慧君』がとても重たく感じる。何度も聞いてきた自分の名前のはずなのに、聞き慣れない言葉のように感じる。
何かが痛くて何かが苦しい。
この部屋にいることが苦しくて苦しくて仕方ない。今すぐ逃げたい。
だから俺は逃げる。
「俺、鹿賀のこと探してくるから。寝たきゃ勝手に1人で寝ろよ」
放り投げられたスマホを拾い上げようと、そっちに向かって歩く。
鹿賀からのメッセージに返事をして、合流したら一緒に時間を潰す。リカちゃんが仕事に行ったのを見計らって帰ってきてもいいし、なんなら大学だってサボってやる。
頭の中で考えるのは、この後のことばかりだった。
とにかくこの家から出たかった。何を考えているかわからないリカちゃんから離れたかった。
落ち着いてから話をすれば、リカちゃんの頭も冷えて、全部が解決すると思っていた。
「行かせない」
背後から聞こえた声は近い。すぐ傍から落ちてきたと思ったら、強い力で引き寄せられる。
ふわりと浮いた身体が沈んだのは、さっきまでリカちゃんが座っていたソファだ。まだ残る温もりと煙草の匂い、そして視界を占める真っ黒な瞳。
キスされている、わかった瞬間に俺は拒絶した。リカちゃんの唇を噛んでやった。それは、偶然にも殴った時にできた傷の近くで、思った以上に痕を残す。
赤く滲んだ唇をなぞるリカちゃんの指。ゆっくりと肌から離れたそれは、指先を赤く染めている。
「今日は一段と荒いね、慧君」
「……リカちゃん」
名前を呼ぶと、細い指先を汚す赤が目の前に来た。
「舐めて」
「や……っ…やだ」
「いいから早く舐めろ」
強く言われたとしても嫌で、嫌で嫌で仕方がないから首を振る。するとリカちゃんが手を退けてくれた。
リカちゃんの白い指に赤い血、それを見つめる黒い瞳が揺れて──笑う。
「やっばぁ………」
リカちゃんは笑って我慢して、笑って怒る。そしてそれが最大まで膨れた時、無表情になる。
まるで今、目の前にいるように。
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