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砂利を踏む足音が聞こえ、伏せていた瞼を上げる。その音の元へ顔を向ければ、見えたのは黒いスニーカーだった。
「迷わず来れたんだ?」
訊ねると不満そうな顔を返事代わりに返してきたそいつは、俺の隣に並んで腰を下ろす。黙って手を合わせ、静かに目を閉じた。
「普通は線香ぐらい持ってくるだろ。非常識だな」
「うるさい。人の墓なんて来たの何年振りだと思ってんだ」
「それ関係ないよな。桃はお前にどういう教育してるんだよ」
咎めてくる歩の視線を躱し、そっと手を差し出す。眉を寄せて意味を探るそいつに向かって「煙草」とだけ言えば、渋々ポケットから取り出した。
「兄貴のは?」
「ん?ああ、そこ」
訊ねられた物を指さすと、歩の眉間の皺が深くなった。それもそうだろう、だって開けたばかりの煙草の箱が水浸しなのだから。
「煙草1本じゃ星一は許してくれないかなと思って。まあ、これでも確実に怒ってるだろうな」
「だからって水浸しにする必要あったか?掃除してから置けば良かっただろ」
「こいつの性格なら、掃除は後でいいから先に一服させろって言う。俺はそれを叶えてやったまでだよ」
濡れてしまった箱を持ち上げた歩は、中を確認して諦めたように元に戻した。ため息をついてから俺を見る目は、少し生意気に睨んでくる。
「それで。わざわざ墓参りまで追いかけて来て、歩くんはお兄ちゃんに何の用?」
連絡無精で面倒臭がりの歩が、昨夜から何度も送ってきたメッセージ。電話だと出ないと思ったのか、数分置きに送られてきたそれは、統一して同じ内容だった。
『慧が捜してる。どこにいんの?』と。たったそれだけを送り続けてきた弟に、俺が返事をしたのは今朝早く。まさか起きているとは思わず、即座に返ってきた返事に驚いたのは秘密だ。
「とりあえず帰るか。歩もバイトがあるんだろ?」
何も言わない歩を放って、手桶に残った水を流す。もうすぐ消えてしまいそうな線香はそのままに踵を返すと、背後の歩がやっと口を開いた。
「帰るってどこに帰んの?」
質問のように聞こえるそれが、実は懇願だと気づけるのは兄弟の特権かもしれない。欲しい答えを口にする。
「そんなの家に帰るに決まってるだろ。元々、頭を冷やすために一時的に出ただけだし」
「だったら連絡ぐらいしてやれよ。どれだけお前のこと気にしてると思ってんだよ」
隣に並んだ歩が腕を小突く。俺を追い抜いた後頭部には寝ぐせの跡がはっきりと残っていて、思わず笑ってしまった。
「なんだよ」
「いや?急いで起きて来たんだなと思って」
朝に弱い歩が、学校以外でこんな時間に出歩くことはまずない。歩が行動を開始するのは早くて昼過ぎからで、下手をしたら夕方まで寝ていることも多いからだ。
零れた笑みを馬鹿にされたと勘違いしたのか、歩の手が頭に移動した。勢いよく叩かれ、一瞬だけ視界が眩む。
寝不足で鈍痛の続いている頭があげたのは悲鳴だ。
「──っつ」
思わず寄った眉。それに隣の足音が止まった。
「そんなに強く叩いてないはずなんだけど」
「ちょっと頭痛がね……我慢できる程度だから平気」
首を傾げる仕草に返すものは、曖昧な愛想笑いしかない。俺はそうするしか知らない。
使い慣れた笑顔で答えると、こちらを向いていた瞳が興味を失くした色に変わった。
こうして、いつしか痛みには慣れる。それが当たり前になれば人は痛いことさえ忘れてしまう。
同じように嘘にも慣れる。嘘をつくことも重ね続けることにも慣れる。
慣れては駄目だと気づいた時には遅い。
「歩は不器用だけど器用だよな」
霊園を抜けたところで話しかけると、僅かにこちらを見上げる瞳に疑問が浮かんだ。
「あ?いきなり意味わかんねぇこと言ってないで帰るぞ。俺は帰って寝る」
「器用と言うか、優しさの使い分けが上手い」
ポン、と撫でた髪は繰り返す染髪で少し痛んでいた。
「ちゃんと手入れしないと将来困るよ」
「母さんと同じこと言ってんじゃねぇよウザい」
文句を聞きながら車に向かい、運転席の扉に手をかける。ロックを解除したところで、いつもなら後ろに陣取る弟は、なぜか俺の傍にいた。
「なに?」
「……俺が運転する。頭、本当は結構痛いんだろ」
俺の身体を押し退け、車に乗りこもうとする歩。その不器用な台詞と器用な行動に、苦笑いが出てしまうのは仕方のないことだ。
「どっち乗んの?前か後ろ」
「あー……後ろにする」
「うっざ」
やっぱり隣に誰か座っているのは慣れなくて、選んだ後部座席。ソファや椅子の時なら薄まる違和感も、車となれば我慢できない。気遣ってくれる弟でさえ窮屈に感じる自分自身を不愉快だと思った。
乗りこんだ後部座席から見える景色は、いつも自分が見ているものとは少し違う。何かを意識することなく眺めていると、前から「なあ」と話しかけてくる声が聞こえる。
「なに?」
応えれば僅かな躊躇いの後、小さな声で歩は聞いてきた。
「結構ヤバい感じ?」
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