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前を向き運転するその顔は見えない。けれど、なんとなく歩がどんな表情をしているかはわかる。
「こういう時って、普通は大丈夫かって聞かないか?」
揶揄する口調を入り混ぜると、歩の後頭部が微かに揺れた。それを追って舌打ちが聞こえる。
「大丈夫かって聞いたら、兄貴は大丈夫だって答えるだろ。俺と慧を一緒にすんな」
「歩はわかってないね。慧君なら大丈夫かって聞くんじゃなくて、怒るんだよ」
「ああ……あいつらしい。マジで自己中だからな」
スムーズに走る車の中で淡々と会話は続く。口数の多くない歩が率先して話しかけてくる様子は、なんだか新鮮で慣れない。
ここに来るまでに必死に考えたであろうことがわかり、そこには歩の成長を感じた。
安定した運転をしながら後ろの俺を気遣う歩が、信号待ちでブレーキをかけ、細く息を吐く。
「少しは慣れたけど、知らない道を運転すんのは疲れる」
そう言った証拠に歩の手はハンドルから離れることはない。ずっと握りしめたまま、前だけを見つめ続ける。
「お前はその髪色に反して安全運転だもんな」
「髪と運転は関係ねぇだろ。俺はお前と違って常識人なんだよ」
チッと舌をうった歩は煙草を取り出したが、ちょうど青信号に変わって火を点ける時間はなかった。仕方なく後ろから点けてやると、葉の燃える匂いが車内に漂う。
自分の時は感じないのに、他人のものだと煙たく感じるのは不思議だ。
「煙草って臭いよな」
「あ?お前も吸ってんのに何言ってんの?」
「身体に悪いってわかってても、簡単にはやめられないから質が悪いし。桃がやめろって言ったらどうする?」
「やめない」
即答するところが歩らしい。それが本音かどうかは別として、言い切ってしまう潔さに感嘆の拍手を送ると、目を眇めた歩がバックミラーに映る。
「どうせお前は慧がやめろって言ったらやめるんだろ?」
当たり前の質問に返すのは肯定しかない。
「当然。俺は慧君のものなんだから、決定権は慧君にある。煙草をやめろって言われればやめるし、優しくしろって言われたら優しくする」
まるで、「何を言ってるんだ」と言わんばかりの歩が首を傾げた。きっと聞き返してきたいのだろうけれど、大きな交差点に差し掛かり運転に集中してそれどころじゃなくなってしまう。
こうして言わなくてもいいことを言うのは、優しい弟へのご褒美のようなものかもしれない。もしかしたら、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「ただ……どんなことにも限界はある。無限のものなんて、この世には存在しない」
独り言だと思ったのか、歩は何も返事をしなかった。別に何かを返してほしかったわけではないから、それを咎めたりはしない。ただ流れていく景色を眺めて、どんどんマンションに近づくにつれて身体が重たくなる。
自分らしく在りつつも、求められるものに応えたい。圧し掛かってくる重みに耐えきれるのかは、正直わからない。
目的地についた車は、静かに役目を終える。次の出番まで決められた場所で待ち、じっと孤独に耐える。後はエレベーターに乗って、廊下を進んで玄関の扉を開けるだけ。
簡単な一連の流れを虚ろに考えていると、車のロックをかけた歩がキーを俺に寄越す。うっかり意識を飛ばしていた自分を失笑して、それを受け取った。
「あゆ君、安全運転ご苦労様。お前、駐車はまだまだ下手だな」
「うっせぇ……それより、家か桃さんの家のどっち?」
この期に及んでまだ訊ねてくる弟の頭を撫で、先に歩き出す。後ろから何か言いたげな雰囲気が伝わってきても、気づかないふりをする。すぐにやって来たエレベーターに乗りこみ、ボタンを押した俺に歩が問いかけてきた。
「大丈夫か?」
「…………今度はそっちで聞くんだ?」
ヘラッと笑うと歩は顔を背けてしまった。その可愛くない反応を、可愛いと思う自分もまた、ウサギ達の言う『ブラコン』なのかもしれない。
「俺は約束は守る男なんだよ」
「約束?それって慧によく言ってる、嘘はつかないってやつ?」
「いや、残念ながら今回は慧君じゃないんだよなぁ……」
到着を告げるサインが鳴り、目の前の扉が開く。今度も先に動いたのは俺だった。桃の家を通り過ぎて自分の家の玄関の前に立つ。心の中でカウントダウンをして、唱え終えたと同時にインターホンを押した。
勢いよく開いた扉。期待と驚きでいっぱいの顔が、安心したように緩んだ。
「ただいま、慧君」
真っ先に迎えにきてくれた慧君に告げ、その後ろへと視線を移す。廊下の先でこちらを窺う黒い瞳には『不安』しかなかった。
「鹿賀もただいま」
まさか自分にまでかけられると思っていなかったのか、鹿賀が目を見開いて驚く。すぐ近くにいるウサギも同様に戸惑っていて、俺からは苦笑が漏れた。
「そんなに驚かなくても約束は守るから。この様子だと、まだ無理だったんだろ?」
小さく頷いた後に鹿賀が見つめたのは、俺ではなくウサギだった。
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