アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
166
-
自分を見下ろす影の正体がそいつだと思えなくて瞬きを繰り返す。ゆっくりと落ちてくる体重が心まで重くして、余計に逃げられなくなる。
「なあ、慧」
俺を呼ぶ声は幸のもので間違いない。いつもは変な呼び方するなと怒っていたのに、初めてまともに呼ばれた名前が、どうしてこんな状況なんだろう。
「俺は男も女も、誰も特別扱いせんつもりやった。実際、ウサマルに会うまではそうやって過ごしてきた」
「さ……ち」
「そんな俺を変えたんはウサマルやろ?他は近づけへんのに、俺には笑って話しかけてくれる。他の名前は覚えてへんのに、俺のは初日で覚えてくれた」
違うけど違わない。幸が言う通り、俺は幸以外のやつの名前を知らない。歩以外なら幸にしか話しかけないし、幸じゃなければ逃げることもある。
でも……だからって、俺はこんな展開望んでない。
「幸、冗談はここまでにしろって」
押し返そうと伸ばした手が小刻みに震えた。
「冗談?冗談で男が男押し倒すと思う?いくら俺でも、こんな事して元の関係に戻れるとは思ってへん」
「もうやめろ。……俺は幸を失いたくない。だからっ」
眠たそうな顔をして隣に座る幸。肝心なことははぐらかす幸。冗談のような嘘で、本音を隠す幸。
みんなに優しく、友達が多い。それなのに連絡先は教えなくて、プライベートは誰にも見せない。
この部屋にだって人を入れることはないんだろう。幸だけの空間、幸が幸で過ごせる唯一の空間。
そこに2度も入って、しかも押し倒されている。幸の過去を知り、幸の秘密に触れた。
「幸」
呼びかけると幸が俺を見る。俺がこの角度から見上げる人はリカちゃんだけだったのに、今そこには幸がいる。
「な?やめとけって。お前と俺は、そんな関係じゃないだろ?」
「……別に関係なんてどうでもいい。友達でも恋人でも、好きな呼び方すればいい。どんな関係でも、おらんくなるなら一緒や」
俺だけが特別な幸。今まで傍にいた全員を失った幸。好きな人も友達も、その大切な人までも失くして傷ついている幸が距離を詰めてくる。幸の赤い髪が、目の前で揺れる。
「なあ、俺のこと可哀想やって思うやろ?優しくしたげたいって、ウサマルなら思ってくれるやろ?」
「お、れは……」
「俺を選べばいい。ウサマルが求めてるもんを、俺があげる」
何も知らなくて、何も見えてなかった俺は幸をたくさん傷つけたはずだ。何気ない言葉を考えもせず言って、たくさん傷つけたはずだ。
俺の何気ない一言が幸を変えたというなら、今のこの状況は俺が引き起こした事なんだろうか。
知らなかったから。何も知らなくてとった行動が、自分を追い込む。
「い、やだ。嫌だ、幸やだ」
やっと言葉にして拒むと、幸の眉が動いた。
「なんでなん?ウサマルは俺のこと優しいって言って、何かあったら俺に頼ってきたやん。今日も素直について来て、俺のこと悪くないって何回も言ってくれたやん」
「それは友達として言っただけでっ」
「ほんまに?俺みたいになれって言ったんちゃうん?」
歩との電話を聞いていた幸がそれを口にする。その瞬間、冷たいものが身体を駆け抜けた。
「俺みたいなんを求めるんじゃなく、俺にすればいいやん。その方がお互いに傷つかんで済む、な?」
幸の言う通りだ。幸みたいなリカちゃんを求めるなら、幸にすればいい。そうすれば言い合うこともないし、何でわかってくれないんだって苛々することもない。
リカちゃんだって理想を押し付けられずに済む。
──慧君の優しさは俺には向かない。
ふと頭の中に声が響いて、目を閉じた。
最後にリカちゃんの笑顔を見たのはいつだろう。きっとそれほど日は経っていないはずなのに、すごく昔に感じる。
思い出せるのは、家を飛び出た時の伏し目がちな表情だけ。あの時の傷ついた顔だけだ。
今もまだ瞼の裏にこびりついている、あの顔が最後だ。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
983 / 1234