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本屋を出て、車を停めた駐車場へと向かう。念のために鹿賀とはしっかりと距離を空け、会話もしなければ視線を合わせたりもしない。
誰も、俺たちが教師と生徒で変な約束を交わしていて、今さっきそれを終えたなんて思わないだろう。目に見えないものを人は判断材料としない。自分の見えるものを重視して結論を出す。
たとえそれが間違っていたとしても、悪い事ではない。けれど知らなかったは許されない。
そのことを1番知ってほしい相手の顔が頭をちらつく。今頃はあの赤毛と一緒にいるのだろうか……鳥飼と離れ、歩と揉めて、俺に怒っている慧が頼れるのはあいつだけだろう。
「先生?車ならここに……」
鹿賀の声が聞こえるけれど、考えることに没頭して聞き取れない。
すごく苛々して、でも慧が1人じゃなくて良かったと思って、それでも相手が自分じゃないことを悔しく思う。
「先生!」
強く引かれた身体がぐらつく。足を踏ん張ってなんとか支えると、俺の腕を引いた鹿賀が必死な顔をしていた。
「何?」
「何って、ちゃんと前見てください。もう少しで轢かれるところだったんですよ!」
言われて見た先には赤い車があって、運転席に座る男と目が合った。視線で咎める男に頭を下げ、止めてくれた鹿賀にも礼を言う。すると、鹿賀は俺ではなく走り去った車を見つめた。
「向こうだってよそ見してたのに。先生だけが謝るなんて、ありえない」
「まあ俺も見てなかったし。こちらも悪いことに変わりないから気にしない」
「本当に怒らないんですね。先生は理不尽な相手にも、自分を傷つけた相手にも怒らない。どれだけ迷惑をかけても、それで大事な人と揉めても怒らない」
少し移動し、後部座席の窓に手を当てた鹿賀が首を傾げる。
「もし僕がこれを割ったら、故意で傷をつけたら怒りますか?」
「当たり前のことを聞くな」
「でも先生は絶対に許してくれる。怒った後に何かあったのかって聞いてくれて、こんな僕の話もちゃんと聞いてくれる。だって先生は優しいから」
運転席側に立つ俺と、助手席側に立つ鹿賀。2人の距離は車1台分開いていて、けれど今までのどの時よりも近いと思った。
無遠慮に近づいて来ようとした時と違い、嫌悪感を感じさせない距離だった。
「この助手席に座れるのも、先生を怒らせるのも、先生を苦しめるのも悲しませるのも兎丸君だけ。先生って想像と違って一途すぎますよね」
「それを言われるのにはもう慣れた。他人にどう思われても、大して気にならない」
「その他人っていうのも、兎丸君以外って意味ですよね?先生は兎丸君にだけは何をされてもいいんですよね?僕が駄目じゃなく、兎丸君以外が駄目だったんですね」
鹿賀が窓から手を離して言う。
「それって一途を通り越して怖いです」
「うん、知ってる」
「でも……それだけ想われてる兎丸君が羨ましい気もします。僕には無理だけど。そんな重たい気持ち向けられたら、怖くて逃げるけど。でも羨ましい。だから」
さっきは堪えた涙が鹿賀の頬を濡らす。つっと伝ってすぐに消えて、でも溜まったままの透明なそれは、今にも溢れそうだった。
「だから、仲直りしてください。僕が言うなって話だけど……兎丸君は僕が原因じゃないって言ってくれたけど、でも痛いです。先生も兎丸君も、2人を見てると心臓が痛い」
胸じゃなく心臓と言った鹿賀に不慣れさを感じた。慣れていないながらも伝えようとする必死さが、やっぱり慧を彷彿とさせる。
「車の鍵開けるから。お前汗凄いよ」
涙の通った跡を拭った鹿賀が頷く。
炎天下に停めてあった車内は嫌になるほど暑くて、全開にしたエアコンが煩い。
早く夏が過ぎて冬になればいいのにと思う。寒いと、あの子は抱きしめることを許してくれる。苦しいって文句を言って、でも離れると寒いだろと怒る。
考えれば考えるほど、本当にワガママだ。
「──早く、早く冬が来たらいいのに」
零れた独り言に、後ろに座った鹿賀が反応した。
「僕そんなに汗かいてますか?と言うか、こんなに暑くても平気な先生がおかしいんですよ」
「お前さ、鳥飼に感化されるのはいいけど、頭の中身だけは維持しろよ。お前の成績が落ちたら、俺が怒られるんだから」
「そうなったら5倍返しで言い負かすくせに。でも怒られて落ち込む先生は見てみたいです」
「もう十分落ち込んでるって。地面にめり込んで、抜け出せなくなりそうな程度にはな」
冗談のような本音に鹿賀が笑い、それを合図に車を出す。
本当に落ち込んでるなんて誰も知らない。
赤信号にすら苛々して、赤いポストなんて見たくもない。フロントガラスに蜂が止まった時には、邪魔で邪魔で仕方なくて、踏みつぶしてやりたいと思ったなんて言えない。
弱音を言えないまま車は走って目的地へと向かう。
久しぶりに実の家を見た鹿賀の様子を窺うと、思った以上に平然としていた。平然とした表情で家を見つめ、平然とした声で言う。
「先生、念のために確認しておきますけど、母さんを説得するからって手は出してないですよね?」
バックミラー越しに俺が睨んだのは、言う必要はないだろう。
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