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今日も今日とて我が家に来た歩に、預かっていたスマホを手渡す。それを受け取る顔は至極不服そうで、何かを言いたげな唇が尖っている。
「何?」
問いかけると、待っていたとばかりに口が動いた。
「人のスマホ使って好き勝手送りまくりやがって。一応、俺でも連絡する相手ぐらいいるんだけど」
「ああ、桃からのメッセージなら読んでないから。興味もない」
「兄貴はそうだろうな。お前は慧が関係してなきゃ、国が滅ぼうが世界が破滅しようが気になんねぇもんな」
「慧君がいない人生に価値はないからね」
当然だと返した俺に向けられたのは、死んだ魚のような目。呆れよりも酷い歩のそれに失笑が出る。
ほとんど充電の残っていないスマホを確認し、ソファに放り投げた歩。バイトが終わって家に来たばかりのその顔は、疲れからか少し翳っていた。
「兄貴、飯」
「用意してあると思っているところ、本当に図太い」
「どうせ今日も泊まるんだし。いいから早く出せよ」
ウサギと鹿賀が出て行って2日。1日目は鳥飼の家に泊まって、今日は大学の……蜂屋とかいう男の家に泊まるらしい。
蜂屋幸、今は思い出すのですら嫌な男の顔を頭に浮かべ、無理に消した。
「ところで慧は幸のところに居て、あの不登校は?」
用意した夕飯をかき込みながら歩が訊ねてくる。その表情はいつもと変わらないけれど、こちらが言う前に聞いてきたところを見ると、かなり気にしているらしいことがわかった。
「鹿賀は今週いっぱい鳥飼の家にいるらしい。ウサギには連絡済みたいだけど、多分気に入らないんだろうな。拗ねてるって言ってたから」
「言ってたって誰が?」
「鹿賀本人が。今の俺は慧君だけじゃなく、鹿賀の保護者でもあるんだから、その辺りはちゃんとしてる」
鹿賀のことを好まない歩が、この台詞に眉を寄せる。けれど何を言うこともなく箸を進め、グラスの水を仰いだ。
一気に空になったそこに新しいものを注いでやると、礼の代わりなのか軽く手を上げた。
「そんなに鹿賀が嫌い?ああ、違うか。ウサギの友達枠が増えるのが嫌なだけか」
「別に。慧が誰と仲良くしようと、俺には関係ない。ただ、俺は限度ってのがあると思」
「俺は好きじゃないけどね。自分の失敗を棚に上げて、物わかりの良いふりをするところ。そのくせ僕が悪いんですって泣いて、可哀想な自分を作っちゃうところとか……見るに耐えない」
ぴたりと歩の箸が止まる。軽く俯いたままの表情は見えない。
「何かに縋らなきゃ生きていけない。口先の約束でも、同情でも、とにかく何でもいいから形が欲しい。それがどれだけ不確かで脆いかなんて、考える余裕すらない」
「兄貴?」
「鹿賀を見ていると、数年前の自分を思い出す。強がって、けど1人は嫌で嘘をついてでも欲しがる。まあ、嘘をつき続ける俺よりは遙かにマシなんだろうけどな」
僅かばかり椅子を軋ませ、立ち上がる。鳴ったその音にようやく顔を上げた歩は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「それって、最初から鹿賀の話じゃねぇだろ。自分の話じゃねぇかよ」
「あ、気づいた?というか、お前ちゃんと鹿賀の名前覚えてたんだな。それなら今度からは名前で呼んでやれよ」
「ごまかすな。自分に似てるから鹿賀を放っておけなくて、だから引き受けたってことか?」
「あゆ君はバカだね。俺がそんなに優しくて慈善的なわけないだろ」
悔しげに睨みつけてくる目に微笑みかけ、玄関へ向かう。背後から出かけるのかと訊ねられ、それに振り返って答える。
「さっき俺が言ったこと聞いてた?今の俺は鹿賀の保護者でもあるんだよ、放置はできないだろ」
「もしかして拓海の家にあいつの様子を見に行くのか?」
頷くと、返ってくるのは見せつけるようなため息。呆れた目でこちらを見た歩が、食器をキッチンへと運ぶ。シンクにそれを置き、目の前までやって来て一言。
「俺、桃さんの家から布団借りてくる。死ぬほど嫌だけど、あの不登校とリビングで寝るの我慢する……死ぬほど嫌だけどな」
「お前何言ってんの?」
「自分がいない状況で、兄貴と鹿賀が一緒にいるなんて慧は嫌がるだろ。そこに俺がいたら少しはマシだろうし、鹿賀がこの家にいる間は俺もここに泊まる」
消えそうな声で言った歩は足音荒くリビングまで戻った。その道すがらも、ソファに座ってからも絶えず首の裏を掻いている。
素直じゃない弟の素直すぎる癖に苦笑しつつも、大きな優しさが伝わってきて嬉しい。
「鹿賀は来週は家に帰らせるよ。俺も土曜日から泊まり込みで夏期講習があるし、いつまでもこんなことは続けられない」
「は?そんなの聞いてないんだけど」
「言ってないからな。まさかあの歩君が、喧嘩中の友達を思って行動するなんて思ってなかったし。あの俺様で無神経な歩君がなぁ」
途端に赤くなる歩の耳。大きな舌打ちの後、勢いよく立ち上がった歩は昨日貸してやった部屋着を掴んだ。ソファの隅に畳んであった服が、一纏めにされる。
「もう風呂入って寝る。あの無駄にデカいベッドで1人で寝るからな。お前は慧君慧君言いながら永遠に起きてろ」
言い捨てて浴室へ逃げ込んだ歩は、わざわざ鍵まで締めてしまった。少しからかっただけなのに、簡単に怒って簡単に拗ねるところは幼いと思う。
まだまだ幼い。けれど、その歩以上に慧は幼い。
だから知ってほしい。誰かを傷つける痛みを。理想と現実は引き離せないことを。
その為に利用できるものは利用してやるつもりだけど。
「……関西弁がトラウマになりそう」
今の慧に必要だとわかってはいても、あの赤毛が邪魔で仕方ないというのが本音だ。
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