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普段ならば1人で出るはずの玄関を歩と2人で出る。後部座席に迷わず乗りこんだ弟は、零れる欠伸を隠そうともせずに連発した。
「眠たいならもっと寝ていたらいいのに。お前、今日は昼からなんだろ?」
本来ならまだ起きる時間ではない歩が、どうして一緒に来ているか。それは家に送らせようという魂胆だ。
たいして遠くもないから別に構わないが、わざわざ睡眠時間を削ってまで車で移動したいものなのだろうか。
「歩いても帰れる距離の為に早起きするなんて、お前も変わったな」
「うるせ。こんな暑い中歩くなんて死ぬ」
「そんなことで死んだら葬儀会社が泣いて喜ぶって」
ほどなくして実家に着くと、ちょうど帰って来たばかりの母さんと遭遇した。やや疲れた表情だったそれが、こちらを見つけて小走りに駆け寄ってくる。
「理佳!」
久しぶりに呼ばれた名前。今ではほとんど聞くことのなくなったそれは、限られた人しか呼ばない。
名前を呼んでくれる人を手放してまで手に入れた生活を、後悔することはない。けれど、寂しくないと言ったら少し嘘かもしれない。
「久しぶり、母さん」
「ゴールデンウィークぶり。元気……ではなさそうね」
顔を合わせれば、嫌でも気づかれてしまうのだろう。心配そうな眼差しと、労わる手が頬に触れる。
「寝てないでしょ。歩は寝言が煩いもんね。相変わらずお兄ちゃんっ子なんだから」
後部座席から降りた歩を咎めた母さんは、視線も同じように歩に向ける。その隙を見計らい、気づかれないように頬に触れた手から逃げた。
あまり良いとは言えない体調の中、直に感じる他人の体温が煩わしいと思う。血が繋がっていたとしても、心が気持ち悪く感じてしまう。
「ここ最近、仕事が立て込んでて。夏休みだからって教師の仕事が減るわけじゃないし……寧ろ余計に増えたぐらい」
「あら、そうなの?」
「明日からは泊まり込みらしい。平日は塾がある生徒の為に土日使っての特別講習と、生徒会の仕事もあるし」
──それに、帰っても1人だし。
心の中で付け加え、苦笑いを返す。すると母さんは目を鋭くし、今度は首に触れた。突然のことに戸惑っていると、数秒して視線よりも鋭い声がかけられる。
「唇も荒れ気味だし肌色も悪い。それに脈も速い……ストレスね。もしかして胃も荒れてるんじゃない?あと、寝不足の頭痛も」
「いや……まあ、いつものことだし大丈夫」
「駄目よ。人は痛みに慣れちゃうんだから。慣れる前に辛いって言わなきゃ」
手を離した母さんは、頭を撫でようとしてやめた。さすがにいい年齢をした男にすべきではないと思ったのか、俺が触れられることを苦手だと気づいたのか定かではない。
けれど、どちらも正しい。だから返事はせずに笑い返すだけだ。
「慧君は元気?」
誰も乗っていない車を覗きこんだ母さんが訊ねてくる。それに笑顔で「元気だ」と答えれば、赤い唇がニッと上がった。
それは懐かしい表情。一緒に住んでいた頃から、あまり干渉してこない人だった母さんが、時たま見せてきた表情。
こういう時の母さんは少し面倒臭いことを知っているから身体を引く。けれど、追いかけてきた手が容赦なく握った。
髪に隠れていた耳を。厚いとは言えない耳たぶを直に摘み、唇を更に釣り上げる。
嫌な予感がして、それは的中した。
勢いよく引っ張られた身体が浮いた感じがして、前のめりになった上半身がハンドルにぶつかる。
態勢を崩しつつも見上げた母さんは、薄い唇を開き、それはそれは楽しそうに言う。
「そんな下手くそな嘘で騙せると思ってんじゃないわよ」
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