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「急に声色が変わったし、口調もゆっくりになった。何でも出来るお兄ちゃんは、嘘をつくのが下手すぎる」
意地の悪い笑みを浮かべ車から離れた母さんは、突っ立っていた歩に荷物を放り投げた。
日頃の教育が身体に沁みついているのか、自分の荷物を捨ててまでそれを受けとめた歩が嫌そうに眉を顰める。
息子を下僕のように従える母さんは強い。
「そういえば、あの研究バカの細菌オタクが来月あたり実家に帰るらしいわよ。理佳は行かないの?」
「行くわけないだろ。俺はもう、あそことは無関係なんだって」
「ふぅん。慧君を連れて行けばいいのに。ついでに歩も連れて行ってくれたら、私も休みとって旅行でも行くのになぁ」
足音もなく母さんがマンションのエントランスへ進む。一切口を開かない歩を連れ、オートロックを開ける前にこちらを振り返った。
「理佳、結構まずい感じ?」
「何が?」
「心の問題。今のあんた、笑顔は引き攣ってるし、妙にピリピリしてるし……それに、母親の私ですら反応しちゃうんでしょ?」
いつかの歩と同じように核心をつこうとする台詞。その時と違うのは、ごまかせない相手ということ。
嘘をつくなら気づかせないように。それが不可能ならば、嘘はつかない。それは自分で決めたことで、絶対に守らないといけないことだ。
伏せた瞼が震えて、吸った息が熱い。慧に言われた言葉と向けられた視線と、去って行った時の姿が蘇ってきて、忘れていた痛みが一気に身体を駆け上る。
「結構やばいよ、もう限界なんて通り越してる。自分で気づくのを待つもどかしさと、何を言われても耐えることって、なかなか難しいなと思う」
自然と垂れた眉に気づいたのか、歩の顔つきが暗くなった。それとは対照的に、母さんは晴れやかな笑顔を浮かべて頷く。
「たくさん経験してもっと良い男になりなさい。母さんの老後は頼んだ」
「そこは歩じゃないんだ?将来有望なのは歩の方だと思うけど」
「それもそうね。同居するなら慧君じゃなくて、桃ちゃんの方が楽しそう」
ゲッと声を上げた歩に母さんが詰め寄り、それから逃げるように歩がマンションへと入っていく。追いかけた母さんはこちらを見ることはなく、やっと1人なれた。
今日から心配してくる歩はいない。問題だらけの鹿賀もいない。
そして、1番会いたい人もいない。
親でさえ触られることを拒絶してしまう今、それはどこか安堵でもあり心苦しくもある。
1人は気楽で気を張らずに済むけれど、1人は寂しい。
色で例えると限りなく黒に近い灰色。ほとんど諦めかけた中で、まだ未練がましく希望を捨てきれない。そんな色。
早く触れてほしい。早く声を聞かせてほしい。
偶然でも間違いでも良いから、どうか名前を呼んで求めてほしい。
けれど本音を言うのなら。何も考えず自分の望みだけを押し通していいのなら。
会いたい。会いたい、会いたい。
──慧に会いたい。
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