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やがて静かに止まった車。もっとブレーキ音を響かせて、騒々しく止まってくれればいいのに。その音に驚いた歩が、俺との喧嘩どころじゃなくなればいいのに。
なんて淡い希望は出だしから挫かれ、支払いを済ませた幸が先に降りる。もちろん、俺は動かない。目だってずっと閉じたままだ。
「ほら、行くでウサマル」
「……やだ。絶対にやだ」
「そんなこと言うても、向こうも時間作って待ってくれてるんやし」
「歩の都合なんてどうでもいい。待っててくれなんて頼んでない」
頑なに拒絶する俺の腕を幸が引っ張り、俺も降りてはたまるかと車のシートにしがみつく。前に座っている運転手が迷惑そうに何かを言ってくるが、もう二度と会わないんだから気にしない。
それでも体格差があれば力の差だってあって当然だ。俺の抵抗も虚しく車から引きずり降ろされ、靴底が小石を踏んで鳴った。
「ウサマル、いい加減に目開けぇや」
「やだ。俺は何も見たくない、何も話したくない」
「今すでに喋ってるやん。目閉じたまま歩けるほど器用ちゃうやろ」
閉じた視界の中でもわかる、幸のため息。瞼を閉ざしても光は遮断できなくて、夏の眩しい日差しが痛い。けれど、遮断できないのは光だけじゃない。
匂いは感じない。目を閉じているから何も見えないし、突っ立っているから何にも触れていない。
それでも、ここがどこかわかってしまった。
耳に届くのは、それほど高くなくて、けれど低くはない音。いつも同じリズムと音程で鳴るその音。
少しだけ懐かしい。昔はそれが聞こえる度、嫌になったり嬉しくなったりした。最後に聞いた時は泣きそうになった鐘の音。
授業の始まりと終わりを告げるその音は、絶対に遮ることはできない。
「……なんで?」
聞こえた鐘の音に目を開けると、目の前には数か月前まで通っていた校舎が見える。眠たいって文句を言いながら歩いた道や、桜が散った後には虫が多い大きな木も何も変わらない。
違うのは、俺が制服を着ていないってことだけ。そして一緒にいるのが歩や拓海ではなく、幸ってことだけ。
「なんで高校?ここ、俺の通ってた高校なんだけど」
「俺、一言も歩に呼び出されたなんて言ってへんで。全部ウサマルの勘違い」
「歩じゃないのか?え、じゃあ……まさか」
黙って自分のスマホを取り出した幸は、俺にも見えるように画面を向ける。確か歩のスマホから連絡がきていたはずなのに、今そこにあるのはリカちゃんの名前。
獅子原理佳という、外見からは想像できない古くて男っぽい名前が浮かんでいた。
「俺をここに呼んだのって……」
目の前に答えがあるくせに訊ねる俺の肩を幸が払う。気づかないうちに付いていた葉っぱが、音もなく地面に落ちた。
「まともに飯も食われへん、寝つきも悪くて死にそうな顔してるウサマルを、俺はどうすることもできへん」
「でも、でもリカちゃんには仕事が」
「言うたやん。俺は俺のできる事をするだけやって。これ以外に俺ができる事はないやろ?」
苦笑した幸の手元にあるスマホに映るのは、リカちゃんの名前で、リカちゃんのスマホから、リカちゃん自身が送ったメッセージ。俺を心配してくれる幸と、俺を心配し続けるリカちゃんが交わしていた会話だ。
「ごめんは相手がおる時しか言われへん。ウサマルにはその相手がおって、心配もしてくれて、こうやって時間作って待ってもくれてる。これ以上の条件が揃うことってあるん?」
「でも、俺はまたリカちゃんを怒らせるかもしれないし……また間違ったことを言うかもしれない」
「そしたら、また謝ればええだけやろ。俺と違ってウサマルにはそれができるやん」
幸にそれを言われたら、俺は何も言い返せない。
黙って立っているだけの俺から数歩離れ、腕を組んだ赤毛は、やっぱり顔だけは整っていて黙っていればモデルみたいだった。
「ほら、いつまでもウジウジしとっても何も変わらんで。ウサマルがウジウジしてる隙に、めっちゃ美人なお姉さんに誘惑されてるかもやで?」
平らな自分の胸を寄せて上げた幸が、上半身を屈めて上目遣いをしてくる。いくら見た目が良くても、そんなことをしたら勿体ないのに。それなのに、俺はこんな幸が好きだ。
優しくて明るくて、本当は頭が良くて気も利いて。けれど人には言えない秘密がある幸が好きだ。
その幸にここまでされたら、俺はもう逃げられない。
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