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29.甘いひと
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リカちゃんは本当に仕事が終わってから寄ったらしく、きっちりとスーツを着込んでいた。車の後部座席には少し膨らんだ仕事鞄に、専用のケースに入ったノートパソコン。
そう言えばふと、リカちゃんのスーツ姿を見るのは久しぶりなことに気づく。いつも俺の方が後に起き、リカちゃんの方が先に帰っているからだ。最近あった休みは拓海と遊びに出かけていたし、その前の休みは何をしていたか忘れた。
たった数日、1週間ほど前の休みですら懐かしく感じる。それほどまでに俺は、リカちゃんのスーツ姿を見慣れていたってことかもしれない。
「なんか……リカちゃんがスーツ着てるの見るの、久しぶりな感じがする」
ストレートにそう言うと、本人は車のギアを入れた後で視線だけを俺に向ける。
「これでも教師だからね。きちんと着てますよ、毎日」
「別にスーツじゃないと駄目ってわけでもないのに。ジャージ姿のやつだっているだろ」
「こらこら慧君。仮にも恩師のことを『やつ』だなんて言わない。それに俺がジャージ着てたら、外から来た部活動のコーチと間違えられそうだろ」
俺が通っていた高校は、部活動にもそこそこ力を入れていたらしい。外部にコーチを頼むことも多く、そのほとんどが20代前半から20代後半の、比較的若い人だった。
「ああ、お前とんでもない童顔だもんな」
何がなく言った一言に、リカちゃんの眉間に皺が寄る。
俺の計算が正しければ、リカちゃんはもう30歳を越えている。
俺たちが出会ってから7年ぐらい。それなりに月日が経っているのに、俺はこいつが老けたと感じたことがない。
あの頃と変わらない外見、体格。性格はあの頃よりも優しくなったような、意地悪になったような……そんな感じだ。
「リカちゃんってさ、本当に年取ってる?俺、いつかお前のこと抜くんじゃないかって不安なんだけど」
「慧君は俺のことを幽霊か宇宙人だとでも?規則正しい生活をしていれば、そこまで劣化はしないよ」
それでもお前は規格外だと思った。けれど俺がそれを言わなかったのは、リカちゃんは幽霊でもなければ宇宙人でもないことを、誰よりも知っているからだ。
幽霊なら車に乗れるわけがないし、宇宙人なら車なんかじゃなく宇宙船だろう。
けれど俺のリカちゃんは車で迎えに来る。自分は朝から働き、会議と残業までしているのに迎えに来てくれる。
その理由は、とても簡単で拍子抜けするぐらいに簡単すぎること。
「リカちゃんってさ、どんだけ俺のこと好きなんだよ」
人を突き動かす理由が感情だとするならば、リカちゃんのそれはかなり偏っている。自分の為には息をすることすら面倒だと笑うぐらいに、実は面倒くさがりな男だからだ。
そんな面倒くさがりなリカちゃんがハンドルを握る。もちろん片手で器用に操作しつつ、残された左手は俺の元へと伸びてくる。
触れる温もり。絡まる指先。溶け合っていく鼓動。
とくん、とくんと一定のリズムながらも少しズレているのは、俺の方がほんの僅か早いから。
その理由は、緊張してるわけでもなく、怖いわけでもない。
心が喜びを感じると、胸はいつもより早く脈打つからだ。
「今、慧君が投げた問いかけは基礎の中の基礎だね。そんなこと考えるまでもない」
「……それじゃあ答えになってない」
「答えなんて最初からないよ。俺の中には兎丸慧以外は存在しない。だから何を聞かれても、全ては兎丸慧の為としか答えられない」
「だから、それだと答えになってないんだって」
リカちゃんの言葉は、いつもなぞなぞみたいだ。答えにたどり着くまでに時間がかかって、俺はモヤモヤする。
そして、今日もこうして急かしてしまう俺を見て、リカちゃんは笑う。その笑顔が学校で見せるものとは全く違うことを、俺は知っている。
「どれだけ好きかの答えなら、生涯の全てを兎丸慧の為に費やすぐらい……かな。慧君と生きる為に呼吸して、慧君を守る為に思考を巡らせて、慧君が幸せになれる為の行動をする。これで期待に応えられたかな?」
リカちゃんが紡ぐ言葉は、1つ1つが重たい。
まるで蜂蜜みたいな甘くて絡みつく言葉で、今日も俺を閉じこめる。
獅子原理佳は黒いスーツがよく似合って、乗ってる車が高くて、仕事ができて家事もできる完璧超人で。けれど頭の中は相当にヤバい。
そして、とてつもなく甘い男だ。
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