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90.裏工作 《side:Rika》
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知りたかったことから、特に知る必要のないこと。使える内容、あまり使えない内容。蛇光さんの癖や交友関係、噂、噂、それから噂。
男の俺では知りえないことまで話し、ここだけの話とやらに花を咲かせた老婆は、一通り終えた後に満足そうにエレベーターに乗り込んだ。
振り返った先にいた桃が呆れ顔で言う。
「まったく。個人情報って言葉を知らないのかしら。あんなに誰彼構わず言いふらされたら、あたしなら怖くて家から出ないわ」
「まあそう言ってやるなよ。それだけ蛇光に不満があるってことなんだから」
「そんなの聞かされても、こっちは困るだけなのに」
「そうか?俺はすごく助かるけどな。じゃなきゃわざわざ無理に時間作って、仕事以外で他人の子供に勉強を教えてやるなんてしない」
「リカはいいわよ。あたしなんて仕事の合間ぬって何度保険会社に行ったか!それから化粧臭いオバサン相手に笑って……被害者づらするオバサンも嫌だし、オロオロして何も言えない息子の方もイライラするし!あぁもう!思い出すだけで気分が悪くなりそう!!」
「ああ、婆さんの息子って口下手なんだな。あれだけよく喋る母親から、口下手な息子が生まれるって不思議だ」
このマンションで最も幅をきかせている老婆を取り込んで、気に入られる為に使えるものは使う。
おそらく、俺が一言「蛇光さんに付きまとわれて困っている」とでも言えば、あの老婆は蛇光を糾弾するだろう。ご自慢のお友達とやらを使って、ここだけの話を『ここだけ』に留めず言いふらす。
でもそれは最後の手段だ。主役の慧がまだ頑張っているうちは、脇役は見守ることに徹する。
「はぁ……あたし、こういう事をする為に弁護士になったわけじゃないのに」
自分の部屋の鍵を開けながら呟く桃に、微笑みかける。
「お前のおかげで助かってるよ、桃ちゃん」
「わざとらしく呼ばないで。こんなこと豊に知られたら、恥晒しめって締め上げられるわ」
「豊は真面目だから。こういう裏工作に、あいつは良い顔はしないだろうね」
「でも『先生』って肩書きは使えるのよね。誰だって先生が付く相手には弱いもの……ところでリカ」
鍵を回し終え、扉を少し開いたところで掛けられた声は、ふざけなどない真剣なもの。
「あの女。この後どうなるかしら?」
「蛇光さんのことか。まぁ、あの性格なら良くて現状維持、悪くて大暴走かな」
「あたし、その悪いパターンになりそうな予感がするのよ」
「奇遇だな。俺もそう思うし、そうなれば狙いは……」
俺と桃、両方の視線を受ける慧はまだ夢の中。そこでも誰かと戦っているのか、眉を寄せて唸っている。
「ウサギちゃんも大変ね。身勝手な嫉妬でここまで絡まれるなんて」
しみじみと言う桃に、軽く頷いて答える。
「うちの慧君は頑固な上に負けん気は強いからな。あの人の暴走に巻き込まれた慧君がどうするか、考えるだけで目眩がする」
「あら。そこは力技でねじ伏せたりしないのね」
「出来るものならしたいけど、慧君の爆発先は1つしかないだろ。それに、溜め込んでばかりだと、慧自身が苦しいだけだろうし」
嫌そうな顔、呆れた顔、面倒くさそうな顔。今日だけで様々な表情を見せてきた桃が最後に浮かべた顔は、俺を憐れんだ顔だった。
「昔からリカの考えてることは分からなかったけど、今ほど掴めないのは初めて。もしかしたらフラれるかもしれないって分かってて、それでも平気でいられる神経が怖いわ」
「平気なもんか。今日か明日か、それとも明後日か……いつ言われるんだろうって、こっちは不安で仕方ないんだからな」
「それだけ大事にしてるのにね。なんだっけ、リカがフラれる時の決め台詞」
宙を見上げて思い出そうとする桃に、それが浮かぶ前に自ら告げる。
「一緒にいると、どんどん自分が嫌いになる」
大事にしたいのに、すればするほど苦しめる。
守りたいのに、守れば守るほど追い詰める。
眠っている慧が起きたところで、この現状が大きく変わることはない。また同じように急に不安になるだけだ。
「大事にしてるつもりなんだけどな。それなのに慧が敵だと思ってるのは、蛇光じゃなくて俺だから困るよ」
何も言えない桃と何も聞きたくない俺は、言葉を交わすことなく各々の部屋へと戻った。
静まり返った玄関で思うのは、今後のことだ。
日々向けられる慧からの敵視が痛い。なんて言ったら本人は「そんなことしてない」って言うだろう。
けれど知らないのは本人だけだ。みんなに向ける笑顔が、俺に対しては一瞬だけ固まることを。他のやつには楽しそうに近況を話すくせに、俺には言いたがらないことを。
ふとした瞬間に向けられる冷めた視線。俺があれをどれほど怖がっているか、慧君は知らない。
悟られないよう笑って、何事もなかったかのように過ごして、そして1日の終わりに安堵する。眠りにつく前に想像する。
いつ慧君が切り出すかを。それは明日かもしれないし、明後日かもしれないし、1秒先の未来かもしれない。
「リカちゃんと一緒にいると、自分が嫌いになる」
夢の中で慧に何度も言われた言葉が、現実になるのが怖い。
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