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138.本当の待ち伏せ
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桃を一瞥した俺は窓を少しだけ開き、取り出した煙草に火をつける。今朝起きてから初めて香る、慣れ親しんだ煙の匂いと味。早く家を出たくて後回しにしたそれが、身体の中を巡る。
面倒な女を遠ざけて気は軽くなったはずなのに、なんだか味気ない。昨夜の慧との諍いを慰めるには、こんなものじゃ足りないのは当然だ。
それでも気を紛らわせるために、ゆっくりと紫煙を吸い込む。
肺を膨らませたものを静かに吐き、こめかみを抑えたと同時に「ちょっと聞きたいんだけど」と再び投げられた声。まだ終わっていないらしい桃からの問いに、俺は前を向いたまま無言で先を促した。
先ほどの俺と同じように、沈黙を肯定とみなした桃が続ける。
「実のところ、リカってあの手のタイプの女は好きでしょ?蛇光さんってリカの元カノたちと同じ匂いがするもの」
視界に入らない場所で、桃がどんな顔をして聞いてきたのかは分からない。けれど声には揶揄する様子は感じられなくて、俺は包み隠さず答えることにした。
「別にあのタイプが好きってわけじゃない。扱いやすくて楽ではあるけどな」
指に挟んでいた煙草を咥えて続ける。
「欲しい物を与えて、行きたい場所に連れて行けば満足する。こちらが別れを匂わせれば、プライドが高いから向こうが先に切り出してくれる。そうすれば後腐れもない」
「なるほど。甘んじてフラれ役を受け入れるのね」
「俺からの最後のプレゼントは、偽物の優越感ってわけだな」
「あらやだ。リカってクズに加えてお腹が真っ黒で怖いわ。そう言えば蛇光さんみたいな人って、確かマウンティング女子ってヤツよね。女子のカテゴリーに入れるかどうかは、怪しいところだけど……っと、失礼」
後ろから身を乗り出した桃が、俺の咥えていた煙草を取り上げた。
「桃。走ってる時に動くと危ないだろ」
「やぁね。これぐらいでどうにかなる程度の技術なら、今すぐ免許を返納してきなさい」
「お前は何様だよ」
「ふふ。いいじゃない。本当はあたしだって彼女に色々と言いたいことがあったのよ?それを全部あんたに譲ってあげたんだから、これはその腹いせ」
俺から奪った煙草を咥えた桃が、自分の方の窓を開ける。入ってきた風に揺られた桃の髪から匂いが漂い、それは桃のこだわりの良い匂いのはずなのに、かなりの違和感があった。
それもそのはずだ。なぜなら、俺が求めているのは愛好している煙草の香りでもなければ、桃の高価なそれでもない。
例えば少しくたびれた普段着の匂いや、野菜の味を消す為にかけたケチャップの香り。俺に隠れてこっそり食べたであろう、チョコレートの甘ったるさも。
──毎日のありふれた全てが愛おしく、そして恋しい。
好き嫌いするなと注意したら、慧は拗ねて口をきかなくなる。お菓子ばかりは身体に悪いと言えば、慧は「身体に悪くても心には良い!」と意味の分からない言い訳をする。
俺が欲しいのは、人前では出さない面も含めて、本当の意味での『慧の全て』だ。
決して良いところばかりではないし、ずぼらで人間くさくもある。けれど、俺はそんな等身大の姿が好きで、いつもそれを求めている。なのに、ちっとも上手く伝えることが出来ない。
ああ、自分が情けない。
「リカ?どうしたの、急に黙り込んで」
考え込んでいた意識が、桃の声で突如跳ねる。顔を上げてミラーを覗けば、そこには小首を傾げる友人の姿があった。
「ああ、悪い。ちょっと考え事をしてた。とにかく、俺はもう自分から蛇光に何か言うつもりはない。もちろん、慧に手出ししなければ、だけど」
「これでリカがダメだったから、次はウサギちゃん……ってなったら、それこそ強者よね。表彰台に乗れちゃうんじゃない?」
「それなら俺は、その表彰台を爆破してやるけどな。何の表彰かは知らないけど、蛇光ごとぶっ飛ばす」
「やめてよ。いくらあたしが有能でも、爆破テロの弁護は無理よ」
桃とくだらない話をしながら、車はやがて交差点へとたどり着いた。本来なら左に曲がるはずの道を、俺はあえて反対方向の右へとハンドルをきる。
「蛇光の話はもういいとして。桃の要件は?」
目的地から離れていく俺を咎めない桃を振り返り、俺は訊ねた。
「わざわざ朝早くに俺を待ち伏せしてたのは、蛇光だけじゃなくお前もだろ」
あまりにもタイミング良く現れた桃。俺は、あれを偶然だなんて初めから思ってなんかいない。
先に俺を待ち伏せていたのは、蛇光ではなく桃太郎だ。
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