アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
634
-
*
「お帰り…って言ってもこの前会ったばかりか」
玄関の戸を開けてくれた兄さんにケーキの箱を渡す。
「これ土産」
「土産って…慧が?」
「父さん甘いの好きだって言ってたし……あの人の分もあるから」
早口で言った俺に恒兄ちゃんは驚き瞬きを繰り返す。
チャイムを押すその瞬間まで本当は悩んでたんだけど…
でももう引き返さない。俺は1秒でも早くアイツの元に帰りたい。
「俺、会うよあの人に。
でもそれはあの人の為なんかじゃないから」
頷いた恒兄ちゃんが2階への階段を指さした。それに頷いて俺は向かう。2階にあるのは書斎に恒兄ちゃんの部屋に、俺が使ってた部屋…そして残る1つ。
その扉をノックする。
「はい」
返ってきた声を聞いても何も思わない。悲しいとも辛いとも思わない自分に驚いた。
「…俺だけど。入ってもいい?」
あの人は今の俺の声を知らない。あの人の記憶にあるのは小さい頃の俺で、こんな言い方で伝わるのか不安になった。
「俺………慧だけど」
待てなくて返事を待たずに扉を開ける。
星兄ちゃんの部屋だった場所。誰も使ってなかったはずなのに綺麗に掃除されていた部屋の奥、窓辺。
そこに置かれているベッドに座っていた女が俺を見た。
「慧」
最後に見た時よりも髪が伸びてて皺が増えてる。それが離れていた年月の長さを語っていた。
なんて話せばいいのか、どう声をかけていいのかわからない。何も話したくないし聞きたくない。その姿を見たくもない。
このまま出て行きたい気持ちになる俺にその女は声をかけてきた。
「星一にも恒二にも似てないのね。でも写真で見た時よりもいい顔をしてる」
「……写真ってなに」
「獅子原君が病院に来てくれる度に写真をくれたの。最初は中学の卒業式の写真、その次が高校の入学式で次が旅行に行った時のだって言ってた」
あなたいつも同じ友達といるのねってその女が笑う。
同じ友達っていうのは、きっと拓海と歩だろう。2人なら俺の写真を持ってても変じゃないし、リカちゃんがそれを手に入れるのも簡単だ。
「写真と一緒に慧の話をしてくれたんだけどね、いつも途中で終わるの。続きはって聞いたらまた明日って言われちゃう」
その女は俺が聞いてもいないのにベラベラ喋る。
「そうやって言われたら気になって明日が楽しみになる。明日なんて来なくていいって思ってたのが嘘みたい」
「なんで明日が来ない方がいいんだよ」
俺が聞けばその女は……母さんは口元だけで笑った。
「だって明日が来たらまた生徒達に会わなきゃいけない。せっかく1日耐えたのにまた始まるじゃない」
『自分の生徒に嫌がらせされてたんだよ』
リカちゃんが教えてくれた本当。
「また今度、また明日…それを楽しみに思えたのなんて何年ぶりかわからない」
そう言って髪を耳にかけた母さんの手は、驚くほど細かった。
細くて白くて、俺の頭を撫でてくれたあの手とは全然違っていた。
「慧、中においで」
俺の名前を呼ぶ声も
「本当に大きくなったね」
そう言って笑う顔も
「本当に…大きくなった」
最後に見た母さんとは違い過ぎてて…俺はこの人は誰だろうってぼんやり考えていた。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
634 / 1234