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「そんなに悔しいですか?自分が置いて行った子を他の男に取られるのが」
「私はただ…」
「置いて逃げたくせに」
どんな事情があろうとこの人が逃げたことに変わりはない。自分のすべきことから逃げて周りに全て押し付けて、そして辛くなって戻ってきたなんて甘えてるとしか思えない。
「可愛いでしょう、うちの慧君。嫌だ嫌だって言いながらも俺が言った通り会いに来るところとか」
彼女はシーツを掴んで黙る。
「まさかアイツが会いたいと思って来たと勘違いしてました?残念ですけどアイツが会いたいのはあなたなんかじゃなく俺ですよ」
俯く彼女を見て毒気が抜けた。こんなに弱ってるヤツを責めるのは性に合わない。
自分の生徒に拒絶され反発されて悩み、それでも星一との約束のために教師を続けて。
理由を付けなきゃ何も出来ないところが、どこか自分と似てると思ってしまった。
シーツを握りしめながら彼女はようやく口を開いた。
「私は自分のしたことを後悔しなかった日はないけれど…もっと上手く出来たのかもしれない」
握りしめる拳には筋が浮かび、細すぎる指が痛々しい。
「教師になってすぐ星一を妊娠してその後恒二も生まれて…やっと復職できたと思ったら今度は慧が出来て。
あの人は仕事ばかりで家の事は私がしなきゃいけない、もう教鞭をふるうことは諦めなきゃいけないって自分に言い聞かせるしかなかった」
「そんなのは言い訳にすぎない」
俺の言葉を無視して彼女は続ける。
「今となっては色々思いつくの。ちゃんと話をすれば良かった、自分のしたいことを訴えれば良かった…けれど、あの時は言い出せなくて、だから」
「星一があなたに出て行けって言ったことは知っています。その辺の話は親父さんに聞きました」
この人に出ていくよう勧めたのは星一だ。仕事ばかりの父親に小さい弟、そして我慢し続ける母親。思い悩む母親を毎日のように見て彼女の背中を押したのは星一だった。
だから慧の父親は無理にこの人を連れ戻しはせず、かと言って見放したりはしなかった。
みんな口に出さずにどこかで繋がってるのが兎丸家だ。
残された弟を必要以上に可愛がり、甘やかしていたのは星一にとって償いだった。だから俺は星一の代わりに彼女を探して星一の代わりにウサギを守ってやるつもりだった…んだけど。
気付けば代わりじゃなく俺がそうしたいと思っていた。代わりなんかじゃ嫌だ。
「星一と獅子原君はとても似てる。勿論見た目じゃなくて中身の話ね」
星一と似てると言われて我に返る。昔から言われてきた言葉を、まさかその母親から言われるとは思わなかった。
「星一は私にまたねとは言わなかった。言ったのは慧だけ」
「星一は自分にも他人にも厳しいやつだったから」
「もし言われてたら私すぐに戻って来ちゃうから。星一なりの優しさね」
そんなこと言われなくてもわかっている。だから何も言わずに彼女を見つめた。
「靴を履いて荷物を持って振り返った時のことを今も覚えてる。いつもの習慣で掃除した玄関に廊下に階段に…その中で笑って見送ってくれたのが慧だった。
早く帰って来てねって言ったあの子の頭を撫でて私は平気で嘘をついた」
嗚咽を隠さず彼女は続ける。
「何の躊躇いもなく家を出たの」
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