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普段と変わらない玄関の扉。本来ならこの先には、いつもと変わらない暗い廊下が繋がる部屋があって、そこには誰もいないはずだった。それなのに、今の俺はこれを開けるのが怖くて仕方ない。
「暑いんだから早く開けてくださいよ」
そんな俺の複雑な心情をぶち壊す、鹿賀の声。一体誰のせいで俺が困っているのか、わかっているくせに偉そうなところが気に食わない。
「わかってる。わかってるから急かすなって」
「自分の家に帰るのに、何を躊躇う必要があるんですか?わかんないな」
「……そのうち嫌でもわかる」
早くしろ、急かすなと言い合うこと数回。いつまでも言い合っていても埒が明かないと腹を括り、差し込んだ鍵をゆっくりと回す。
どれだけ最新の注意をしたところで、ガチャリという音は消えることなく廊下に響いた。
ここで扉を引けば明かりの灯った廊下が見えるだろう。あの時間にリカちゃんが外にいたということは、絶対に俺たちの方が遅く帰ってきたはずだ。
「ほら、鍵開きましたよ」
「うるさい!お前はちょっと黙ってろ」
背後から口煩い鹿賀を振り返り、文句を言い返す。俺なりに声を潜め、家の中にいるリカちゃんに聞こえないよう気をつけたはずだった。
「おかえり」
どうして引いていないはずの扉が動いたんだろうか。もしかしたら、今この瞬間からドアノブを握っただけで開く仕様に変わったんだろうか。
そしてそして、自動的に「おかえり」と言ってくれる機能が搭載されたのだろうか。
その声がリカちゃんの声に似ている気はするけど、きっと俺の気のせいだ。だから大丈夫、小さく頷いて開いた先の空間を見つめる。
「慧君、おかえりって言ったんだけど、お返事は?」
「──ただ、いま」
「よくできました」
その扉は自動ドアでもなく、聞こえたのは無機質な機械音ではなかった。リカちゃんに似ているどころか、リカちゃん本人だ。
俺が開け損ねた扉を、内側からリカちゃんが押し開く。玄関に立つその姿は、すでにスーツから部屋着へと変わっていた。ということは、帰って来て時間が経っているのだろう。
早く中に入れと促され、リカちゃんの脇を通って家へと上がる。靴を脱いだ時に漂ってきた匂いに、俺は首を傾げた。
「リカちゃん、もうシャワー浴びた?」
リカちゃんからは甘い香水の匂いはしなかった。代わりに石鹸の香りが鼻腔をくすぐる。
「ああ、汗かいたから先に済ませた。着替えは用意しておいてやるから、慧君もこのまま入っておいで」
そう言ったリカちゃんが俺から鞄を奪う。そして強引に背中を押され、浴室に続く洗面所へと押し込まれた。その有無を言わさない行動に戸惑いながらも、肩越しに鹿賀を見ればリビングへと向かって行くところだった。
リカちゃんは夕飯は食べたのか聞かない。鹿賀と一緒に飯を食っていた俺を見たのだから、当然だ。だからこそリカちゃんに刃向かうことが怖くて、俺は黙って従った。
別に鹿賀を囮にして時間稼ぎをしようと思ったわけじゃない。断じて違う。
いつもより時間をかけて髪と身体を洗い、いつもなら絶対にしないドライヤーまでして乾かす。本当は寝る前にチョコを食べようと思っていたけど、諦めて歯磨きまで済ませる。
いつもの3倍は時間をかけてリビングに戻ると、ソファに座って煙草を吸うリカちゃんの横顔が見えた。
真っ暗なままのテレビ画面を眺めていたそれが、ゆっくりとこちらを向く。
「髪ちゃんと乾かした?」
「ああ、うん……一応」
質問に答えて部屋を見回す。ソファの上にはリカちゃんがいて、キッチンには誰もいない。テレビの近くにも、部屋の隅にも。
リカちゃんの前を横切ってベランダへと向かい、閉まっていたカーテンを開けた。夏の空はまだ少し明るく、周囲が見えないほどではなかった。そして、そこにも誰もいない。
「リカちゃん、鹿賀は?」
訊ねた俺に、リカちゃんが笑う。
煙草の煙の匂いがする部屋の中で、俺とリカちゃん以外誰もいない。
「鹿賀どこか行ったのか?」
もう1度訊ねるとリカちゃんはやっぱり笑ったままで口を開いた。
「真っ先に聞くのがあいつのこと?」
柔らかい声は出迎えてくれた時と同じだ。リカちゃんは、相変わらず見惚れる顔で俺を見て、聞き惚れる声を奏でる。
「なあ、鹿賀はコンビニにでも行ったのか?」
所在を聞き出そうとする俺にリカちゃんが首を傾げた。
「さあ?」
吸っていた煙草を灰皿でもみ消したリカちゃんが、ふぅ、とため息をつく。
「寝るには早いし、何か映画でも観る?確か慧君、観たかったの録画したって言ってなかったっけ?」
「いや、それより鹿賀が……。あいつ友達いないし、親とも喧嘩してんじゃなかったっけ?行く宛あんの?」
心配するほどの時間ではないけれど、行く先がないだろう鹿賀を心配してしまう。するとリカちゃんは、怖いぐらいの笑顔で俺に答えた。
「そうだっけ?興味ないから覚えてない」
『興味がない』その言葉に嫌な予感がしていると、突然俺のスマホが鳴った。ゲームをした時に音を出したままにしていたそれに、鹿賀の名前が映る。
けれど、その名前はすぐに消えてしまう。
リカちゃんが俺のスマホを床に置いていたクッションに投げたからだ。
裏返しで落下したスマホは、もう何も映さない。
「リカちゃん、さっきの鹿賀なんだけど。あいつ困ってんじゃないの?」
「さあ?」
「リカちゃんってば!」
大きな声で名前を呼んだ俺をリカちゃんは凝視する。じっと見つめ、やっぱり笑って──。
「興味ないから」
やっぱり、そう言った。
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