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リカちゃんだけが使う部屋はリカちゃんらしく整頓されていて、余分な物なんてない。必要最低限の物だけが揃えられた部屋は、その主に似て静かで落ち着いた場所。
そして、力の抜ける場所。
「あいつ……バカじゃねぇの」
その証拠に、リカちゃんしか使わない英語科の科目室は、俺が卒業してから少し変わった。
俺がいつも座っていたソファには、別の誰かがいる。白い塊で、妙にふわふわしていて大きな耳が2つあるそれ。一体いつの間に買ったのか、それとも買っていて隠していたのか、大きなうさぎのぬいぐるみが陣取っている。
それには学校指定のネクタイが巻かれていて、名前も何も書いてないけど断言して間違いない。
「これに巻く為かよ。ネクタイくれなんて言うから、何に使うと思ったら……本当に、バカ」
卒業と同時に欲しいと言われた俺のネクタイは、今ここにある物だろう。俺がしていたネクタイを首に巻いたうさぎが、俺がいつも座っていたソファに座っている。
ここは自分の席だと主張するかのように、堂々と。
「お前の名前、もしかして……もしかしなくても慧?」
ぬいぐるみは当然答えない。でも、きっと多分。いや、絶対に正解に決まっている。だってこの部屋には、驚くほど俺が溢れているからだ。
リカちゃんの机に置かれてあるカレンダーには、いつから大学が夏休みか書かれているし、立てられた教科書に混じって俺の卒業した年の卒業アルバムがある。
こっそり開けた引き出しには伏せられた写真立てがあって、そんなの確認しなくても映っているのは俺だろう。
俺のいない学校で、俺のことを思いながら仕事をしているなんて、かなり頭がおかしい。お前はどこまで俺中心なんだよって聞きたくなるし、やりすぎだろって注意もしたくなる。
誰かに見られたら……なんて考えないのだろうか。見られても上手く言いくるめる自信があるのかもしれない。もしかしたら、ごまかさずに認めるのかもしれない。
どちらにせよ非常識だと思う。
けど、これがリカちゃんの普通でリカちゃんの常識。同じことを俺に求めない、リカちゃんだけの普通だ。
「なんでそんな所に立ってんの?座って待ってればいいのに……って、ああそうか」
いつの間にか戻って来たリカちゃんが、机の傍に突っ立っている俺を見て笑う。
しっかりと内側から鍵をかけ、足早に歩いて来たと思ったら、ソファに座っていたぬいぐるみを丁寧に抱き上げた。
長い指が白い塊に埋もれ、それを優しく撫でる。
「ごめんね、慧ちゃん。俺の最優先は慧君だから、今日はここで我慢な」
ソファから自分の椅子にうさぎを移したリカちゃんは、誰もいなくなったソファに座るよう勧めてくる。俺が腰を下ろした隣にリカちゃんも座り、久しぶりの近い距離に、まずは何から話せばいいかわからない。
わからなくて考えて、でもいい切り出し方が浮かばなくて……とりあえず、今頭の中にあることを言ってしまおうと口を開いた。
「リカちゃん……あのうさぎって、メスなのか?」
どうでもいいことを問いかけた俺に、リカちゃんが少しだけ驚いて破顔した。
「いや、どうだろうね。慧君って呼ぶのは失礼かなと思って慧ちゃんって呼んでるんだけど。お前が男か女かなんて、今まで気にしたことないから考えてもみなかった」
「ああうん……リカちゃんはそういうタイプだよな。あのぬいぐるみだって、見られても平気そうだし」
「見られても?見られるって誰に?」
「誰にって、ここに呼びだした生徒しかいないだろ。だってこの部屋、他の先生たちは使わないんだし」
首を傾げるリカちゃんに俺も同じ仕草を返し、それを見たリカちゃんが、くすくす笑いながら頷く。
「そういうことか。残念だけど、あの子は誰にも会ったことはないよ。慧君が卒業してから、この部屋には誰も来ないし、誰も来させない。呼び出す時は職員室を使ってるからね」
「なんで?だってリカちゃんは職員室嫌いだろ?ここの方が落ち着くっていつも言ってたじゃねぇかよ」
何度呼び出されたかわからない科目室。用事を頼まれることもあれば雑用に使われた時もあるし、ただ顔が見たかったからとか恥ずかしいことを言われたこともある。
そんなリカちゃんだけの城を使わない理由は、すごく簡単なことだった。
「ここに誰か来ちゃったら慧君との思い出が薄れる気がして、なんだか嫌だったから。同じ理由で旧校舎も使ってない……って言ったら、慧君は信じる?」
リカちゃんが顎を上げて言えば、余計に見下ろされた感じになる。そんな体勢で信じるかなんて聞かれても、信じるわけないのに。
それなのに、俺は信じるしかない。
「リカちゃんは俺に嘘をつかないんだろ?それなら、それが答えだろうが」
「ほう、珍しく慧君が素直で驚いた。ほら見て、うさぎの慧ちゃんも目を見開いてるよ」
「あいつは、初めからずっとあの表情だった」
「慧君には慧ちゃんの違いがわからないか……こんなに表情豊かなのに残念。ねぇ、慧ちゃん」
ぬいぐるみに話しかけたリカちゃんが、わざとらしくため息をつく。
ほら、呼び方は違ったけれど、白いうさぎは俺だった。俺のいた場所に座り、俺の身に着けていたネクタイを締め、俺の代わりにリカちゃんと過ごしていた。
慧ちゃんって名前は……正直言って複雑だ。
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