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at Last-1 ≪ side:Rika ≫
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「疲れすぎて今すぐ眠れそう……」
教室での挨拶が終わり、簡単な歓迎会を済ませ英語科の科目室へと戻ってきた。これが新任の教師相手ならば、仕事終わりにみんなで飲み会……となるのだけど、職員室で軽く談笑しただけで終わったそれを『歓迎会』と呼ぶには少し味気ない気もする。
科目室に入ってすぐ、ソファに沈み込んだ慧。ずっと緊張の糸を張り詰めていたのだということを加味しても、いささか隙を見せすぎじゃないだろうか。
まあ、何かあれば……何もなくても守ってやるけれど。今日ぐらいは小言もなく、めいっぱい褒めてやろうと丸い頭に手を伸ばす。
普段とは違う抑え気味の髪に指を通せば、整髪剤のせいであまり指通りは良くない。
「リカちゃん、喉渇いた」
「はいはい。というかさ、朝からずっと一緒にいた俺も同じように疲れてんじゃないか、とか普通は考えないか?」
「体力化け物レベルのお前と俺を一緒にすんな。リカちゃんの普通は普通じゃない」
至極可愛げのないことを言って、早く寄越せと腕を伸ばす。慧が実習に来ると決まってから、教育指導が自分になるよう根回しして用意した『兎丸慧専用の冷蔵庫』からジュースのパックを取り出し、その手に持たせた。
ストローを銜えた瞬間、勢いよく飲み干す慧に瞠目する。そこまで喉が渇いていたのかと、見開いた目でようやく瞬けば、空になったパックを机に放った慧が舌をうった。
たかが挨拶と言えど、コミュニケーション能力に乏しい慧君にとっては重労働だったらしい。
「慧君。そんなに疲れたなら、先に帰る?俺はまだ仕事があるから一緒に帰るのは無理だけど、慧君はもう帰れるだろう?」
本番は明日からだ。慣れない環境で慣れない授業をし、手探りで学んでいく生活。日々レポートに追われ、既存の教師とそれなりに良好な関係を築きつつ2週間の実習生活が始まる。
そんな器用な振る舞いが慧にできるかは目を瞑って、俺はできるだけ過ごしやすい環境を整えてやることしかできない。
甘やかすことは誰にだってできる。泣き言を聞くことも、頑張れと言うことも俺じゃなくてもできる。けれど、見えないところのフォローは俺にしかできない。
君は知らない。
今日、この日を迎える為にどれだけ俺が裏で動いていたかを。
そもそも、実習生が受験生である3年生を担当するのはおかしいと気づかないのだろうか。その上、慧の担当科目は国語で俺は英語。どうして疑問に思わないのだろう。
常日頃から、慧君の為なら魔法ぐらい使ってやると言ってきたけれど。俺が使えるのは、せいぜい取り繕った外面と、多少の荒事のみで。
誰も口出しできないよう、日々、人の何倍も働き、数多の貸しを作り、成果を上げて信頼を得る。教師の鑑と言われたその実態が、まさか1人の教育実習生の為だけの行動だったなんて嘲笑ものだと思う。
俺にそこまでさせる兎丸慧。
今は呑気にスマホを弄りながらジュースを飲み、すぐに外してしまったネクタイをソファの片隅に放り投げ。さっきまで教室で見せていた外面は完全に剥がれ、生意気で少しだらしのない『ウサギ』に戻ってしまった。
ちょっと……甘やかし過ぎたのだろうか。
「慧君、学校にいる間は俺はお前の先生だからな。慧君の実習が上手くいくかどうか、全て俺の手の内にあるってわかってるか?」
もし俺が慧を不適合だと評価したら、この実習は失敗に終わる。教育実習に当てられる単位数は多く、それを落とせば卒業も危ないだろう。
慧が社会人になれば嫌でも環境が変わる。また、言いようのない悩みがやって来るかもしれない。新しい生活に夢中になってしまう慧を、今度こそ閉じ込めてしまうかもしれない。
それならいっそ……この手で閉ざしてしまおうか。
邪な感情を抱きながら両手を広げると、そこに影が落ちた。
昔とは違い、髪を黒く染めた恋人が覗き込んでいた。
「おい、また病みリカになってんじゃねぇよ。リカちゃんってさ、本当に頭ぶっ飛んでるよな」
「……それは褒め言葉だよね、慧君」
「今のが褒め言葉と思うなら、お前の方こそ日本語迷子だ」
ため息をついた慧は、いつの間にソファから移動したのか、窓際に立つ俺の隣に並び、外を眺める。
現実逃避しがちな瞳は、この数年で見違えるほど鋭くなった。良いことと悪いことの両方を受けとめ、傷つきながらも大人になった。
その目が映すのは、陽の沈んだ空に長くなった木の影。誰もいない校庭に、寂しさを感じさせる景色。
それらをぼんやりと眺めていた慧の瞳が、中途半端な位置で止まる。かと思えば、何もない窓ガラスの表面を細い指がなぞる。
「大丈夫だって」
外に視線を向けたまま、慧が口を開いた。
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