アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
64.無意識の罪
-
楽しい時間が過ぎるのは早い。久しぶりの賑やかな晩飯は、いつも以上に食べる量が増えてしまった。
「あー、今日は食べすぎた。苦しくて死にそう……」
完全なる独り言を呟きテレビをつければ、ちょうど良いタイミングでバラエティ番組が始まる。それは俺が学生の時に欠かさず観ていたやつで、今でも録画はしてあるやつ。
けれど最近は観てない。なかなか観る気になれないのは、テレビを観て笑う元気がないから。でも今日は心から楽しめる気がした。
歩とリカちゃんが煙草を吸いにベランダに出て、拓海が電話をしてくると席を外して。1人になった俺は、麦茶を飲みながら画面を見つめる。
「……ちっ。誰だよ、さっきからウザいな」
番組の流れも関係なく、しきりになるマナー音。俺のスマホは目の前にあるし、リカちゃんのそれが鳴ることは滅多にない。
だから、歩のスマホだと思った。誰かから歩に連絡があって、でも歩が出ないから何度も鳴っているのだと思った。
もしかしたら電話の相手は桃ちゃんかも……とも思った。この長さならメッセージだけってことはないから、電話なのは確実だ。
「歩、電話鳴って──」
振り返ったベランダには、自分のスマホをリカちゃんに見せながら笑う歩がいて、じゃあ鳴ってるのは誰の物かなんて子供でもわかる問題で。
振動の発信源はソファの端。クッションの下に隠れていたリカちゃんのスマホだ。
運良くなのか悪くなのか、伏せられた画面じゃ誰からの電話かは見えない。
「……誰だよ、こんな時間に」
もう時計の針が12を越えた深夜だ。こんな時間に電話をかけてくるなんて、よっぽど仲が良いか、よっぽど遠慮がないやつだ。
美馬さん……は、きっと寝てる。桃ちゃんだとしたら、電話するぐらいなら直接話しに来た方が早い。
それなら他に誰がいる?仕事関係の電話か?こんな時間に?
こんな時間に、何をそんなに話さなきゃダメなことがあるんだ?どんな話がしたいんだよ。
俺のリカちゃんと。
俺のリカちゃんに、何を言いたい?何を聞きたい?
もう自分の考えてることがわからなくて、見えない相手に質問をぶつけるけど、もちろん返ってこなくて。そもそも相手が誰かわからないから、どれだけ内容を推理しても無駄でしかない。
そうやって、ぐるぐる悩んでるうちに振動音は止まっていた。激しく鳴った心臓が痛くて胸を押さえれば、そこは驚くぐらい熱かった。
違う。
胸だけじゃなくて全身が熱い。意味もわからず汗が吹き出て、手のひらがしっとりと湿っている。
「──っ?!」
深呼吸のタイミングを見計らったかのように、また鳴り始めたリカちゃんのスマホ。誰からのものかわからないマナー音が、俺を追い詰めていく。
その無機質な音が、いつしか声に変わった。俺の頭の中でスマホが震える音が、ある人の声に変換されていく。
『獅子原さん』
俺には出せないか弱い声。甘ったるい声。女らしい高めの声。それに変わっていく。
「やだ、やだ……いやだ」
触れるのすら恐ろしいリカちゃんのスマホ。俺はそれに向かって、グラスに入っていた麦茶をかけた。考えのない咄嗟の行動だった。
水音が跳ねた瞬間に電話は止まり、部屋にはテレビの音しか聞こえなくなる。けれど俺は、それでも何かが震えている気がした。
「なんで……俺、何して…………嘘だろ?俺、今……俺は何をした?」
それが自分の身体の震えだって気づいたのは、空になったグラスが手から滑り落ちた時。
ソファの片隅は色が変わるほどに濡れ、その中心にはびしょ濡れのリカちゃんのスマホがある。ここまで濡れてしまったら、きっと使い物にはならないはずだ。
だけどこれで、もうリカちゃんが呼び出される心配はない。
それが嬉しくて。とにかく嬉しくて、嬉しくて仕方がなくて。自分のしたことは許されないことなのに、笑い声が漏れる。控えめなくすくす笑いが声を出してしまうようになり、抑えようとしても止まらない。
数分後、歩と一緒にベランダから戻ってきたリカちゃんが、濡れたスマホを見て首を傾げた。間違ってお茶を零したと嘘をついた俺に、リカちゃんは何も怒らない。
ただ笑って言うだけだ。
──『慧君がしたことなら、それでいい』と。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
1157 / 1234