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129.騒音悪臭、時に失笑
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『獅子原さん』
同名の別人だと思おうとしたけれど、さすがに無理だった。
俺の車の近くに立ち、俺のことを見て、俺と同じ名前を呼ぶ。ということは、この人の目的は俺で決まりに違いない。嬉しくない事態だ。
「……蛇光さん、どうかしました?」
「実は昨日、獅子原さんに渡すよう慧くんに頼んだものがあるんです。受け取ってもらえました?」
「すみません。まだ確認していないですね」
視線を合わすことなく上っ面の謝罪をすると、蛇光は少し俯いた。胸元で緩く手を組んだ後、さも言いづらそうに切り出してくる。
「あの……慧くんを責めないであげてくださいね」
「責める?慧を?」
一体、何の話だろうか。予想していなかった言葉に、自然と眉間に皺が寄った。すると蛇光は、苦笑しつつも柔い声で言う。
「きっと渡さなかったのは、忘れちゃっただけだと思うんです。慧くんが黙って自分のものにしようとしただなんて、あたし思っていないので」
どうやら、この女は慧が受け取った物をそのまま横取りしたと思っているらしい。そのおめでたい思考に、心の底から呆れてしまう。
「蛇光さんは、慧がとったと思ってるんですか?うちの子が、俺に断りもなく横取りしたと?」
「そんなっ……。あたしは、慧くんが渡し忘れただけだと信じています!でも、人って魔が差すこともあるし……もちろん、慧くんはそんな子じゃないって思ってます」
「蛇光さん、今日は随分と回りくどい言い方をするんですね。いつもの蛇光さんらしくないな」
目の前の女が躊躇を見せる。これ以上踏み込むと良くないと本能で察したのか、その様子は次の言葉を探しているようにも見えた。俺としても、慧を悪く言われるのは気に入らないし、不毛な言い合いをする趣味もない。
「そう言えば、テーブルの上に何か置いてありました。戴くわけにはいかないので、お返ししますよ」
一旦は退いてやろうと、渡されたことだけは認める。でも本当に『渡されたことだけ』だ。
「いえ!遠慮しないで、そのまま受け取ってください」
「戴くわけにはいかないって、言ったばかりですが?」
「深い意味はないんです。本当に。獅子原さんに、日頃のお礼がしたくて……本当に、それだけなんです」
この女には、ことごとく言葉が通じない。出会った時から全くと言っていいほど会話が繋がらず、俺は早々にこいつとの意思疎通は諦めた。
そもそも、本能で生きるメスザルと会話なんて出来るわけがない。
「きちんとお返しします。蛇光さんがどう言おうが、俺には受け取る理由がありませんから」
できるだけ丁寧に、無駄な言葉は付け加えない。持てる最大限の優しさで分かりやすく言ってやると、蛇光は俺が遠慮していると捉えたのだろう。手を振って微笑んだ。
「あれは私からの気持ちなので。気にしないでください。要らないなら、捨ててもらって構わないです」
こちらは全力で断っているのに、それを別の意味に変換しやがるのは才能か。それとも自分が拒絶されるとは、思ってもいないのか。
満面の笑みで押し付けられる『気持ち』なんて、俺にとっては汚物と変わらない。そんなものを貰うぐらいなら、今すぐ目の前から消えてくれた方が何倍も嬉しいというのに、今日もまた伝わらない。
「へぇ……気持ち、ですか」
頼んでもいない身勝手な『気持ち』で、俺のものを傷つけたくせに、何を気にせずにいられるのだろうか。
面の皮が厚いってのは、正しくこの女のことだ。その皮で息が止まってしまえと願うほど、嫌悪ばかりが募る。
「蛇光さんからの気持ちを受け取ると、大変なことになりそうですね」
失笑混じりに言うと、女は軽く首を傾げる。さらりと揺れる毛先ですら、自分に都合よく計算されているかのように見えた。
「もしかして、迷惑でしたか?」
ふわりと、楽しそうに揺れる毛先。憂う瞳に、悲しそうに垂れる眉。
「獅子原さん……」
俺の名前を呼ぶ唇が、誘うように淡く艷めく。
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