アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
689
-
*
ウサギとの待ち合わせ2時間前。朝早くから呼びだしやがった男を前に大して美味くもないコーヒーを口に含む。
世間一般がクリスマスで華やかに飾り付けてるあのに対し、今日も和服姿のそいつはきっとバカ高いであろう着物の袖を捲り、ケーキに夢中だった。
「なあ。せっかくのクリスマスやのに食べへんの?1口あげよか?」
フォークに乗せたそれを顔の前に突き出す。自分が使っていた食器を堂々と差し出してくるその神経が気に入らない。
「いらない」
「ああ、そういや理佳は甘いの嫌いやっけ」
俺は別に甘いものが嫌いでも好きでもない。好んでは食べないけれど食べろと言われれば平気だ。ただ、こいつと物を共有するのが嫌なだけだ。
断った俺に、由良は見せつけるようにしてそれを口に含む。
「こんなに美味いのに勿体ない。人生損してるで」
「お前とこうしてる時間の方が無駄。早く要件を言え」
普段以上に早いペースで吸ってしまうタバコ。きっとヤニ臭いだろうからウサギとの待ち合わせの前に着替えるべきか、この辺りで良さげな店があったか考える。
由良と一緒にいても俺の頭にこいつの居場所はない。
世間話には一切答えない俺に痺れを切らした由良がやっと手を止める。フォークの代わりに握られたのは薄い封筒だった。
少し前に別件で見たその色、柄…自分は入れ替えたその封筒の正体に気付いていても知らないふりをする。
「来年からアメリカの方で大きな展示会をやるらしくてな。その総括をうちで任されることになった。もちろん爺さんと跡継ぎの俺は行かなあかん……あと、お前も」
「行かない」
即答したはずが由良にとってそれは想定内だったのか、動揺する素振りは見られなかった。
「それは聞かれへん。こういう時に役立つんがお前やろ?爺さんもお前がついて来てくれたらって言ってる」
「ついて来てくれたら、だろ。あの人は俺に無理強いはしない」
飲んでいたコーヒーが無くなり、店員がおかわりを尋ねてくる。俺はそれを丁重に断ってから視線を由良に戻した。
禄でもないことを考えているのが形となって現れたかのような歪んだ表情。人を蔑むことが好きで、自分の思い通りにならないのが大嫌いなそいつは、とってつけた笑顔を浮かべる。
そして猫なで声で諭すように言った。
「理佳。今住んでるマンションって高校教師の給料じゃ無理やろ。お前の今の生活を続けるなら俺からの仕事は受けるべきや」
「それでも行かないって言ってんだろ」
「じゃあどうするん?何でも出来て、何でもしてやるリカちゃんがおらんくなってまう。慧君が欲しがるリカちゃんが消えてまうで」
由良に痛い所を突かれて、眉間に皺が寄ったのが自分でもわかった。
世の中は綺麗ごとだけじゃ生きられない。何かを叶える為には時間と財力がいる。それがわかっていたからこそ、俺は今まで由良の仕事を引き受けてきた。嫌だと思いながらも手を貸してきた…けれどもう関わりたくないってのが本音だ。
この男はウサギを傷つけた。星一をバカにして俺を怒らせ、ウサギを騙しただけでなく、手を上げて心と身体に傷を負わせた。それを俺が許すわけない。
でも…それでもまだ心のどこかに不安の種は植え付いたままだ。
「あの子が求めてるんは完璧なリカちゃん。そのまんまのお前じゃない」
由良が持っていたフォークがケーキの苺に突き立てられる。潰れる水音と共に散った赤が生クリームの白を汚した。
醜く滲んだ白はやがて赤に全てを飲み込まれ、もう元に戻れなくなる。
「これからの未来ある若者を繋ぎ留めておくのに金はあった方がいいと思うけどな」
「お前には関係ない。これは俺の問題なんだから黙ってろよ」
「それともお前の中身を好きになってもらえると思ってるんか?何もないくせに?笑わせる」
何もないのは自分が1番知っている。今まで必死に繕ってきたのだから、それを由良に言われなくてもわかっている。
黙る俺の心を読んだかのように由良が封筒を開く。中から出てきたのは予想通り渡米用のチケットだった。
「学年終わりからの1年、いや半年でもいい。あの子の為なら何でもするって決めたんやろ?」
どんなことも叶えてあげるし、どんなものでも与えてやりたい。その為なら何だって出来る。そのはずだったのに、手がそれを受け取るのを拒んだ。
「……行きたくない」
「ほら、行かへんから変わった。返事は年明けでええよ、それまでこれは俺が預かっといたげる」
封筒を戻した由良が、テーブルに置いていた俺のマフラーに触れた。自分にそれを巻いて俺に似合うか聞いてくる。無視をすれば興味をなくしたのか、丸めたままのそれを突っ返され、由良が伝票を持って先に店を出た。
1本また新しいタバコを吸って俺も店を後にする。
「あの、お客様。こちら忘れ物です」
机の上に置き去りにしてきたマフラーを忘れ物だと思って持ってきてくれた店員に俺は答える。
「それもう必要ないから処分しておいてください」
「でも……」
「そんなもの見たくもない」
ウサギとの待ち合わせまで1時間。この嫌な臭いと空気の染みついた服を今すぐ脱ぎ捨てたい。
目についた店で一式着替えた俺は、着てきた服を全て処分して今だけは何もかも忘れようとした。
見た目だけでも綺麗でいたい…そう願う自分は誰よりも汚い。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
689 / 1234