アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
3
-
始業式が終われば、今日は授業もなく下校らしい。
明日からはもう通常授業が始まり、担任の数学教室曰く今日配布された教科書を忘れずに持って来いとのことだった。
面倒なのでわざわざ重い荷物を持って帰るはずもなく、ロッカーにすべて置いてきた。
「世留、帰りどっか寄る?」
「今日、バイト。」
真緒は既に打ち解けたクラスの面々と遊びに行くらしいが、俺は誘いを断ってさっさと帰り支度をする。
部活動も入っていないため、放課後にすることといえばバイトくらいのもので、今日もしっかりとシフトを入れていた。
「おっけーおっけー。また!」
「悪いな。」
バイトは夕方からのシフトな為、まだゆうに時間はあったが、まぁ無理をして行く必要もないだろう。
どうせ行き先といえば、ボーリングやカラオケだろうし。
ちなみに、今のバイト先はとあるバーだ。
以前していたコンビニやファミレスのバイトは、俺のシフトの度に女性客が押し寄せるからという意味不明な理由でクビになった。
どちらかといえば売り上げには貢献しているではないかと異論を唱えたいが、どちらもいけ好かない先輩バイトがいたので言われるがままに辞めてやった。
それに比べ、現在勤めているバイト先は気楽でいい。
少なくとも知り合いが来ることは無いし、こじんまりとした雰囲気の店のため客もそんなに多くない。
バーということもあり酒を扱う為、初めは年齢を詐称していたがすぐにマスターにはバレた。
しかし、少し怒られたくらいで、クビにされることはなかった。心の広いマスターで助かった。
*
「疲れた…。しかし、まだ寒いな。」
10時にバイトを上がり、マスター手製の賄いを食べてから家路につく。
バイト先は家から一駅離れているため、電車に乗らなくては行けないのが面倒なところ。
まぁ、給料は良いし、それ位なら我慢する。
途中の公園を横切ろうとすると、どこかから"にゃー"と猫の鳴く声が聞こえた。
野良猫だろうか。鳴き声だけ聞くと、まだ子どもの声のようにも思える。
「ごめんね、君を連れていくわけにはいかないんだよ。」
猫の声に続いて、若い男の声が聞こえた。どうやら猫に話しかけているらしい。
聞き耳をたててみると、猫とその男は公園のベンチの方にいるようだった。
普段なら気にも止めないが、その時は自然と足がそちらの方へと向かった。
「その猫、捨てるの?」
「拾ってください」と書かれた段ボールには、やはりまだ子どもの猫が毛布に包まれて入っていた。
男は背後から話しかけられるとは思っていなかったようで、びくっと一瞬動きを止めた。
そして小さな声で、違う…僕じゃない。と呟いた。
「捨てられていたのをたまたま見つけたんだ。いま、家から毛布とミルクを持ってきたところで…。」
「こいつ、まだ小さいよ。家では飼ってやれないの?」
「無理、だよ。既に1匹飼ってるんだ。マンションだし、2匹は飼えないって釘刺された。」
「へぇ。」
こちらを向くことなく、しゅん、と肩を落とす男。
線が細く、全体的に華奢なところを見ると、彼は同い年か年下なのかもしれない。
流れるような黒髪が夜に溶け込み、月明かりを浴びてキラキラ輝いている。
声を聞かずに、後ろ姿だけ見れば女だと思ったかもしれない。
「じゃあ、俺が飼おうか。」
「えっ、本当っ。」
彼がそう言って振り向くと、顔には安堵の文字が浮かんでいた。
あぁ、と答えると、嬉しそうに僅かに顔を綻ばせる。
いや、それ以上に。
目の前の男の顔を見て、情けなくも目を奪われてしまった。
「良かったね、この人が貰ってくれるって。」
「にゃぁ。」
柔らかい笑みを浮かべる男を見て、いよいよ自分の判断が正しかったのか疑問になってくる。
整った目鼻立ちに、大きな瞳。薄い唇、透けるように白い肌。長い前髪は横に流している。
もしかしたら、男じゃなくて女?いや、でも声は確かに男だ。
なんというか中性的な感じで、考えれば考えるほど余計に分からなくなる。
「いや、待てよ。あんた……どこかで見たことあるような…。」
「………あ。」
「え、マジで知り合い?……あー、ダメだ。思い出せそうで思い出せない。」
俺の顔を見て、何かに気付いたようで途端に目に見えて焦り出す。
何故焦る。やはり彼と自分は知り合いなのだろうか。
人の顔と名前を覚えるのが苦手なせいか、このようなことはしょっちゅうある。
しかし、この微かに香る匂い…。
花の香りか?どこか懐かしい。
名前さえ聞けば、思い出しそうなものだが……。
「えと、ゴメンナサイ。失礼ですが、お名前をきいてもいい?」
「…………安藤です。」
「……安藤?」
「安藤、陽汰です。同じクラスの……。」
「あ。あっー。安藤ね!はいはい。ネクタイの。」
安藤陽汰。朝、完璧なネクタイの結び方を披露してくれた彼だ。
しかし、朝見たときは殆ど顔は見えていなかったはずだ。
声と雰囲気だけだが、なんとなく知っている感じがしたのは、たまたま今日話したからだったみたいだ。
きっと、これが明日の出来事だったら気付かなかったと思う。なんという偶然か。
「へぇ、髪分けるとそんな感じなんだ。」
「あ、あんまり見ないで…。自分の顔、好きじゃないから。」
綺麗な顔をしていると思うが、どうやら本人にとってはコンプレックスらしい。
無機質な人形のような美しさを感じさせるが、現在は顔を見られているのが恥ずかしいのか僅かに頬が紅潮している。
誰にでもコンプレックスはある。触れないのが吉だろう。
容姿が整っていることが必ずしも幸運ではないことを、自分の身を持って体験している。安藤にも事情があるのかもしれない。
「朝も思ったけど、安藤の家って花屋かなんか?」
「え…違い、ますけど……どうして?」
「花の匂いがしたから。懐かしい感じの…。」
「花……?あ。金木犀、かな。」
金木犀。確か秋頃になるとよく見る橙色の花が咲く樹だっただろうか。
そうだ。確か、祖母の家に植えてあった。それで懐かしい感じがしたのかもしれない。
「金木犀って秋に花が咲くんじゃなかったか。」
「母が金木犀好きで、よくお香を焚くから。それで匂いが移ったのかもしれません。」
「なるほど。それでか。」
「にゃあ。」
ぽつりぽつりと暫く立ち話をしていると、猫がしびれを切らしたように一鳴きする。
まだ夜は冷える。明日も学校があるし、互いにそろそろ帰ったほうがいいだろう。
安藤から猫を受け取り、毛布に包み直してからしっかりと腕に抱く。
弱っているのか、はたまた腹が減っているせいなのか…暴れる気配はない。
いや、もともとおとなしい性格の猫なのかもしれない。
「名前があった方が呼びやすい。こいつの名前つけていいよ。」
「僕が?」
「元は安藤が拾った猫だろ。お前がつけろよ。」
うーん、と考え込む安藤。
確かにいきなり猫の名前を考えろと言っても無茶な話だ。
それでも、ネーミングセンス皆無な自分が考えるよりも、安藤に考えてもらった方がこの猫も幸せだろう。
ふと、空を見上げた安藤が、あっ!と何かを閃いたかのように声を上げる。
「じゃ、じゃあ……今日は月が綺麗な夜だから…ルナ。」
「ルナ、か。いいんじゃない?多分、こいつメスだろうし。」
「……なんか、浅陸くんの名前とも似てませんか。」
安藤は恥ずかしそうに小声でそう付け加える。
ヨルとルナ。確かに少し似てるかもしれない。
というか、俺の名前知ってたんだな。
「まぁ…俺のは字が違うけど、夜に生まれたことは確かだから。」
「綺麗な名前で羨ましい。」
「そう?」
ぴったりの名前だと思う。安藤はそう言って、ひっそりと笑った。
その時の寂しそうな表情が印象的で。
俺は何か、安藤に言葉をかけてやるべきなのだろうか。
そう思っている間に、安藤は頭を下げて行ってしまった。
ありがとう。おやすみなさい。
安藤はそれだけをやっと言い残し、足早に公園を駆けていった。
取り残された俺は、猫を抱えて駅まで歩き出す。
先程の安藤の顔が脳裏から離れず、ため息を一つ零して。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
3 / 27