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「Fly Me To The Moon」は、オレたちの定番中の定番だった。客から特にリクエストがなけりゃ、1曲目はいつもコレだ。
楽譜がぶっ飛んでも指が覚えてそうなモンだけど、いつもより強めに鍵盤を叩いてたせいで、勘が働かねぇ。
歌に入る直前のメロディはどうだった?
ヤベェって思えば思う程、何も考えらんなくなって、指の動きが遅くなる。
くそっ、と思った時――。
Fly me to the moon
Let me play among the stars
Let me see what spring is like
On a-Jupiter and Mars
SEIがいつも通りの甘い声で、歌い始めた。
いや、いつも通りじゃねぇ、滅多にやんねぇアレンジしてる。リズムを少し変えて、いつもより甘く、いつもより色っぽく歌ってる。
もっと自由に歌わせてやらねーと。そう思いつつ、辛うじてリズムだけを刻んでると、ふいにSEIがマイクを持ってオレの方を振り向いた。
In other words, hold my hand
In other words, baby, kiss me
甘く歌いながらオレの右手をそっと握り、にこっと笑いながら、指先にちゅっとキスをくれるSEI。
ビックリし過ぎて左手も一瞬止まっちまったけど、SEIは構わず歌い続けた。
Fill my heart with song
And let me sing for ever more
You are all I long for
All I worship and adore
In other words, please be true
In other words, I love you
客席じゃなくて、オレの方を見ながらの歌。まるで、昼間のオレの告白の返事をくれたみてぇで、胸の奥にじんと来る。
そういや、初めて会ったあの夜も、こんな風に助けてくれたんだっけ。
甘い歌声は滅多に聴けねぇアレンジを含んで、高く低く、低く高く、オクターブを越えて伸びやかに響く。
一体どんだけ好きになればいいんだろう?
ひざまずいて愛を乞いてぇ。女神のように愛してる。
SEIが繋いだ右手を放し、そっとスタンドにマイクを戻した。
サビのヴォーカルが終わった直後、再び両手に戻るピアノ。さっきまでのSEIのヴォーカルに合わせ、高く低く、低く高く、オクターブを越えたアレンジを決める。
楽譜がぶっ飛んだショックは、もうカケラも残ってなかった。先輩に対する気負いもねぇ。SEIに捧げるためのスイング。
月にでもどこにでも連れて行こう。星の中で存分に歌おう。
SEIがいれば、どこにだって行ける。木星にも火星にも、未来にも。
さっきまでの失態を埋めるべく、ちょっと長めの間奏を入れて、再びいつもの和音を2つ。
その合図にちらっとオレの方を見て、SEIが蕩けるように笑った。
その後は平穏に1時間が過ぎた。2曲目は「Night and Day」、3曲目は「A Night In Tunisia」、4曲目は客からのリクエストで、「When You Wish Upon a Star」。偶然だろうけど、星とか夜とかばっかだな。
いつもよりちょっと盛大な拍手を貰って、SEIと一緒に控室に下がる。
ドアをパタンと閉めた途端、一気にドッと気が抜けて、情けねぇけど足元がよろけた。
「うおっ、大丈夫?」
SEIにぐいっと支えられ、「ああ……」って返事して苦笑する。
「助かった。ごめん、あんがとな」
オレの謝罪にSEIは一瞬首を傾げ、それから思い出したようにうなずいた。
「緊張した?」
「ああ、した」
短い問いに素直にうなずき、こわばった手を熱いお絞りでほぐす。まだかすかに震えが残ってて情けねぇ。
乾杯の後、くーっとあおったワインでノドも胸も温まって、ようやく気分が楽になった。
「客席にさ、例の先輩がいたんだよ。昼間、『枯葉』やってたビッグバンドにもいたんだ。なんでここに、つって頭が真っ白になっちまって……」
説明しながら、はっ、と苦笑を漏らす。
多分、無意識にイイトコ見せようとしちまったんだろう。我ながらダセェ。他にも、オレの音を聴かせてぇとか、オレの音楽を認めさせてぇとか、対抗心があった。
そんでピアノが止まっちまうとか、本末転倒もいいとこだ。
「助かった。ありがとな」
改めてもっかい礼を言い、SEIの右手を握る。その指先に軽くキスすると、SEIがぼんっと赤くなった。さっきは自分からしてくれたくせに、何だその反応は? まったく、可愛くてしょうがねぇ。
けど、せっかくのいい雰囲気は、無粋なノックと共にお預けになった。
「RUKA、お客様からご指名だ。挨拶したいって」
ノックと共にドアを開けたホールスタッフが、オレに1枚の名刺を差し出す。そこには先輩のフルネームが、バンド名と共に書かれてた。
「知り合いか?」
ホールスタッフの問いに、「ああ」とうなずいて立ち上がる。SEIにちらっと視線を向けると、いつになく神妙な顔で、オレを心配そうに見つめてる。
正直言うと、会いたくなかった。
もう関係ねぇ人間だし、失態やらかした後だし。ライブとライブの間の休憩中だし。「いねぇ」とか適当にウソ言って断って貰うこともできた。
でも同時に、逃げたくねぇとも思った。
オレはピアニストだ。サックス奏者じゃねーし、同じ土俵で競う相手でもねぇ。
背中を見せられて焦る必要もねぇ。オレが聴くべきなのはSEIの歌で、見るべきなのもSEIだ。
最高の相棒と一緒なら、月にだって舞い上がれる。
誰も知らねぇ景色を見れる。
どんな見事なサックスも、SEIの歌ほどオレん中に響かねぇ。委縮する必要なんかなかった。
「会うよ。そんで、お前のことも紹介する。最高の相棒だって自慢してやろーぜ」
デカい目を見てそう言うと、SEIも「うん」ってうなずいた。
いつか、SEIと一緒にジャズフェスに出られりゃいいなと思う。
SEIのこと「ヘタクソ」ってなじった、昔の仲間にも会いてぇとも思う。そいつらに、最高の相棒のピアノで歌う、SEIの姿を見せてぇと思う。
互いの過去を乗り越えて、もっともっと先へ行こう。
SEIと一緒なら宇宙にも行ける。それと同様、オレと一緒ならどこにでも行けるんだ、って、SEIにも感じて欲しいなと思った。
(終)
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