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次の駅を知らせるアナウンスが車内に流れる。
目的地まであと2駅。
不規則に体を揺らされる度、前髪が目にかかって視界をより暗くした。日は沈みかけ、駅をひとつふたつと通過するにつれて、車窓に映る街灯が少しずつ増えてゆく。
次の駅で降りたら、彼の家は街を抜けてすぐだ。
揺れに委ねて目を伏せた。
頼んでもいないのに、あの時の光景が蘇る。
床の汚れと交わる涙。
赤い雫と、薄茶の髪が絡んだハサミ。
嫌な嫌な、笑い声。
もっと深く、いっそこのまま目を潰して
何も見えなくして欲しい
「水野! おはよっ!」
煌めきを撒き散らすような、明るく暖かい声。
ふわりとした薄茶の髪を揺らして、いつも朝一番に声をかけてくれる。
鈴谷。
彼とは小学5年生の時から、何故か毎年同じクラスで、趣味も性格も違うのに、気づけばいつも互いのそばにいる関係になっていた。
お互いがお互いを、親友と呼んでいた。
青春だらけの中学2年生。
今年も同じクラスになれたことを、二人で喜んだ。
鈴谷はクラスの中心にいる人物だった。リーダーというわけではなく、鈴谷の周りには不思議と人が自然に集まった。鈴谷の周りの人間は、みんな心の底から楽しそうに笑っていた。俺もその1人だった。
俺はクラスでも、特に目立たない人間だった。癖のない黒髪に眼鏡をかけているせいで、よく「暗く無口な印象を受けた」と言われた。 実際はただただ普通で平凡な人間なのだが、そんな何の面白みもない俺と、鈴谷はよく一緒にいてくれた。
ある時、ふと鈴谷に質問したことがあった。
「鈴谷は、なんで俺とつるんでくれるの?」
「えー? んー、なんだろ…好きだから?」
「…俺が?」
「…じゃなかったら一緒にいねーよー。…あと、水野といると、落ち着くっていうか…なんか、自分らしくいれる。 …とかな! 言ってみたりー」
「…ふぅん。」
素朴な会話だったが、その時俺は、全身が幸福感で満たされた気がした。にーっと口角を上げた鈴谷の顔がとても印象的だった。頬を薄紅色に染めて、柔らかく笑う鈴谷が、とても好きだった。
鈴谷とは反対に、あまり好めない人間がいた。
矢代。
中2で初めて同じクラスになったが、無理に染めた髪、制服のだらしない着こなしから、俺や鈴谷とは相容れない、いわゆる不良であることはすぐわかった。
クラス内にいた数名の不良は、いつも矢代を中心に耳障りの悪い声で騒いでいて、鈴谷もそこへは近づこうとしなかった。俺はいつしか無意識のうちに嫌悪の眼差しを向けてしまっていた。
1度その目で矢代と目が合ってしまったことがあった。向こうはぱちりと目を開いて、驚いた様子だったが、それ以来特に接触もなく一学期が過ぎた。
夏休みが終わり、たるんだ空気を引きずったまま授業が再開される頃、異変が起き始めた。
「…あれ」
「どしたの?水野」
「シャーペンが無い。」
貸したはずも落としたはずもないシャーペンが、筆箱の中に見当たらない。その日は鈴谷に借りた鉛筆で凌いだが、その1週間後、また似たようなことが相次いだのだ。
身の回りのもの、特に文房具といった、俺がよく触れるものが紛失していく。最初は気にしていなかったが、こうも頻発するとさすがの俺も不審に思い始めた。
1度帰りの会を利用して、クラス内に呼びかけたことがあった。
「俺の文房具、知ってる人いませんか。落としたみたいで。一応名前書いてあるので、見つけたら俺にお願いします。」
その翌日、失くしていた全てのものが返ってきた。直接、俺の元に、ではない。 教室の隅にぶちまけられる形で返却されたのだ。
この時点で、なんとなくの目星はついていた。
朝、一番に教室を開けるのは俺だった。教室の鍵の管理は日頃から生徒が行い、戸締り後、教師が再度鍵を開けて教室内を確認しないことを俺は知っていた。そして、最後まで教室に居残って遊んでいるのが誰かも知っていた。
いつも教室に残っているのは
あの不良グループと矢代しかいないのだ。
俺はその際、矢代のものと思われる行為に対抗しなかった。それが良い判断だったのか、考えるにはもう遅すぎる。この小さな事件をスルーして数週間後、似たような現象がまた起き始めてしまったのだ。
今度はものを「汚す」やり方で来られた。
ある日は机の中をぐちゃぐちゃにされ。
ある日は下駄箱の中に泥を盛られ。
ある日は上履きを落書きで汚された。
日を追うごとに、汚されるものが増えていく。
このいじめによく似た嫌がらせに、クラスの人間たちは一切関わってこなかった。視界に入っているはずだが、嫌がらせを受けている時の俺は目に映っていないらしい。
鈴谷だけは俺よりも辛そうな表情で、よく一緒に汚れを綺麗に落としてくれた。もう鈴谷しか、綺麗に見えなかった。
今度は俺自身が汚された。 放課後前の掃除中、雑巾を洗った水、しかも泥入りを、後ろからぶっかけられたのだ。雑音にも似た笑い声を上げて駆けていった後ろ姿は、やはり矢代のものだった。
ぽたぽたと、髪から灰色の水滴が滴る。初めて口からため息が漏れた。
なかなか教室に戻ってこない俺を気にしたのか、校舎からわざわざ出てきた鈴谷は、びしょ濡れの俺を見て絶句していた。
「…自分で、かぶったわけじゃない、よね…?」
「…残念。 いつものにやられた。泥入りサービスまでご丁寧に」
汚れた水で濡れた俺を、鈴谷が力強く掴んだ。今までで聞いたことのない張り詰めた声で言った。
「ねぇっ もう先生に言おうよ! 言っても解決しないかもだけど言わないよりマシだって! 水野がこんなことされる必要ないよ…!!」
鈴谷の真面目な声を半ば受け流して、俺はうつむきがちに呟いた。
「…呆れた。」
「え?」
「中2になってまで、こんなガキくさいことするとか…本当、さすがにスルーできなくなってきた。そろそろタイマン張る頃かな」
淡々とそう口にした俺を、鈴谷は怪訝な表情で凝視していた。 何?と聞くと、心底不思議そうな声音で俺に言う。
「…なんで、そんなに強いの?」
…鈴谷から見て俺は、強い、のか。
自己認識している範囲では、ただ矢代の相手をわざわざするのが面倒で抵抗しないだけなのだが。仮にやり返したとしても、なんだか自分が幼稚に見えるし。それに、理由としてあげるならば、もう一つ別にあった。
「俺別に、鈴谷が一緒にいてくれんなら、こんなの気にしねーんだわ。 チクるとか、したいならしてもいいよ。 でも俺は矢代とか興味無いし、嫌がらせとかどーでもいいんだわ。鈴谷が言うほど、俺、全然強くない。 俺がこうされても平気でいれんのは、鈴谷がついてくれてるからだよ。強いって言うなら、それは鈴谷がいるから。」
初めてまともに、素直に心の内を告げた気がする。鈴谷はしばらく驚いた顔をした後、なんだよそれ、と笑みとともに小さく漏らした。
その日を境に、鈴谷は俺にぴたりとくっつくようになった。俺になるべく隙を作らないよう、ガードをしてくれているようだった。そのおかげで、小さな嫌がらせは以前に比べ、遥かに少なくなっていた。
だがある日、久しく矢代がちょっかいを出してきた。今回は物理的な嫌がらせで、鈴谷と廊下を歩いていた俺に、わざと肩をぶつけてきたのだ。忌々しげな目線を送ると、矢代は耳障りな声でわめいた。
「うわ~ホモにぶつかっちまったわぁ~! あ~気持ちわりぃ、男が男を好きとかキモすぎ! もしかしてぇ、連れションですか? 一体何してたんですかぁ~? 最近ずーーーっと2人でいるけどもうデキてんだろ。 コンドーム分けてやろうか? …あぁ、そうか、普通つけるけどお前らゲイだもんな! 男同士なら孕まねーから、要らなかったな!」
下品にわめき散らす汚らしい猿にドン引きしていると、鋭く凛とした声が、その汚い笑い声を一掃した。
「うるさいんだけど」
鈴谷だった。俺の一歩前に出て、矢代を無言で威嚇する。初めて見る、鈴谷の怒気をまとった立ち姿だった。ひるんだ様子の矢代に、鈴谷は続けて責め立てる。
「なんなの? ずっとしつこく水野に嫌がらせしてるけど。 逆に言うけどお前が水野を好きなんじゃないの? …でもこれ以上、水野に近づいたら何もしない保証はないよ。はっきり言って、矢代のこと、全然好きになれないから。 …行こ、水野。」
「あ、あぁ…」
俺のほうが圧倒されてしまった。鈴谷に手を引かれるまま、矢代をその場に置きざりにする。すれ違いざま、矢代の表情はよく見えなかったが、
「…うざ」
低く吐き捨てた矢代の声を、俺は聞き逃さなかった。
その日以来、矢代から嫌がらせを受けることはなくなった。普段矢代とつるんでいる不良さえ、俺に何もしてこない。面倒なことがなくなって気楽になったが、ある根本的なことが判明しない点に関して不気味だった。
どうして矢代は、俺を嫌がらせの的にしたのだろう。
クラスで目立たないとはいえ、何をしても一番ダメージを受けにくそうなのは誰からしても俺だと思うのに。
ーーー家庭などのストレスのはけ口に?
それが理由なら、小動物のような、もっと弱そうな人間を選ぶはず。
ーーー俺が気に入らなかったから?
気に入らないと思われるほど、俺と矢代は接触していない。むしろ、互いに無関心であるはずなのだ。
思い当たることが一つもない。だが嫌がらせも終わったことなのだから、動機を追跡する必要もないと思い、俺は考えるのをやめた。
あれから鈴谷は、矢代から何もされなくなったのを確認して安心したのか、少し俺から離れた。といっても、密着した状態から、前の距離感に戻っただけなのだが、放課後用事があるようで、部活に向かう俺と帰路を分かつ頻度が増えた。
「じゃあな」と手を振る鈴谷は、嫌がらせを受けなくなった俺よりも嬉しそうな顔で駆けていく。その背中に、感謝の意を送った。
俺が学校生活を快適に過ごし始めて二学期半ばに差し掛かった。
次の授業が体育だったため、その日俺は更衣室で鈴谷と着替えていた。だがその際、俺はスルーしがたいものを目にしてしまった。
服を脱ぐ鈴谷の白い肌に、紐か何かでつけられたような赤い痕があった。俺は無意識のうちにその痕をなぞってしまった。
「ひぁっ!? ちょ、な、なに水野!?」
目を見開いて甲高い声を上げた鈴谷に「あっ 悪い」と慌てて謝罪する。鈴谷が赤くなりながら、慌ててその痕を、俺の視界から排除するように隠したのを見た。その痕がついた経緯を聞いても、鈴谷ははぐらかして教えてくれなかった。
この時、たとえ嫌がられても詮索するべきだった。
だが本当に、もう遅かったのだ。
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