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花瓶をあげてにしおりをはさみました!
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花瓶をあげて
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結局、送別会は当たり障りのない普通の飲み会になった。
入社当初から俺とパイセンはデキてるんじゃないかと揶揄されたし、パイセンが結婚したら何故か励まされたし、今回もそういうタイプのセクハラに遭ってクソほど酒は不味かった。
最後のワンチャン狙いで身体を近づけてきたり、なんなんだろう、こいつらは。
向こうで恋人と同棲し始めるんです、と誘いを断ると、写真を見せろとパイセンまでもが絡んでくるし、しょうがなくスカートを履いたはとちゃんの写真を見せると、
「えっ、高校生? 大学? 未成年だよね」
「可愛いけど……狭川くんってそういう……趣味だったの……?」
と散々言われて、同い年だと言っても微妙な反応をされた。
……幼い外見が幸いして、性別に関しての疑問は持たれていないのは、有難いことだった。
引っ越しのトラックに俺も乗せてもらい、『あまるていあ』に向かう。
はとちゃんの荷造りは大坪さんも手伝ってくれた、と聞く。とにかく大坪さんには頭が上がらない。
住まいを決めてから、はとちゃんが仙台でかかる病院の選定及び紹介の手配、障害者手帳の住所更新手続き、その他煩雑な事務処理を行ってくれた。
同じトラックに荷物を詰めて、仙台まで走って、明日の午前中には新居に届く予定だ。
この後乗る新幹線は片道切符。さよなら東京。……そして、家族とも。
せいせいする。
弟のことは気がかりだが、とにかくあいつらには新居の場所は伝えない。これまで就職してから毎月少額ながらも実家に送ってきた仕送りも、打ち切る。
俺には新しい家族が出来た。大切なひとと、あとたぶん、目付きの悪いあの猫も、俺がこれから養っていくのだから。
『あまるていあ』に着いて、一階の共用部にあがると、テーブルの上で一輪の菊の花が咲いていた。花瓶ははとちゃんの部屋にあった物だ。
……あの警察官、来たのか?
立つ鳥跡を濁さず、どころか何置き土産残してんだよ、あの中年太りが。
「ああ、お疲れ様です」
大坪さんが手足の袖をまくり上げた格好で浴室から出てきた。清掃中だったようだ。腕がたくましくて、うらやましい。
「……徳永刑事には、僕の方から彼が引っ越すとお伝えしましてね。いちばん長い付き合いですから、何かこう、思う所あったみたいでした。はじめて頭を撫でて貰った、って昭知くんびっくりしてました」
大坪さんは、花の茎に優しく触れる。菊の花はまだ新鮮さを感じる。本当に墓の前で見るような仏花だ、大人げないな。
「……花を持ってはいけないから、花瓶も置いていくそうです。……出来たら、お母さんにあげて、と言っていました」
「ああ……」
はとちゃんの母親。はとちゃんを虐待し、はとちゃんが起こした事件のショックで精神病院に入りっぱなしで、はとちゃんのことを、認識出来ない母親。
引っ越しが本決まりになって、はとちゃんはその母親との面会を希望した。
今度はいつ会えるか分からない。
自分がいなくなったら、独りぼっちになってしまう。自分には徳永さんがいた。そういう拠り所も母にはない。
いつもの調子で、はとちゃんは自分の母親のことすら優しい人だって言うのだ。
母を置いて自分ひとり幸せになろうとする、その事が、気がかりのようだった。
まったく、はとちゃんと俺は間逆なのだと思う。意気揚々と産みの親を捨てる俺。捨てられないはとちゃん。そんな二人がそばにいる巡り合わせは、不思議だ。
「……出来れば僕がお母様との面会に立ち会いたかったのですが、いかんせん忙しくて」
「俺も、そばにいてあげたかった……」
「付き添った管理人曰く、お母様も落ち着いてはいて、やはり話は噛み合わなかったようですが、昭知くんは自分の状況を自分の口で伝えて、あと造花を贈って、どうにか折り合いを付けられたようです」
「造花……」
枯れてしまわないように、離れてもそばにいられるように、その選択をしたのだろう。あるいは、貰って嬉しかった物をあげたのか。
……回復の目処は立たないというが、もしもはとちゃんの母親が退院ということになったら、俺ひとりでそっちも支えることになるのだろうか。
薄情者と罵しられてもいい。
ずっと病院にぶち込まれていて欲しい。はとちゃんを傷付けた人のことまで、面倒をみたくなんかない。例え、はとちゃんが望んだとしても。
はとちゃんの荷物は本当に少なかった。
衣類と、ぬいぐるみと、いくばくかの化粧品。飲み残しの残薬など、大坪さんが管理していた物を合わせても、少ない。
『あまるていあ』の住人から卒業祝いでメッセージカードが送られたようだが、暖かくなってきて路上生活がしやすくなり、白妙さんはまた失踪したらしく、隙間が空いていた。
引っ越し業者の手伝いをして、荷物をトラックの荷台に乗せた。
はとちゃんは別れを惜しんで、居合わせた住人たちと話をしている。
柴さんは何度も何度も「達者で暮らせよ」とはとちゃんの肩を叩いてエールを送る。
円満くんは最初、上の階でドタバタと足音を立てていたが、下に降りてきた所ではとちゃんが、
「いままでなかよくしてくれて、ありがとう」
と声をかけると、ムッとした表情をゆるめて、おずおずと握手を交わした。
そして、はとちゃんは大坪さんに感謝を伝えようとするのだが、色んな感情が込み上げてきてしまったのか、ついに泣き出してしまった。
大坪さんは中腰になって、はとちゃんと目線の高さを合わせる。
「昭知くん。初めて会った時はお人形さんみたいで、図体の大きい僕のことを怖がっていたよね。少しずつ打ち解けて、今では一緒にお風呂にも入れるようになった。……人生は長いです。何度も間違えるし、何度もやり直せます。気軽に、遠慮なく、連絡してください。……花瓶、渡しておきますからね」
「うん……うん……。ぼくを、病院がせかいのぜんぶだったぼくを、たすけてくれて、ありがとう。お母さんを、たのみました」
大坪さんは何度もうなずき、涙をこらえながら微笑んで、はとちゃんの背中を撫でた。親子ほどの体格差の二人は、まるで本当の親子の別れの姿のように思えた。
荷物を詰め込まれたトラックは仙台に向けて一足先に発った。
手をつないで『あまるていあ』から踏み出すと、はとちゃんは名残惜しそうに振り返り、見送る柴さんと大坪さんに何度も何度も手を振った。
道を曲がって、もう見えなくなると、はとちゃんは俺の手をぎゅっと握って、鼻をすすった。赤い瞳は先を見つめる。
道端に植えられた梅や桜は、薄紅のつぼみを膨らませて満開の春を待ちわびている。桜前線の北上より早く、北へと向かう俺たちにも、あたたかな春は必ず来る。
仙台に着いて、仙台駅前のバス停から新居の最寄りへ。
はとちゃんの手帳だと、こっちでは料金が半額になる。はとちゃんとバスの乗り降りや料金支払いの方法、バス停の名前、駅前の十数箇所もある乗り場を確認する。
新居に着いて、あらかじめ郵送して貰った鍵で中に入ると、
よお、待ってたぜ、って顔でむむが玄関先で寝転んでいた。
はとちゃんは喜んでむむを撫で回した。むむはまんざらでもない感じで喉をゴロゴロ言わせている。
マジでお前、家猫になるのか。というかもしかして、おばあちゃんに餌付けでもされていたのだろうか?
ここまで引っ張ってきた大型のスーツケースを開き、掃除用具を取り出して、家の中を二人で掃除した。
むむが粗相した所や高い所のほこり、壁紙についた汚れなどが目立つ。おばあちゃんは喫煙者だったらしい、あるいは旦那さんがそうだったのだろうか、換気扇から煙草の渋い臭いがする。
そうして二人で汗をかいて、外はもう夕日が落ちる。暗くなるのが早い。
大坪さんの紹介してくれた病院は徒歩圏内だから、出来れば二人で道を確認したかったが、暗くなるとそうもいかない。それに、あまり1日に覚えることを詰め込んでも、はとちゃんには辛いだろう。
近くのスーパーでお弁当とジュースを買って、こたつで食べた。足元でむむがちょっかいをかけてくるので、鮭の身を少し分けてあげた。はとちゃんは自分の分までむむに食わせて喜んでいる。
「……こたつの布団も追加で買わなきゃな。お布団はかさばるから通販にしたんだけど、今晩は届かないんだ。スーツケースに毛布を入れてきたから、今晩だけはそれで我慢してくれるか?」
「うん。じゃあ、どこでねようかな。しゅうとさんのかいしゃのスーツケース、おっきいからぼく、入ってねるかな」
実際、入れそうなのが凄い。でもなんでこの子はわざわざ妙な所で寝ようとするんだ?
「あっ、でも、押し入れある。押し入れでねます」
「お、押し入れで? 狭いし暗いし床固いし、畳で寝ようよ」
「押し入れ、おちつくんだよ。ぼくねえ、中学生のころ、お母さんのしんせきのおうちにいてね、押し入れがぼくのおへやだったんだよ。ごはんも中で食べてたの」
うわ、ちょっと待って。明らかにそれは……家族団らんに入れさせないで、除け者にされてたっぽいな……?
どうしてお前はそんなに不憫なエピソードに事欠かないんだ……もう絶対に俺の手で完膚なきまでに幸せにしてやる……。
水道の点検は来たが、ガスの点検は明日。
風呂に入れないわ布団も無いわで、せっかく二人暮らしが始まった夜なのに、抱くに抱けない。
薬を飲んだ後、本当にはとちゃんは押し入れの下の段に入っていったので、仕方なく俺は毛布を持って一緒に中に入った。
足が伸ばせない。背中が固くて痛い。はとちゃんは押し入れのふすまを閉め、真っ暗な中でぎゅっと身体を密着させてくる。毛布を広げて二人で分かち合うと、懸念していたほど寒さは感じない。
二人の吐息と心音と、むむが畳の上を歩く足音と、遠くから大通りで車が走っていく音が聞こえる。
……思えば、俺たちはろくでもない出逢いから始まって、とんでもない経緯をたどって、それでも今、こんな妙にプラトニックな夜を過ごしてるんだな。
眼鏡を外してぼやけた目が暗闇に慣れて、はとちゃんの表情がうっすらと分かる。
うっとりと口元に笑みを浮かべながら、俺の身体に身を寄せて瞳を閉じている。
「……愛してるよ」
両腕でそっと抱き寄せて呟くと、はとちゃんはぼんやり瞳を開き、身を預けてくる。
「ぼくがじゃまになったら、いつでも、すてていいからねえ」
この期に及んでまだそんな卑屈なことを言うのか、筋金入りだな。
「俺たちは、俺たちの場所を2人で作ったんだ。はとちゃん、ここは俺の家じゃなくて、俺たちの家だよ。もう、遠慮しなくていいんだ。かけがえのない人を、捨てられる訳がないじゃないか」
はとちゃんは俺の背中に腕を回して、きゅっと抱きついた。喉元にしずくが落ちてくる。
「……ぼくは、ぼくのせかいは、やさしい人たちのおかげで、どんどん、広くなる。しゅうとさん、たすけてくれて、ありがとう。ぼくのばしょをくれて、ありがとう。大好き、大好きです」
足も絡めて全身でしがみついて気持ちを伝えてきて、だけど不思議とやらしい気持ちにはならない。
まるでパズルがぱちりと噛み合って完成したかのような満足感が、胸で充満する。
狭苦しくて暗い押し入れの中、母親の腹の中ってこんな感じだったのかな、なんて思う。
俺たちは2人でひとつになって、これから生まれ落ちて、全てが始まる。
唇を触れ合わせると、もうそれだけで無敵になれた気がした。
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