アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
へし折った飴細工 ep.1にしおりをはさみました!
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
- しおりがはさまれています
-
へし折った飴細工 ep.1
-
「さぁ、お乗りなさい」
ウサギは例の車の後部座席へ導いた。ここにおいて、ヒユウには全く断ろうという気がなかった。勘当された身であるのだから、どこへ連れ去られようとも誰の心配もかけない、誰かを恋しくなることもないーーもう人格を否定した親への拘りは失せていたーーという自暴自棄さが、彼の頭を占領していたのである。
気怠そうな返事がマスクの中で反芻した。まるでこの世の全てを見限ったような声をしている。
「いらっしゃい、こんにちは 」
ダークブラウンに髪を染めた男が、助手席から振り返った。口元をそっと上げる妖艶な笑みは、彼の一切をミステリアスなオーラに包んだ。そもそも、男なのか……ゴツゴツとした喉仏の存在と、掠れ気味の低い声だけが、彼を「彼」という定義たらしめた。
「私は姫谷と言います。突然で驚いたことでしょう? でも私たちにとっては、全く突然じゃなかったんですよ 」
何のことやら、とヒユウは惑う。
「それに父さんったらあんな格好しているんだですもの。おかしいったら 」
姫谷は、陶器のように白くてほっそりとした指を口元に手やって、ふふふと笑った。
「あなたはどう思った?不審に思ったでしょう?どうしてこんな姿をしているのかってね 」
まるでヒユウの反応を見ようともしない。困惑の声をも挟ませはしまいと、矢継ぎ早にまくし立てる。
一見寡黙な人かとは思われたが、違うのだろうか。静かな物言いではあるが、薄い桃色の唇は閉じる事は知らない。
「きっとマナビに押し付けられたのね。父さんったらマナビには甘いもの 」
彼は、ケラケラと声を上げて笑う。いよいよ、どうしたものかと困惑していたところ、
「静かにしないか、姫谷。ヒユウ君が困っている 」
苦笑いをした早老の男性が、にゅっと車内に顔を突っ込んだ。新たな人物への登場に、ヒユウはさらに身を硬くする。しかし、これを持っていてくれないか、と渡されたウサギのマスクは、先程までヒユウの前に立っていた男のものだ。ああ、あのウサギの下にはこんな顔が隠されていたのか。ヒユウはまじまじと早老の顔を見つめた。彫りの深い柔和な顔。殺伐として乾ききった世の中で、これほどまでに穏やかな顔が出来る男性などいないだろう。
「隣を失礼するよ。いきなり無粋な初対面にしてしまい申し訳ないことをしたね 」
「いえ……」
節ばった手が、肩を優しく叩いた。スーツの袖口からタバコの香りが微かに届く。
「姫谷も話しをしたいのだとは思うが、先ずは私から話をしてもいいかね? 」
もちろん、姫谷は軽やかに歌った。
「春日、車を出してくれるか? 」
「ええ、行き先は家で構いませんか? 」
春日、と呼ばれた男は筋肉質の寡黙な男で、運転手役を担っていた。今までも姫谷のお喋りを静かに横目で見守っていて、我を出さない印象をヒユウは受けた。
「ああ、構わないさ 」
元ウサギは、彫りの深い顔を綻ばせて答える。柔らかい笑顔であった。ヒユウが彼に感じていた先程までの不気味さは、まるで砂塵のごとく吹き飛んでいく。一種の安堵さえも、もたらすような優しい微笑みであった。
そこへ、
「待って、今晩の夕食にハルが煮込みハンバーグを食べたがっていたの。スーパーに寄ってくれる?お肉が足りないわ 」
と姫谷が春日の黒い短髪をかき混ぜながら、甘えた声を出す。
ヒユウは、ハル、マナビという実体が分からない名前を頭に並べた。どちらも子どもなのだろうか。彼らの話から察するに、2人は大人には無い無邪気さを持っている。そもそも、この3人と2人の子ども(と思われる)の関係は何であろうか。見たところ、血の繋がりがあるとは思えない。ヒユウは注意深く其々のやり取りを見守った。
春日がバックミラー越しに早老の反応を伺う。
「構わないよ。 ハルが食べたがっているんだ。寄ってあげなさい 」
「ありがとう父さん。助かったわ 」
姫谷は、春日の頰に口づけをした。そして「運転、よろしくね 」と流れるように、彼の人差し指にもキスをした。
「ああ、ありがとう 」
まるで何も起きなかったのように、車はエンジン音を立てる。
(ああ、なるほど……)
彼らも自分の仲間か、とヒユウは心を薄暗くさせた。昨晩の親の狂乱を思い出したのである。
古老はそんなヒユウへ苦笑いを寄越すも、何も言わなかった。
「私の名前は与惣正昭と言います。 これからよろしくお願いしますね 」
(よそまさあき……)
ヒユウは、心の中で彼の名前を繰り返して、与惣の握手に応じた。
何をよろしくされるというのだろうか。これから先が見えないで、車はヒユウの知らない景色の中を走っていた。
近所の公園にいたはずなのに、まだ発車してから数分も経っていないのに、何処をどう通ればこんな道に出るのだろう。ヒユウは19年間住み着いた町のこんな表情を全く知らなかった。
「さっき姫谷が言ったように、私たちは君のことを知っていたんだ。少し前からね 」
『少し』を強調するように、与惣は小首を傾げて、人差し指と親指でほんの少しの隙間を作ってみせた。
「私はこの社会から少し生きづらくなった子供たちを、屋敷に集めて住まわせているんだ。君にも心当たりがあるだろう? 」
ん?違うかな? とヒユウの表情を探った。
「君のように私が引き取った子供は他に5人……尤もこの2人は子供という年齢ではないがね 」
すると間髪入れずに姫谷が振り返った。
「失礼ですよ、父さん。私たちには子供のような可愛げがなくってすみませんね 」
「茶々を入れるのはよしなさい……お前が口を開くと……話が進まない 」
与惣は言葉を選んだようであるが、結局選択肢が乏しかったらしい。大した捻りも遠慮もない返答となった。姫谷は納得できない表情を浮かべながら、隣の春日に大層辛辣な言葉を吐き出し始めた。言い切られたことで無くしてしまった、与惣への反論の捌け口のつもりなのである。姫谷を適度にあしらいながらも、顔は真っ直ぐフロントガラスの向こうを向いている。堅実な男なのだ。
「話を戻そうか。私は何も慈善団体の会長でもなんでもない。ただ、ちょっとした気紛れで迷子の手を引いてあげるんだ。 君のことは、ちょっとしたきっかけで知ることになってね。是非自邸に招き入れたいと思った次第だよ……皆んなのびのびと暮らしている。まるで本物の家族のように、かといって縛られることはない、当に悠々自適な生活をしている。ヒユウ君も、ね、思う存分羽を伸ばしてほしい 」
頰に掘られた深い皺が一層濃いものとなった。この男がもつ笑みの優しさは、天性のものであろう。ヒユウは数度この笑顔を見ることになったが、その度に心の中に巻き起こった「おや? 」という疑念は、瞬く間に薄れてしまうのである。現に、「なぜ自分のことを知ったのか? 」などという一切の困惑が、「この人なら信用しても……」という安心感に包まれて消えてしまうのであった。それほどまでに、与惣が纏うもの雰囲気というものは常人を逸脱したものなのである。
「それで、俺でいいんですか? この世に俺より不幸な人なんてゴマンといるでしょう…例えこの街の中に限ったとしても、です 」
「勘違いしないでほしい。私は何も不幸な人を探しているんじゃないんだ。社会というチームからはぐれてしまった子どもを……もっと言うならこの社会で生きるべきではない子どもを迎えに行くだけなんだよ 」
「この社会で生きるべきではない子ども……」
ヒユウが重々しい顔をすると、
「なに、ちょっとした言葉の言い回しさ。気にしないことだよ 」
と、与惣は例の笑顔でまた有耶無耶にしてしまった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
3 / 12