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へし折った飴細工ep.6にしおりをはさみました!
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へし折った飴細工ep.6
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黙して手を動かすことは得意であった。子供の頃からずっと。それは、ヒユウが親から与えられた最大の躾でもあるし、大概は彼の印象を陰鬱としたものにせしめた。
両親はヒユウの行為に干渉しようとはしなかったし、また反対に、彼に干渉させようとしなかった。故に、何をするにしても一人が当たり前、なのだ。本当は、学校で習ったことを得意げに母に聞かせながら夕食を一緒に作りたかったし、休日には父親と釣りにいってみたかった。しかし、両親は幼いヒユウを持て余し、それに応えることはできなかった。もし、自らの家庭を「こんなものか」と早々に見極めをつけて、理想の家族像というものを荼毘にふしていたのなら、彼の性分はまた少し変わっていただろう。しかし、ヒユウは相当のロマンチストであって、現実主義者でもあったから、彼の現状の家庭を受け入れながらも、子供の頃に持っていたげんこつ一つぶんくらいの家族像と一緒に成長してきたのである。大人の体になっても、心には幼い自分がいつまでも住み続け、ただ、成熟していく精神には少し相いれない存在として、肩身を狭そうにしていた。
少年の自分が寂しさに泣き喚いたとしても、大人のヒユウは黙止をきめこんでいた。煩いと恫喝することも、慰めることもしない。ただただ、宇宙に漂う手紙のように、誰もいないゴミ捨て場で電波を拾い続けるラジオのように、少年の声は周辺に響いてやがて消えた。
そんな風に20年少しを生きてきた。尤も幼いころは、心の中の自分に向き合ったりもしたのだが、やはり家庭環境が少しまずかったらしい。自分と自分のひそひそ話は、心という防音壁に守られて、外に漏れることも目を向けられることもなかった。
黙々と何かに取り組めば、一人が好きなのかと人は遠ざかる。しかし、この男の心理は反対で、心の中に住む幼い自分が、遠のいていく人たちを未練がましく見つめていた。
ふ、と幼い日々を思い返していると、隣から
「料理は得意かしら」
とここ数時間のうちに耳になじんでしまった声が飛んできた。
春日との買い出しを終えたのちは、どこにも行かず彼らの家だという古い洋館へ連れてこられた。そこは鬱蒼とした森の中にあって、しかし、木立は屋敷に遠慮したように屋根を枝で隠さない。赤茶けたレンガをつみあげた外壁が真冬の下に冷徹な印象を与える。まるで監獄のようである。それは、無数に張り巡らされた蔦によって助長されていた。
車内から真冬の乾いた土の上に足を置くと、背後で森が揺れる。さようなら、と昨日までの日常が別れを切り出したのだろう。ウサギに誘拐された数十分はヒユウの人生に風雲急を告げた。ただ、それはヒユウ自身が望んでいたことであった。「どうとでもしてくれ」と毒づいた半面、「どうとでもしてほしい」というのが本音であったのである。幼いころから生まれてきた現実と理想の乖離は、今まで耐えてきたものにも関わらずある日突然はじけた。風船は空気を入れ続けるといずれ割れる。そんな風に、精神の均衡があっけなく破裂したのが昨晩であった。故に何の準備もないまま、気がつけば家を飛び出していたし、ぐにゃりと歪んだ心中を整理することができないまま、公園のベンチで一夜を明かす羽目になっていた。飴細工のように簡単に形が変わることを知った日常は、そのままヒユウを歪んだ世界に連れ去った。「これからは、こちらの世界があなたの現実よ、昨日までの日々は昼間の夢、起きなさいな」誰かが告げた。洋館の二階の窓から見下ろすカラスかもしれなかった。
春日に導かれて、家に入ってからは気が抜けるほど何も起こることはなかった。姫谷が車内でしきりにいっていた「家族」とやらも、彼ら3人以外には見受けられず、閑散としていた。尤も、一番初めに通された食堂と銘打つ場所には、ほかの居住者の生活の跡が垣間見られたが、彼らに遭遇することも紹介されることもなかった。屋敷内も水場と食堂のみを案内されただけで、この家と人びとへの未知が具体的なものになった以外は変わらない。屋敷があれほど大仰な見た目をしている割に、中はいたって平凡な家の作りになっていたことには拍子ぬけしたが……。靴を脱ぎながら「見掛け倒しなのよね」と姫谷がヒユウの心を見透かして笑った。
とにかく、整理する手荷物もないままに連れてこられたのだから、特段何もすることがなく、何もできることがなく、食堂をぼんやりとながめているばかりのヒユウであった。春日と与惣は早々に二階にあがってしまい、ヒユウの相手をするのは姫谷一人。何か話をしてくれればよいものを、彼は若草色のエプロンをなげてよこした。そして、先ほどの台詞である。
一々がわざとらしい物言いで、キツネ面のように弧を描いた目と口で、目の前の相手の正気をなぶってくる男。このような人物に出会ったことのないヒユウは、彼の心中を微塵も理解できずにいた。姫谷の問いかけも十分にこたえられずに、手招きされるままキッチンへ。先ほど購入した食材の山をくずしながら、ヒユウにそれぞれの場所におくように指示をした。
「夕食をつくりましょう」
「はあ」
気の抜けた返事に姫谷は鼻で笑う。笑ったものの、すぐに頬を緩めてヒユウの真横にピタリとついた。
「初めてでしょ、こうして家族とご飯の用意をするなんて」
どうしてしっているのか。否、知っていても不思議ではないだろう。彼らの口ぶりからすると、ヒユウの今までの日常をまるですべて覗いていたようであった。だからこそヒユウをこの家に連れてきたのだ。
「家族どころか誰とも」
頬に触れる姫谷の柔らかい髪の匂いを感じながら少しだけ目線を上げた。姫谷の口元に薄桃色のリップがぬってあるのを知った。
「少し期待しています」
ヒユウは幼いころの自分が腰を上げたのを感じた。
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