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「…はい、それでこちらに会長の印鑑を…」
ようやく真面目な顔をした夏原が、火宮に指示を出しながら書類作成に励んでいる。
俺は名前をもう書いてあるから、後は火宮たちが色々と書くだけでいいらしくて、のんびりとそれを眺める。
「成人の証人を2人…」
「真鍋、書け」
不意に、火宮がペンを差し出して真鍋を呼んだ。
「ありがとうございます。慎んで」
何だか嬉しそうだな…。
まったく動かない無表情だけど、纏う空気が明るくなったのは感じた。
「じゃぁ能貴の隣のもう1つの欄は」
俺かな、とニコニコしている夏原が見えて。
「あっ、あのっ…」
俺は思わず声を割り込ませていた。
「翼?」
怪訝な3人の視線が向く。
「あ、あの…その証人っていうの、大人なら誰でもいいんですよね?」
「え?うん。20歳以上なら誰でも」
ストップをかけられた夏原が、それでも嫌な顔1つせずに、ニコリと笑って教えてくれた。
「どうしたの。誰かお願いしたい人がいる?」
ふわりと優しく入り込んでくる声や雰囲気を持つこの人は、やはり優秀な弁護士なんだろう。
遠慮なく何でも話せる気がするから不思議だ。
「あの、はい、その…」
チラリと火宮を窺ったら、ますます怪訝な表情が返ってきた。
「翼?」
「っ…あの…」
おまえに親類縁者、友人はもう1人もいないはずだが、って?
そうなんだけど、友人とはちょっと違うけど…。
「無理かもしれないんですけど、その、俺は、七重さんに証人になって欲しいかなって」
上の組の親分さんにこんなこと、やっぱり駄目かな…。
「オヤジか…」
「あっ、駄目ならいいんです」
「いや、喜ぶだろう」
そうなんだ…。
「じゃぁ…」
「わかった。真鍋」
「はい、アポを取っておきます。退院後でよろしいですね?」
「そうだな。ここに来てもらうわけにもいかないだろう」
そっか。本家にサイン、もらいに行くのか…。
「あの俺っ…」
「もちろん連れて行く。報告も兼ねてな」
ニヤリと笑った火宮の内心は、言われなくても分かった。
自慢する気だ…。
また何か弊害が来ませんようにと思わず祈る。
「ふっ、これで入籍か」
「入籍って…」
まぁ養子縁組だから間違ってはいないけど…。
「披露目式の準備をなさいませんとね」
「披露目式?!」
また何か大袈裟な…。
「指輪が出来てからがいい」
「かしこまりました。またスケジュールを確認しておきます」
「頼んだ」
俺的には、特に目に見える何が変わったわけでもなく、これと言って実感はないんだけれど。
「何だか大事みたいで…ちょっと」
「安心しろ。身内だけだ」
「え?」
「うちの…蒼羽会のやつらに、これが俺の本命だ、舐めるな、と顔見せするだけだ」
「そ、うですか…」
まぁそれくらいなら仕方がないか。
火宮の隣に立ち並ぶと決めたからには、これくらいのことはこなしていかないとならないのだろうし。
「「火宮翼か…」」
「えっ?」
「クッ、被ったな」
「っ、もう…」
なに同時に呟いちゃったんだろう。
シミジミと噛み締めた声まで揃って、なんだか照れくさい。
「オヤジにサインをもらって、役所に行くのが楽しみだ」
「あはは」
「これで俺は、法的にもおまえと…」
繋がる。
紙切れ1枚の話でも。
俺と火宮の歩く道が。
「おめでとうございます」
「まだ気が早い」
真鍋の言葉に火宮が苦笑する。
「でもあと証人欄だけですからねー。おめでとうございます。おめでとう」
俺に向かっても微笑みかけてくれた夏原に、なんだかジワリと嬉しさが込み上げた。
「さてと。じゃぁ能貴、俺たちの入籍はいつにする?」
ぶっ…。
この空気で、そう来るの?この人。
思わず吹いた俺は、もう本当、どこまでも夏原すぎる夏原に、敬意すら感じ始めた。
「…精神科の先生をお呼びいたしましょう。失礼します、会長」
冷ややかに言って、火宮のベッドに近づいた真鍋が、ナースコールを手に取ろうとしている。
これまた安定の真鍋だなー、なんてそれを眺めてしまう。
「待ってよ。だから俺は病気じゃないって」
「ご自覚なされていないところがすでにご病気です」
「わー、酷い。だからたまらない。ねぇ能貴、今日こそ俺と付き合おうよ」
「お断りします」
うん。鮮やかな笑顔と、相変わらずの即答ね。
「通算216回目」
本当、懲りないなぁ、この人も。
「はぁっ。用事がお済みでしたら、そろそろご退室願います」
「そうだね。会長のお身体に障ると悪いからね」
「翼さんも、本日は1度お帰りになられて下さい」
え。俺も?
「あの…」
「今日は駄目ですよ。あなたがいると会長が休みませんので」
「でも…」
いくら何でもそんな連日することはないと思うんだけど…。
散々説教されたばかりだし。
「ククッ、翼。俺はもう大丈夫だ。今日はゆっくり風呂に入って、しっかり休んでまた明日来い」
「火宮さん…」
でも離れ難い…。
「ふっ、仕方ないな。真鍋、夏原、後ろを向いていろ」
「はい」
「かしこまりました」
え?
「ほら翼」
その広げた両腕は「来い」ってこと?
そっと火宮の側に近づいたら、グイッと腕が引かれて…。
「んっ…ぁ…」
甘い甘い口づけが、蕩けるような優しさで、唇に落とされた。
「いいなー」
ポソッと呟やかれたのは、夏原の声で。
ちゃっかり覗き見とか、本当、この人は。
「………」
しかもまるで要求するように、真鍋にチラッと視線を流しているし。
その真鍋は俺からは見えないけれど、背中に感じた冷気が、真鍋の様子を見る以上に語っていた。
「ククッ、いい子でな」
「はい」
温もりの残る唇にそっと指で触れる。
「明日また、朝一番に来ます」
「あぁ、待っている。じゃぁな、気をつけて帰れ」
「はい、火宮さんもお大事に」
ふわりと笑みを向けたら、火宮もにこりと笑ってくれて、あぁ、これが幸せだぁ、と胸が温かくなった。
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