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ロミオとジュリエット 60にしおりをはさみました!
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ロミオとジュリエット 60
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結に、7月には会えると言っておきながら、それが叶わなくなってしまった。
私は、ドイツに戻り、試合をこなした後、2022年のW杯に向けてブラオミュンヘン幹部と話し合いのため、ドイツに残らねばならなくなった。
ブラオミュンヘン所属の選手に、ドイツ代表が多いからだ。
2022年のW杯開催は、不透明だと私は思っている。
出場国は、数々の予選を勝ち抜いて来なければならない。今年も開催されるはずの予選が出来ないでいる。
そんなこんなで、私はまだドイツから離れられない。
今、ドイツと日本は、よほどの理由がない限り、互いの渡航は不可能だ。
私は、ドイツに仕事と住まいがあり、入国できたが、同行できるのは家族のみだ。
私と結は互いに家族だと思ってはいるが、如何せん法的には他人だ。
結は、9月にパリオペラ座で舞台が開始されるかもしれないと言っていた。
結がフランスに戻ってしまったら、ドイツにいる私と会えば私たちはお互い2週間隔離される。
会う度、隔離だ。
毎週、舞台のある結と試合のある私が、そんなことが許されるわけもない。
結と電話で話すより、顔の見えるZOOMを使おうと、結をLINEで誘った。
ZOOMは、会議で使う映像と会話が出来るシステムだ。
LINEでOKの返事が来て、時差を合わせるため明日の夜と言うことになった。
ドイツ時間17時、日本時間24時。
24時と言う結の希望時間が遅いのが少し気になった。
結はそんなに宵っ張りではない。
24時少し前に、ZOOMに招待したが、なかなか結は出て来なかった。
「元気か、結。遅くまで何していたんだ?」
「うん…、ちょっとお仕事。」
結は、画面の向こうでアイボリーの壁の前にいた。
結の両親のいる家だろうか。
黒いシャツを着ている結は、肌がほの白く見え元気がなさそうだ。
「どうした、結?元気がないみたいだが。」
「そうだね、今日は撮影で疲れた。」
「撮影?」
「W杯のアンバサダー計画。政府のお抱え広告代理店で宣伝用の映像撮ったんだ。」
「え?」
パンデミックでW杯どころじゃない…、なんて言わないよな、政府や広告代理店は。
W杯は、チケット、放映権、観戦ツアー、スポンサーグッズなど巨額の利益が見込まれている。感染症なんか潰されてたまるかとでも思っているのだろう。
「広告代理店の偉い人がね、感染症パンデミックで大変な時期だからこそ、道ノ瀬くん、君の力が必要だって言ったんだ。W杯の優勝杯レプリカを持って、スタジアムに立つ君を撮りたい。デジタル広告を作りたいって。それを撮って来た。」
「アンバサダーになりたくないって君は言ったのだろう?それなにの無理やり連れだしたのか。」
「断れなかった…。僕が所属するパリバレエ団も、この件には賛成なんだ。半月もすれば、駅のデジタルサイネージやネット上に僕のこの広告が流れるよ。」
「東郷さん、指輪している?」結が別れ際に言った。
「しているよ。試合の時以外は。結は?」パリで買った、結と私の結婚指輪だ。
結が左手の薬指にはまった指輪を、こちらに見せている。
「僕も仕事の時は、外すから失くさないようにしなきゃ。」
結は指輪を少し眺めていたが、やがて顔を上げて言った。
「東郷さん、離れていても、毎日この指輪を僕だと思ってキスして。」
「わかった。」
「必ずだよ。」
「必ずするよ。」
互いに指輪に1回、画面に1回、おやすみのキスをして、ZOOMを切った。
帰国が許されるなら、2週間隔離されても良いから、結に会いたかった。
ドイツの自宅では、猫3匹がくっつくでもなく離れるでもなく、私にまとわりついてくる。
私が留守の時は、お手伝いのジップか庭師のパウルが猫に食事を与えてくれるので心配はない。
久々にドイツの家に帰宅した私に、猫たちは「あ、この人返って来たのか?」と言う顔をした。
猫なんてそんなものだ。
それでも、赤ん坊の時から私が面倒を見た黒猫のアルマーニが最初に私の所に寄って来た。
パンデミックの前は、結が来たり、ブラオミュンヘンの選手たちが来たり、私の家は来客で賑やかだった。
今は、この家もすっかり静かになった。
元旅籠なので、部屋数だけは沢山ある。
夜になれば、ジップと庭師のパウルは帰ってしまい、猫3匹と私だけだ。
郊外の木々に囲まれたこの家は、夜のしじまに静まり返っている。
結を、この家に迎え入れたい。
パリの結のアパルトマンでも、日本の家でも良い。
とにかく結と一緒に私もいたい。
私も、結と出逢うまで、この家でひとりでいても何ら寂しさを感じることはなかった。
ひとりの時間を楽しんでさえいた。
何の物音もしないこの家で。
しかし今はどうだ。
結が、私と出逢い、寂しさを知ったように、私もまた結がいないと…。
見上げた視線の先に、暖炉の上に黒猫のアルマーニがいた。
私に、何か言いかけて口を開けたが声を出さなかった。
忙しく半月が過ぎた。
フライブルクは、南ドイツで夏はかなり暑い日がある。
40度を超えることもある。
これをエアコンなしで過ごすのだから、日本とどちらがいいかと言えばどっちもどっちだ。
私の家は、郊外で少しだけ標高があるので少しはましだが、それにしてもこの日は暑かった。
そんな暑い日に、ジップが汗だくになって部屋を掃除してくれるから庭師と2人分、冷たいカフェオレを入れてやった。
牛乳を製氷皿で凍らせておいて、コーヒーに入れる。
次第に、牛乳氷が溶け出し、水の氷と違い、最後まで濃厚なアイスカフェオレが楽しめる。
猫たちの皿にも、ミルク氷を2個ずつ載せてやると、ペチャペチャとなめ始めた。
いない結の分も作り、グラスをカチッと鳴らして小さく乾杯して飲んだ。
その時、居間の電話が鳴った。
電話に近づくと見知らぬ番号の着信だった。
”はい、東郷です。”とドイツ語で出た。
返って来たのは、日本語だった。
「お久しぶりです、監督。在独日本大使館の五代憲です。」
「五代さん…。」聞きたくない声だ。
「今は、ドイツにお戻りですね。監督、ネットでご覧になりましたか?!道ノ瀬結氏のW杯宣伝用のデジタル映像、大好評ですよ。」
「いや、見ていません。」
「素晴らしい出来です。」
「五代さん、あなた方政府関係者は、このパンデミックの最中、W杯タカール大会を通常通り開催できると考えておいでなのですか?パンデミックは再来年2022年で収まる保証はありませんよ。再来年収まっていたとしてもいきなり出来るものではないのです。選手は3年も前から予選を勝ち抜かねばならないのです。」
「ええ、分かっています。でも、ほかに選択肢があると我々は考えていません。」
「巨額の利益が見込まれているのはわかりますが、経済ばかりを押して、感染防止を無視すれば、感染者は増える一方でしょう。それで開催できますか?世界中から選手や観客が押し寄せるのですよ。」
「感染対策は取ります。現に、W杯予選を行う際、選手たちは厳密に検査されているでしょう?
感染蔓延させないために、感染ルートが徹底的に洗い出されています。
ただ、ここに新たな問題があります。」
何をいまさら。
感染ルートの分からないのが7割超えていると聞く。ルート洗い出しなんて、蔓延してしまった以上、一部の効果でしかない。
しかし、五代はなおも続ける。
「問題とは、誰と接触したかということを明かす行為によりスキャンダルが露呈するリスクです。
道ノ瀬氏にスキャンダルでも出たりしたら、巨額のW杯利益が泡と消えてしまいます。」
「それは、道ノ瀬さんを利用しようとする、あなた方の都合でしょう。なぜ、道ノ瀬さんが、あなた方の勝手な利益の犠牲にならなければならないのですか?」
「今更遅いです。10社もスポンサーがついていることから分かるように、彼の価値を誰も放ってはおきません。企業も国も。 素直で、愛らしくて、世界的な影響力のある若者なんてそうそういません。
彼は、神に愛された若者なのです。」
「道ノ瀬氏が人としての幸せを求めてはいけないとでも?私たちは一度は世間にパートナー関係であることを公表しています。」
「人の噂も75日です。もう忘れています。
それに、道ノ瀬氏のような清廉な人物にスキャンダルがあったら一般の人々は信じたくないと思うでしょう。」
「スキャンダルではありません。」
「政治家も、官僚も、スキャンダルだと考えています。メディアがそう報じれば一般国民にもそう思わせることが出来ます。」
「あなたが言うことは国家的犯罪に聞こえますが。」
「東郷監督、国家権力と言うものはそう思う人間を言論封殺することも出来るんです。メディアが善人だと報じれば善人、逆の場合も然り。日本のメディアは政府の方に向いてくれますから。
道ノ瀬氏がW杯のアンバサダーになって、集客すれば、パンデミックで活気のなくなった消費者心理を復活させることが出来ます。」
五代が嬉々として言った。
「ワクチンや薬が出来るかどうかもわからないのに、開催するのを前提に考えるのは早計だと思いますが。」
「そのワクチンですよ。それも老若男女知名度が高い道ノ瀬氏に宣伝してもらえば、開発費用も集まります。」
まだ、結を利用するつもりか?!
「東郷監督、あなたが道ノ瀬氏と関わってから、あなたの身辺は平和でしたか?。彼と関わり合いを続けていれば、この先、更にあなたの身辺が平穏でいられないことを覚悟すべきです。」
この男、とんでもないことを言っている…。
結と付き合ってから起きたこと…?
五代が、まるで催眠術でもかけるように、ゆっくりと一言一言、私に言葉を紡いでいく。
「東郷監督、悪いことは言いません。
ご自身の身の危険。お父上、お父上の会社、これ以上何も失いたくないでしょう?」
私の身の危険?私が試合後のインタビューで何者かに毒物を盛られたことか?
私の父の会社に政府から圧力が掛かり、顧客たちが取引停止し会社が立ち行かなくなった。
心労で父が亡くなった。営業利益が減り、社長が急死し、更にはパンデミックが起きた。 今や、父が築いた東郷製作所は倒産寸前だ。
そのすべての原因が、この私。
そのことを、私と結は、家族には話せず、話したら大切な家族の信用をも失う危険がある。
私と結が付き合ったがため、国家権力が妨害しているのは察知していたが、権力側である官僚の五代がそれを認めたのだ。
メディアに垂れ流せば、大変なスクープだ。
いや、五代が言うように日本のメディアにそれが出来る度胸はない。大きな権力を敵に回すことになる。
「東郷監督、これ以上国家権力と闘うのはやめなさい。あなたは最終的に守りたいものがあるでしょう。」
若くても権力側に立つ五代が、私に傲慢な物言いをする。
「”最終的に”、守りたいもの?」
「例えば…、結さんです。」
”道ノ瀬氏”としか呼んでいなかった五代憲が、結を下の名前で呼んだ。
「東郷監督、まもなくあなたには、”日本の裁判所から道ノ瀬さんへの接近禁止の処分命令”が下るでしょう。」
「なんだと…!?」
「道ノ瀬さんは、日本国の大事な要人です。試合で幾つもの国を行き来する感染の危険の高い東郷監督を近付けるわけにはいけません。」
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