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頼朝②流刑人にしおりをはさみました!
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頼朝②流刑人
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流刑
父、兄とはぐれた吾は、それでも懸命に生き残る道を探していた。
永暦元年(1160年)2月9日、吾は近江国で捕えられ、清盛の陣・六波羅へ送られた。
父も兄らも各々に命奪われた。
吾も死刑と覚悟したが、なぜか罪一等減ぜられ、流刑と決まった。
聞くところによると清盛の継母の、池禅尼(いけのぜんに)が嘆願したのだという。
頑是無くて哀れだと言ったそうな。
猛烈に腹が立った。
兄等とて十九や十六だった。
何が頑是無いだ。
長兄は十五で悪源太の異名を持っていたのだぞ!!
だが。
死んでしまえばおしまいだ。
今を生き、明日血刀を携えて、助命した女人を真っ二つにしてやろうではないか。
冷たい笑みを心中に隠し、吾は助命に涙して感謝したのだった。
流された伊豆で、吾は次々浮き名した。
一見すれば堕落の挙。
だが心ある土豪が見れば、吾の存念に気づくと思った。
子が生まれ、一家をなせばいつの日か、平の郎党を挫くことも出来よう…
その一心で浮かれを演じ続けたのだ。
最初の土豪は娘を穢されたと逆上したが、配流先変わって新たに吾を引き受けた、北条某の長女が変わっていて、この頼朝に見惚れたという。
名は政子。
勝ち気が衣を着ているようなおなごであったが、そのくらいでなければ武家の妻女は務まるまい。
吾は政子を娶ったのだった。
最初の子は姫だった。
なあに。
こちらがつけ狙う命は老齢である。
ゆっくり力をつければよい。
ゆっくりゆっくり…
以仁王の令旨
そうもいかなくなった。
治承四年(1180年)、後白河法皇の皇子である以仁王が、平家追討を命ずる令旨を諸国の源氏に発したのだ。
同年四月二十七日、伊豆国の吾のところにも、叔父~父・義朝よりかなり下の弟~である源行家より令旨が届けられた。
吾は軽挙妄動には及ばず、しばらく事態を静観していた。
果たして以仁王なる御仁は、大して粘ってもくださらず、ともに決起してくれた源頼政らとともに、宇治にてあっけなく敗死したのであった。
和同しなくて正解ではあったのだが、この一事で、平氏は再び源氏の再挙兵を疑い始めた。
疑わしきは叩いておこうとばかり、令旨を受けた諸国の、あらゆる源氏の追討を企てたのである。
応挙せずとも危機はある。
もはや潮時は必定だった。
挙兵するより打開なし。
吾も立ち上がった。
父、兄の地
いざ挙兵してみると、伊豆の地はあまりにも、吾にうってつけの場所だった。
隣国相模がもともと亡き父、亡き兄の所領であったこと、父、兄が治めていた時期、領民にはほとんど何らの苦労もなかったこと、父兄亡き後の、平氏や代官たちの横暴が過ぎて、領民は不快を強く覚えていたことなど、すべての事情が吾に有利だったのである。
試みに、打倒平氏を水向けてみる。
すると、坂東の豪族という豪族が、うおおと鬨の声を上げた。
それはまるでうねりにも似て、幼き日、父の許で聞いた陣太鼓と相俟って吾を熱くする。
悪源太の兄が身内に宿ったかのように血が騒ぐのだ。
それでも!
あのときは、兵力が足りなかった。
今もそれは同じである。
あとはそう、大義名分…
以仁王の令旨だけでは弱い。
もっと具体的な…
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