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三章 2にしおりをはさみました!
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三章 2
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――コーリャ、こっちを向いて?
若菜色の瞳の男が、私を抱く。しかし男の顔はよく分からず、その両目の印象だけがあった。
――愛してるよ、コーリャ。君は俺のものだ。
耳元で囁かれる声。私の体を這う男の手の感触。全てが不快だ。
――俺は絶対に君を放さない。俺から逃られるなんて、思わない方がいい。
その声は優しいテノールの美声なのに、感じられるのは嫌悪感と恐怖だけ。男に抵抗しようとしても、動かない体。心を支配する屈辱と絶望。
――もっと俺を感じて。そのいい声をもっと聞かせてよ。
男は何度だって私の中に侵入してくる。嫌だと、止めろと言っても、男は愛していると囁き行為を続けるのだ。
――嫌だなんて、嘘でしょ? こんなに君の体は俺を愛しているのに。
私の体を無理矢理に開いた男。心にまでも忍び寄り、その中に踏み入ろうとしてくる。自尊心を引き裂き、全てを奪おうとする。
――そうやって抵抗しようとするのは止めてさ……俺に全部委ねなよ。
甘い声色で、男は言うのだ。
――そうすれば、楽になるよ。
それでも、この男には屈しない。
この悪魔の言葉に耳を貸さない。
決して心までは明け渡すものか。
絶対に――――
酷く嫌な感覚と共に目を覚ましたニコライ。目の前には先程と同じく、女性の看護師がこちらを見下ろしている。
とても心配そうな顔をしている看護師。
「だ、大丈夫ですか?」
彼女にそう言われ、ニコライは起き上がる。
「ええ。……どうしてそんなことを聞くんです?」
「えっ、あの、時々顔をしかめておりましたから……寝苦しそうで」
彼女の言葉に、ニコライは先程の夢を思い出す。酷い悪夢で、起きた今でも胸の不愉快な蟠(わだかま)りが無くならない。
「そうでしたか。ご心配をお掛けしてすみません」
「いいえ」
ニコライに微笑む看護師。
「昼食を用意しました。食べられますか?」
彼女は持っていたトレーを差し出す。そこには流動食が幾つかの皿に入って乗っている。
部屋に掛けられた時計を見上げるニコライ。丁度昼食の時間で、二時間ほど寝ていたようだった。
「ええ、ありがとうございます」
「ヴィノクール特務曹長、二日前の朝から何も食べてらっしゃらないのでしょう? できるだけしっかり食べてくださいね?」
「はい」
彼の返事を聞くと、看護師はトレーを置いて病室を出ていった。
深く溜め息を吐くニコライ。目の前の料理に目を落とすが、食べる気になれなかった。
――ご飯食べたくないなら別にいいけれどさ、飲み物は飲んだほうがいいと思うなぁ。
悪魔の甘い声が、脳裏をよぎる。
「くっ……」
ニコライは両手を握り締める。
最強の悪魔、ミハイルに勝つことができなかったニコライ。勝負にもならなかったくらいに、一瞬で負けた。そして体を拘束され、二日間凌辱され続けた。
男の自分が犯されるなんて、思ってもみなかった。ミハイルは自分をコーリャと呼び、愛していると何度も言った。それなのに、ミハイルはニコライを手放した。自分の顔をニコライに忘れさせるという暗示をかけて。
――でもね、またこの両目を見たら、君は俺の顔を思い出すんだ。
そして今、ニコライはあの悪魔の顔を思い出すことができない。
悪魔、ミハイルはまた再び自分の前に姿を現す。ニコライはそう確信している。ここに自分を逃がしたのには、何か理由があるのだ。またあの男が自分を捉えに来る。そう思うと恐ろしくて堪らない。あの男には、どう考えても勝てない。
心が苦しい。ミハイルが付けた傷が消えない、ミハイルが犯したこの体が煩わしい。魔力の首輪を付けられた非力な自分。こんな自分ならば要らない。消えてしまいたい。
「ううっ……」
自分が嫌で、泣きそうになるのを堪えた。
その時、部屋の外からやや急いでいるような足音が聞こえた。顔を上げるニコライ。徐々にこちらに近づいて来る足音。それはニコライの病室の前で止まった。そしてドアをノックする、かと思いきや、そんなことはせずにドアは開いた。
ニコライは入ってきた天使を見て、目を見開いた。
ウェーブした黒髪を、今は後ろで一つに束ねた背の高い軍人。何故か肩で息をしている彼、レオはニコライを見るなり少し不機嫌そうな顔をした。
「何だ、元気そうじゃねぇか」
「レオ……!」
今にも泣き出しそうな笑顔を見せたニコライに、驚いた顔をした彼。
「な、何だよ……」
レオは足を止めてしまった。ニコライはベッドから立ち上がり、レオに近づこうとしてバランスを崩した。
「あ、」
「うわ、どうした?!」
咄嗟に腕を伸ばし、彼を支えたレオ。その腕にしがみついた彼をベッドに座らせる。
「何やってんだよ、お前」
「すみません……、ずっと立っていなかったのを忘れていました」
「そうだったのか?」
「…………」
ニコライは急に黙ってしまった。附せられた長い睫に縁取られた双眸は悲哀に沈んでいて、いつもの強さや気高さはない。
珍しい態度ばかり見せるニコライに、レオ。
「訓練が終わったと思ったら急に中隊長に呼ばれた。完全装備で十キロ走った後、急いでお前の病室行け、だぞ?」
彼がやけに疲れた様子なのはその所為だったらしい。人間のように武器弾薬を持つことはあまりない天使でも、完全装備はそれなりに重い。同じことをやったことが何度もあるニコライには、レオの疲労が理解できた。
ニコライは彼を見上げる。
「それは、すみません。私があなたに会いたいと言ってしまった所為ですね……」
彼の言葉に、また驚かされるレオ。
「会いたい? お前が、俺に?」
「……レオ」
ニコライの片手が、レオの手首を掴む。レオは彼の袖口から現れた白い包帯に目を落とした。
「何だよ」
「呼んで、ください」
「は?」
「私を呼んでください」
不思議な要望をされたレオは、彼の淡い青紫をした両目に視線を移す。自分を求めている瞳。強い男であるはずの彼が、レオには今にも壊れてしまいそうに見えた。
「……ニーカ」
昔から使っていたニコライの愛称を口にしたレオに、彼は微笑みを浮かべた。
「ええ……私は、ニーカです…………レオ」
微笑みながらも、ニコライは泣きそうだ。
こんなに弱々しい振る舞いは、いつものニコライには有り得ない。レオは自分の手首を掴む彼の手を放させ、しゃがんで彼より目線を低くする。
「何があった? ニーカ」
レオの質問に、ニコライの表情は今まで以上に辛そうなものになった。
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