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Ⅱにしおりをはさみました!
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Ⅱ
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サウィン祭の日が来ると、オドランの家族は毎年魔除けの火をもらい、どこか無駄なことだと感じつつもきちんとオドランの元へもランタンに入れて届けていた。最初の内は、日々の食料を届けるのと同様に母がとどけに来ていたのだが、いつの間にかそれは妹の仕事となっていた。サウィン祭の日は、オドランにとって、ロナンだけでなく妹と会うことができる唯一の日であったのだ。
その年も変わらず妹が、蕪で作ったランタンに入れた魔除けの火をオドランの元へと持ってきた。
「オドラン……明日の夜明けまで火を絶やさない様にして下さいね……」
食卓を一度も共にしたことのない兄に、妹はいつまで経っても慣れない様で、毎年どこか居心地悪そうにそう声をかけるだけだったのである。それは、オドランも同じで小さく「はい」と言うと、妹と目を合わせる事なくランタンを受けとるだけだった。
そもそも、オドランは妹がいつ生まれたのか知らない。サウィン祭の伝統である、魔除けの仮面を被った姿しか見たことがないので、素顔もわからない。名乗られてすらいないが、誰かが彼女をエレインと呼ぶ声を聞いたような気がする。
「ありがとう。エレイン」
何故、その年は唐突にその名を呼んでみたくなったのかはわからない。去年とは比べものにならないくらい、ぐんと少女から大人へと近づいた彼女の雰囲気に何かを感じ取ったのかもしれない。
エレインは突然のことに目を見開き、危うくランタンを取り落としそうになった。
「オドラン……」
エレインの青い瞳にみるみる涙が溜まり、仮面の下で零れ落ちる。
「ああ……オドラン……可哀想なオドラン」
たかだか名前を呼んだだけなのに、エレインをこれほどまでに動揺させてしまったことにオドランは慄いた。謝るべきかと思ったが、上手く言葉が出てこない。そうこうしている内に、エレインは涙ながらに話し始めた。
自分が間も無く結婚をすること。本当は、オドランにも祝福して欲しいが、それを両親が許さなかったことなど。まるで、その全てが自分のせいであるかのように、エレインはさめざめと泣いた。
オドランはどうして良いかわからずに「もう、いいから……大丈夫だから……」と繰り返し、エレインの肩に手を置いた。記憶のある限り、ロナンやあの女性以外の人と初めて触れ合った気がした。手のひらに伝わる熱が怖かった。
オドランが咄嗟に手を引くと、エレインも弾かれた様に顔を上げた。
「母さんや父さんはそう言うけど、オドラン……いえ、兄さんもお祝いに——」
仮面から覗く大きな瞳が、再び溢れそうになる涙を堪えるために細くなる。釣られて、オドランも目を細めながらもゆっくりと首を横に振った。
「もちろん。もちろん祝福するよ。でも、お祝いの場には行けない。それでも、信じて欲しい。僕はずっとずっと、君の幸せを願うよ。エレイン……」
静かに閉じられたオドランの瞳から、一筋涙が零れた。その涙にエレインは唇を噛んで俯いた。
ふと、オドランの持つランタンの火が消えてしまっていることにエレインは気づく。
「兄さん、ランタンの火が——」
「いいんだ。エレイン……さあ、もう行って」
「でも——」
「いいんだ……」
自らのランタンから蝋燭を取り出そうとするエレインの手を制止して、オドランはもう一度、緩く首を振った。
「そんなことをして、君の火が消えてしまったら大変だ。僕は大丈夫。だから、もう行って」
「兄さん……」
エレインは、ひどく悲しい気持ちになってオドランを見返したが、もうオドランは目を合わせようともしなかった。お互い伝えたい気持ちは言葉にならず、ただ沈黙だけを噛みしめる。
「エレイン……幸せになるんだよ」
いつ消えるかわからない灯火の様に、静かで儚いオドランの声が空気を揺らした。エレインは、夢から覚めた時のような錯覚に、ハッとしてオドランを見ると、そこにはただただ優しいだけの微笑みがあった。
「ありがとう。兄さん」
エレインの胸には、諦めなのか安堵なのかわからない気持ちが渦巻いていた。ただ、わかるのは、オドランと会うのはこれで最後になるだろうと言うことだった。
「さよなら。兄さん」
涙を堪えて呟くと、エレインは仮面を外し、オドランの頬にキスをした。最初で最後の温かなキス。
初めて見るエレインの顔は、春に芽吹く小さな花の様に可憐で美しいと、オドランは思った。
「さよなら……エレイン」
遠ざかって行くエレインの足音に掻き消されるくらいの小さな声で、オドランは呟いた。
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