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関わらない様にしようと思っているのに、何故かいつも私の視界の隅には井上さんが居た。
井上さんは一言で言うと 武士(もののふ)の様な人だった。
凄く仕事が出来る。そして余り笑わない。というか 仕事中にムダ話をしない。話す時は真っ直ぐ相手の目を見据えて反らさない。簡潔で単刀直入、前置きも余計なアドリブもほとんど無い。
かと言って 職場で孤立しているのかと言えば そんな事ない。寧ろ、周りからは一目置かれてる雰囲気さえ漂っている。
今まで私の周りには居なかったタイプだ。
ある日、昼食から帰って来たら 井上さんが廊下で電話しながら笑ってた。凄く柔らかくて優しい笑み。そんな表情を見たのは初めてで、直感で相手は彼女だと思った。
あの井上さんに こんな顔をさせるなんて どんな人なんだろう…。
何故だか心臓が痛い気がした。
その時 不意に『マコト』と呼ぶ声が聞こえた。
マコト…?
急に鼓動が激しくなる。
違う、麻琴じゃない…、麻琴の訳がない…。
有り得ない想像を必死で打ち消しながら、でも一方で『マコト』さんに対する逆恨みにも似た黒い感情が湧いた。
自分にも あの笑顔を向けて貰いたい…
『マコト』さんに負けたくない…
井上さんが欲しい…
その時初めて自分の気持ちに気が付いた。
そうか… 私は井上さんが好きなんだ。
ストンと胸に落ちた。
何故いつも視界に入ってきたのか、それは私が井上さんを見てたからだ。
気付いてしまえば納得だった。井上さんの仕事に対する取り組みも 何気無い立ち居振舞いも、ちょっと悪そうな見た目も、その一つ一つが私の琴線に触れた。
『マコト』さんに恨みは無いけど 井上さんが欲しいと思った。私がその気になって落ちなかった人は 過去一人。でもあの時と今とじゃ私の本気度が違う。
絶対奪える、そう思った。
早速 翌日から井上さんを落としにかかった。
遠藤さんに言われた言葉は頭から滑り落ち、私のベクトルは完全に仕事から井上さんに移っていた。
初めは簡単だと思った。今まで 私からアプローチすれば 皆簡単に落ちてきた。
なのに…
井上さんはちっとも私に靡(なび)かなかった。ちょっと上目遣いで微笑めば他の社員さん達はブンブン尻尾振って来るのに、井上さんにはそれが全く通じない。何で?
『マコト』が居るせい…?
いつの間にか私の中で『マコト』は『麻琴』に変換されていた。
井上さんは私語こそ少ないけど 仕事についての質問なら丁寧に教えてくれる。私はそれにかこつけ、どんどん井上さんに絡んだ。
でも努力のかいもなく 今一つ手応えを感じないまま とうとう仕事納めの日を迎えた。『忘年会』、私はこれに勝負をかけた。
予想通りというか… 私を囲み盛り上がる社員さん達。イライラした。井上さんの側に行けない。井上さんをチェックすると こっちの盛り上がりなんて気にもせず同僚の人と話し込んでいる。その姿でさえ魅力的で、時折見せる小さな笑顔に私は釘付けだった。
宴も終盤に差し掛かる頃、ようやく しつこかった社員さんがトイレに立った。私はその隙を逃さず 井上さんの横に座った。
今思えば かなり強引だった。酔って一人で帰れない振りをして送ってもらった。
もうなりふりなんて構ってられなかった。
だって これが最後のチャンスだと思ったから。この先、井上さんと二人きりでタクシーに乗る機会なんて 絶対ない。
学生時代 友人に聞いて馬鹿にしてた "鍵をなくす振り" までして井上さんを引き止めた。
そうして…酒の力を使って理性を失った井上さんと結ばれた。
卑怯なのは分かってたし、井上さんの本意じゃないのも重々承知していた。
だけど結ばれたという事実に私は舞い上がってた。
『彼女とは 別れてね。』
こんな言葉を吐いてしまう位には。
既成事実を作ってしまえば もうこっちの物だと思ってた。過去、彼女と天秤にかけられて 私が選ばれなかった事なんてない。
私は もうすっかり彼女気取りだった。
だけど… やっぱり井上さんは私に落ちてなどなかった。強引に誘えば確かに家には来てくれたけどそこに井上さんの意思は無く、まるで『マコト』さんに会わせる顔が無くて逃げているみたいだった。
そしてまだ何度も肌を重ねてないのに 井上さんはとうとう私に触ってもくれなくなった。今までだって私から誘ってたのに、もうどんなに誘おうと指一本触れようとしない。
私は井上さんを失いたくなかった。『マコト』さんの元へ帰したくなかった。意地だったんだと思う。SEXなんてしなくても平気な振りをした。
でも とうとう その時はきた。
私の目を真っ直ぐ見据えて 短く こう言われた。
『ごめん、もう終わりにする。』
それは初めてちゃんと見つめあった瞬間だった。思えば その時まで 井上さんとちゃんと見つめ合った事は無かった気がする。
『そう… ですか。やっぱり彼女さんの方がいいですか?』
私が無理矢理始めた関係だったのに、それはズルい言い方だった。
井上さんは何も答えない。やっぱり彼女を取るのか…、そう思った時 私の予想とは全く違う答えが帰って来た。
『俺はアイツを裏切った。もう俺はアイツの隣に居る資格なんて…ない。』
井上さんは苦しそうに でもキッパリそう言った。そんな所まで好きだと思った。
『別れるんですか?じゃあ、もう来ないなんて言わないで下さい。私、彼女さんの代わりでもいいです。』
誰かの代わりでもいいなんて思ったのも ましてや言葉にして縋ったのも初めてで、私は自分が信じれなかった。今までこんな気持ちになった事なんてない。
それでも井上さんの心は動かなかった。
『それは出来ない。俺なんかに構ってないで お前はもっと自分を大事にしてくれ。』
『私は井上さんが大事です。』
井上さんは私から視線を反らさず正座し直した。
そして 私に深々と頭を下げた。
『手を出して悪かった。本当に申し訳ない。だけど 小川さんとは付き合えない。』
ああ…、本当にもう駄目なんだ。色仕掛けで井上さんを絡めとり なし崩し的にこのまま付き合えると思ってた卑怯な自分に対し、それは本当に誠意ある井上さんのケジメの言葉だった。
私なんかに頭を下げて…
『井上さん…。』
『ごめん、帰るわ。』
井上さんは一度も振り返らず そのまま玄関から出て行った。呆気ない終わり。でも 中途半端な情をかけない、それが井上さんなりの優しさなんだと思った。
職場で井上さんを見るのは辛かった。極力 私との接触を避けているのが分かったし、私の気持ちはまだ井上さんにあったから。
大学時代からこっち 私は付き合ってた男に振られた経験が無かった。だから こういう時どんな態度を取ったらいいのか分からなかった。多分、あからさまに避けていたと思う。あの時の事は正直余り覚えてない。ただ井上さんが私の視界に入ってこない様、なるべく距離を取る事だけを意識していた。そうでもしないと諦めるなんて無理だった。
アパートに帰っても井上さんは居ない。そんなにしょっちゅう来てくれてた訳ではないけど 井上さんの居なくなったスペースがポッカリ空いて 狭い部屋なのに広く感じた。
仕事に対するモチベーションもどんどん下がり、というか最初からそんなもの無かったけれど、このままではいつか絶対大きなミスをすると どこか他人事の様に思った。
『もっと自分を大事にしてくれ。』
寧ろ私は自分の事だけ大事にしてきた。いつも人より優位に立ちたかったし その為に利用出来る物はしてきた。でもそれは本当に自分を大事にしてきた事になるのかな…。
自分の本当にやりたい事、言いたい事から目を反らし 周りに合わせては流されてきた。私は自分を無視し 蔑(ないがし)ろに扱っていたのかもしれない。
中学生の頃、負けたくないと苦手な勉強を頑張って克服したあの頃の方が、私は自分を大事にしていたのかもしれない。
戻りたい…
私 もう一度頑張れるかな…
世渡りばかりが上手くなり、男にチヤホヤされてた自分を本当は嫌いだった。
上辺だけの友達、利用したりされたりが当たり前でスマホの中を探しても メモリーは一杯なのに こんな時 悩みを相談出来る友達の一人もいない。
私、一体今まで 何してきたんだろう…。
見た目だけ磨きあげ 中身は空っぽじゃない…。
このままじゃ駄目だ。
私はようやく目が覚めた。
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