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8にしおりをはさみました!
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8
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──月光の下で、空を仰いでいる姿を、とても綺麗だと思った。
吸い寄せられるように近づき、隣に腰をおろす。
しばらく無言で星を見ていた。口を開いたのは、春臣だった。
「……あの星は」
どこか、ぼんやりした声だった。
「まだ、生きているのでしょうか」
おれは目を細めた。どの星を指しているのかはわからないが、きっと、春臣はどれも見ていない。
「光は遠いからな。
しらせが届くのは、いったい、何十年、何百年さきになるのか。途方もないことだ」
「星のしらせが我々の目に届くのは、ずっとさきのことだと、殿下が教えてくださいました」
「おれは芒に聞いた。
あれは、そういうはなしが好きだからな」
笑ってから、ふと視線を感じて、春臣の方を見た。
じっとおれの顔を見つめて、彼はすっと視線を落とした。
おれは手をのばす。おとなしく撫でられながら、春臣はさらに俯いた。
「なにを、ふてくされてる?」
春臣は答えない。おれは苦笑した。
「おまえは、もっとわがままになってもいいのにな」
「……」
「世には理がある。生と死は背中合わせで、いまも、どこかの誰かが生きるために、どこかの誰かが死んでいる。……もし、」
空を見ながら、おれは呟く。
「あの星が、新たな生のために、すでに死んでいるとして。おれたちがそれを知るのは、ずっとさきのことだ。
それを、我々が、いつの日に悲しめばよかったのかなどと考えるのは、とてつもなく無謀なことだ。
あの星は、もう死んでいるのかもしれない。そんなふうに考えるのは、なんだか、おれにはとても虚しいことのように思える」
手を伸ばして、星を撫でる。キラキラと瞬いた。
「ほら、見てみろ。あの星はこんなに美しい。少なくとも、おれたちの目にはそう見えている。
それでは、駄目なのか?」
「……」
春臣はゆっくりと視線を上げた。
「……あの星が、もしひとりぼっちだったとしたら、殿下はそれと同じように思えますか」
「……春臣?」
「殿下」
不思議と、春臣の声は落ち着いていた。
「殿下にとって、あの星は、無数にあるうちのひとつでしかないのでしょう。
たくさんある中で、キラキラ輝いているから、美しく見える。
けれど、もしもこの広い夜空に、あの星がひとつしかなかったら?
そしてその星が、もう死んでいて、いつかは消えてしまうのだと知っていたら。
殿下は、あの星を、もっと大切にしてくださいましたか」
見上げる眸が、星を映したように儚く瞬いている。
おれはなんとなく、喉を詰まらせた。
「殿下、お許しください。
殿下を困らせてしまうとわかっていて、敢えて申し上げました。
……もう、なにも言いません」
切なげに微笑った眸から、星が零れ落ちる。
あまりにも綺麗で、おれはめまいがした。
「春臣……
おまえ、なにを考えてる」
「……」
思わず頭をふった。
「わざとだとしたら、怒るでは済まさないぞ、春臣。
おれは愚かな人間だ。わがままだし、頑固だし、ときには他人も巻き込んで、自分勝手なふるまいもする。
そんなおれが、すべてのものを平等に見ていると思うか?
ましてや、おまえをたくさんいる従者の中のひとりにすぎぬと、思っているとでも?」
怒気がにじむ。春臣の目が微かに見開かれた。
「どうしてくれる、こんなに最悪な気分なのは久々だぞ。
おれはおまえのことを、ずっと特別扱いしてきた。身の回りの世話も、夜の相手をさせるのもおまえだけ、必要のないときもそばに置いたし、聞かせなくてもよい話も聞かせた。どうしてだかわかるか?」
春臣は答えられない。おれは息を吐いて、続けた。
「おまえのことが好きだからだ。
たったそれだけの理由で、おまえを徹底的に差別し、他から引き離すことで、おれだけしか見えないようにした。
それなのに、なんだ?
おれがおまえを大切にしてこなかった?
おまえは、おれに大切にされている実感がなかったというのか?
じゃあどうしたらおまえは満足するんだ?
愛の言葉を紡ぎながら、殺してやろうか。それなら、どうだ、なあ?」
春臣の顔からは血の気が引いていた。
震えながら、目に涙をためて、微かに首を横にふった。
「ごめんなさい……」
「……」
「ごめんなさい、殿下」
「……なぜ謝る。
殺されるのは、怖いか?」
春臣はまた首をふった。
「おれから、あなたのお気持ちが離れるくらいなら、その前に、殺していただこうと、ずっと考えておりました。
……おれは」
春臣は、声を絞り出すように息をすいこんだ。
「あなたが神子になることは、それでも喜ばしいことだと、思っていた。
……あなたが神を愛おしいと言ったとき、おれは、あなたの気持ちがおれから離れてしまうのだと、ようやく実感したんです。
……あなたの中に生きていたおれは、すでに死んでいて、あとは消えていくしかないのだ、と」
春臣の眸から、ぽろぽろと涙が零れた。
「おれがあなたの唯一であればよかったのに。そうしたら、神の力など及ばないくらい、あなたはおれのことを愛してくれたかもしれないのに、と……そんな、卑屈なことを考えていたら、どんどん自分が小さくなっていく気がして。
殿下が、どうしようもなく遠い存在に思えて、だから……」
「あんなことを言ってしまった?」
春臣は頷く。それから、深く頭を下げた。
おれは嘆息し、近くにある木の幹に肩からもたれかかった。
「……ほんとうに、仕方のないやつだ、おまえは」
「……」
「カッとなったおれも悪いが、勝手な妄想でおれを疑ったおまえも悪い。
おまえは口数はすくないが、なんでも素直に言ってくれるから、おれもつい真に受けてしまった。
……おれとて、すべてを犠牲にして神子になるなど御免だ。
おまえを捨てて神のしもべになるくらいなら、おれは、死んだほうがまだマシだと思っている」
春臣は驚いたように顔を上げた。
「殿下、それは……」
おれは口元を歪めて笑った。
「我ながら、よい考えだと思うが?
無論、死ぬときはおまえも道連れだ」
「殿下!」
「なんだ、おまえだって、おれに殺されてもよいと言ったくせに。
まぁ、とにかく、このおれがおとなしく慣例に従えるはずもない。
芒は、受けいれることもときには必要だと言ったが、どうも、年寄りの考え方には賛同しかねる。
嫌なことは嫌だ。だから抗う。なんと、単純明快なことか!」
「芒さまは、まだお若くていらっしゃいますが……」
おれは素知らぬふりで、笑いながら、春臣の肩に手を置いた。
「安心しろ、春臣。
おれはなにがなんでも、おまえを手放しはしない。誓ってしない。
だから、もう、馬鹿なことは考えるなよ。
おまえは、おれだけを見ていてくれればよい」
春臣は目を見開き、それから、泣きそうに顔をゆがめて、ゆっくりと頷いた。
おれはくしゃりと春臣の髪を撫で、抱き締めると、濡れた唇を軽くついばんだ。
案の定、しょっぱい味がした。
「……すまないな、泣かせて」
春臣は首をふったが、その目からはまた新たな涙が浸み出していた。
指先でぬぐってやっても、あとからあとからあふれてくる。
仕方なく、おれは思い切り春臣のからだを抱き締めて、あやすように背中を揺すった。
「まったく、おれを困らせるな」
「……っ、う……っ」
震えながら、ぎゅうっと背中にしがみつく。
嗚咽をこらえるくぐもった声が、肩口に響いた。
泣きたいのはこっちだ、なんて思う。
なのに、泣いて欲しくない、安心させてやりたい、と思う気持ちのほうが大きいせいか、自分が泣いている暇などまったくもってないのだ。
我ながら、損な性分だなと思う一方で、己が泣けない分を代わりに泣いてくれる相手がいることに、心底ホッとしている自分がいる。
そういう意味でも、この青年はかけがえのない存在だった。
……正直、不安がないわけではない。それでも、すべてを捨てて受けいれることは、絶対に間違っている。だから抗う。必ず、道は他にもある。必ず……。
おれは無数の宝石が散りばめられた夜空を仰ぐ。
春臣を抱き締めながら、しばらく、そうして天を睨んでいた。
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