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参にしおりをはさみました!
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参
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屋敷に戻ってきてから、数日が経った。
おれは夢の中でお告げを聞くこともなく、以前のようにごく平穏な日々を過ごしている。
伊万里の授業が終わって、いつもの癖で中庭に向かうと、激しくぶつかりような音が聞こえた。
顔を出すと、予想通りの光景があった。
先端に綿を包んだ棒を構える日向。向かい合うのは、一匹の獣。
「また、やっているのか?」
縁側でのんびりと茶をすすっていた芒が、振りかえって苦笑した。
隣に腰をおろし、芒から湯呑みを受け取りながら、おれは中庭の奇妙な光景を眺めた。
果敢に日向に襲いかかる獣を、日向は棒を操り、難なくはじき返している。
獣ははじき返されては立ち上がり、また跳ね返される、ほとんどその繰り返しだった。
「なかなか、骨のある男だ」
笑いながら言うと、芒は複雑そうな笑みを浮かべた。
「おかげで、なかなか術を教えてやる時間がとれません」
「李雨が言い出したのだろう?
日向に、相手をしてくれと」
「負かされたのは、はじめてだったらしいんです。
たぶん、あの仔、日向に勝てるまで続けるんだろうな……」
おれは思わず、喉の奥で笑った。
「ずいぶん、気の強いのを捕まえてきたものだ。
ひょっとすると、おれより手がかかるかもしれんな」
「うーん……わたしでは、手に負えないかもなあ」
のんきな口調がおかしくて、おれは声を上げて笑う。
日向が李雨をはねのけざま、おれの方を振り向いて手を上げた。
「お、殿下!」
「日向、よそ見するな。
相手は本気だぞ。おまえも、本気で叩きのめしてやれ」
「殿下、よしてください」
芒が困ったように言うのを聞き流し、日向と視線を交わし合う。
日向はいたずらっぽく目を光らせて、頷くと、転がったままの李雨に向き合った。
「立て、李雨。
この程度でくたばっていては、爪一本おれには触れられんぞ!」
李雨は喉の奥で唸りながら、土にまみれになったからだを必死に起こす。
そうして日向を睨みつけると、一声吼えて飛びかかった。
日向はざっと足を引いて腰を落とし、大きく振りかぶって、棒の側面を李雨の腹に叩きつけた。
あの晩と同じ大身槍であったら、李雨のからだは一直線に吹っ飛んでいただろう。
細い木の棒に弾き飛ばされた李雨は、わずかに弧を描いて、木の間を抜け、藪の中にドサリと落ちたようだった。
ああ、と芒が小さく悲鳴を上げて、李雨の消えた方へ走っていく。
おれは日向と顔を見合わせ、笑った。
「ちとやりすぎました。
まあ、折れてはいないだろう」
悪びれもしない飄々とした態度に、また笑って、おれはのんびりと茶をすすった。
「ああいうのには、やりすぎるくらいが丁度いい。
おれは結構、あの青年に、期待しているのだ」
日向は藪の方を見て、頷いた。
「あれはなかなか、見込みがあります。
術者としての才とやらはおれにはわかりませんが、あれほど気骨があれば、きっとすぐに戦い方を覚える」
「よい弟子が転がり込んできたな」
「いいや、あんなじゃじゃ馬、おれは御免ですよ。だいたい、おれには、殿下という最高の弟子がおります。
芒は、あいつを術者として育てたいようですし」
「そういう芒も、手を焼いているようだったぞ」
ちょうどそのとき、藪を掻き分けて芒が戻ってきた。
腕にぐったりとした李雨を抱えている。日向を見ると、困ったように眉間にしわを寄せた。
「日向、なにをぼんやりしてるの。
はやく、枸々を呼んできておくれよ」
日向は、げ、と顔をしかめた。
「またおれだけ怒られる……」
芒は珍しく険しい顔で、日向をじろりと睨んだ。
「日向、少しは反省してくれないと困る。
あんな吹っ飛ばし方をして、打ちどころが悪かったらどうする?
謝るでは済まないこともあるんだよ」
「ああ、悪かった。ちょっと、やりすぎたと思っていたのだ」
「ちょっと?
あれが、ちょっと?
きみみたいなのに、殿下は幼い頃から、武術を教わっていたのかと思うと、めまいがするよ」
「ああ、そう、そうだ。
すぐに枸々を呼んで参ろう。枸々、けが人だ! おーい、枸々!」
かろうじて笑いをこらえ、おれは肩を震わせる。
芒が縁側に李雨を横たわらせながら、深くため息をついた。
「殿下、ああいうことをおっしゃるのはやめてください。
李雨は変化の術の影響で骨が弱いんです。
若い内に骨折がくせになってしまっては、困るでしょう」
「すまない、芒。
まさかあそこまで思い切り吹っ飛ばすとは、おれも思わなんだ」
「日向も日向です。
殿下はよく、あんな無茶な稽古についていける」
おれはちょっと笑って、中庭へ目線を移した。
「おれもちびの頃は、しょっちゅう叩きのめされてた。
舐められてるのがわかっていたから、余計にむきになって、食ってかかってな」
「いまの李雨のように?」
「ああ。
しかも、あのころの日向は、おれのことが大嫌いだった」
「……いえ、殿下、あれは殿下のことがお嫌いだったというより……」
そのとき、ぱたぱたと近づいてくる足音が聞こえた。
縁側に駆けつけた枸々は、やはり、蒼白な顔をしていた。
「まったく、どうしてこう、毎日、毎日……!」
ほとほと困りはてたように言ってから、おれに気づいて、枸々は慌てて口を閉じた。
「ご苦労だな、枸々」
「殿下……!
まさか、殿下もお怪我を!?」
「ああ、いや、おれはなんともない。日向はどうした?」
「え?
おや、さっきまで、枸々のそばにいたのですが……」
ちらりと芒の表情をうかがう。
芒は一瞬、あきれたような顔をしてどこかを見つめたあと、枸々を見上げた。
「ほっときなさい、あんな人。
それより、枸々、診てもらえるかな」
「あ、ああ、はい……
うわ、随分汚れておりますね」
「何回も転がったからね……
腹を打ったから、下手をしたら骨が折れているかも」
枸々はあからさまに顔をしかめたが、すぐに頭を振って、李雨のそばに両膝をついた。
慎重に毛皮に触れ、状態を確かめてから、軽く息をはく。芒が心配そうに顔を覗き込んだ。
「どうやら、折れてはいないようです。
肋骨が若干歪んでいるのと、打撲がひどいので、そこは治療しなければなりませんが……」
「枸々、打撲はほっとけ。
怪我をしてもたやすく痛みが取れるのだとわかれば、こいつは怪我を恐れなくなる」
枸々は神妙な顔で頷き、肋骨の治療に取りかかった。
手にむっとする匂いの薬品をこすりつけ、その手を毛皮の上から押し付ける。
口の中で術を唱えはじめて、数秒後、枸々はそっと手を離した。
「もう終わったのか?」
驚いて聞くと、枸々は少し息を切らしながら、頷いた。
「どうやら、李雨くんの術が骨の修復力に作用しているようで……
ふつう、人の骨というものは、術をもってしても変形させづらくできているのですが、李雨くんの骨は粘土のように容易く治せてしまうのです。
やはりそのぶん、傷付きやすくもなっているようですが……」
芒が身をかがめて、李雨の様子をうかがう。
目は閉じたままだったが、呼吸は穏やかだった。
芒は枸々に向かって頭を下げた。
「ありがとう、枸々」
「いえ……」
枸々は複雑そうな表情ではにかむ。
「獣の治療をするというのは、なんだか不思議な気分ですが……」
「李雨は、昔のおれよりもやっかいだぞ。
出番が増えるかもしれんな、枸々」
そう言うと、枸々は青い顔をしてうなだれてしまった。
「できれば、わたしの出番がないことが、もっともよいのです……」
その言葉には、思わず苦笑がこぼれた。
「なんだ、他人事とは思えないな」
「殿下……」
二人して、似たような表情でおれを見つめる。
たまらず、目線をあらぬ方向へ逸らしながら腰を上げた。
「ああ、そうだ、そうだ。
春臣に頼みたいことがあったのだ。ではな、二人とも」
手をひらひら振って背中を向ける。
呼び止める声はなかったが、代わりに、大きなため息が背中にかかった。
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