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兆候-6にしおりをはさみました!
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兆候-6
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放課後のトイレには何者もいない。しかし廊下に屯する生徒たちの話し声は、微かながらも中まで届いている。
「……んで、そんな急に……、…?」
「交通事故……で、……が…」
大河は下らないとばかりに、しかし何かを振り切るように、頭を緩く左右に振る。
そして、六時間目の柏木の言葉を思い出した。
『朝、交通事故でトラックに跳ねられて市内の病院に搬送された。昼休みにご家族から電話があったが、……息を引き取ったそうだ』
途端、教室は静寂に包まれる。クラスメイト全員、柏木が何を言ったのか瞬時には理解できなかった。
犬飼が不慮の事故で亡くなった。現実味のないニュースが、大河の思考をも凍らせた。
少ない時間でも、一緒の教室で過ごしていたクラスメイトが突然亡くなった。俄かに信じられる話ではない。
クラスメイトたちは信じられないとでも言いそうにしていたが、驚きと嗚咽で声は上手く出ない。柏木も静かに目を伏せた。
学校中が黙祷を捧げる。寡黙で頭の良いクラスメイトに、憧れていた人物に、密かに想いを寄せていた相手に、顔は知らないが名前だけは知っている亡くなった男に。誰もが早すぎる死を嘆いた。
大河も三ヶ月前にバスで隣の席に座った男に、ホテルで同室になった男に、何の感情も抱かない訳ではない。しかし何処か現実味のない話に、まるで夢にいるかのような気分になる。自分は今、地に足をつけて立っているのだろうか。
(信じらんねえ……)
そう、ただ信じられない。大河には驚きの他に感情が生まれなかった。クラスメイトのように沈痛な面持ちで俯いたり、涙を流したりすることができない。
悲しくはないのだ。非道だと思われるかもしれないが、犬飼が消えたとしても虚無感は欠片も芽生えない。
四月から今までずっとクラスメイトだったが、接点はほとんどなかった。会話も、修学旅行の時だけだった。
犬飼は大人しくあまり喋らない男だ。教室にいても大河は気にとめたことがない。むしろ、いるかいないのか分からない。大河にとっては他のクラスメイトと同様に、どうでもいい存在だった。たとえ死んでも関係ない、という程ではないにしても、気にかける存在ではなかったことは確かだ。
けして影が薄い訳じゃない。ただ、大河が周囲に興味を示さないだけの事だ。
気の毒だとは思う。しかし、涙は出ない。自分の涙は長い間出番がなかったせいか、とうに枯れてしまったのだと思う。
取り留めのないことを考えても、皆が惜しがる犬飼が生き返る訳じゃない。それに大河にとっては、それほど重要でもない。クラスメイトが一人、少なくなっただけのこと。やはり自分は心の何処かが欠けている。
犬飼の件は全て忘れて、今まで通りの生活を送る。そこには何の感情も変化も存在しない。
大河は用を足し終わって、手洗い場の蛇口を捻った。冷たすぎる水が飛び出して、空っぽにしかけた頭の中から余計なものを流して行く。
ふと顔を上げて正面の鏡を覗くと、金髪でいつも通り目つきの悪い強面の男が映っている。違和感を感じたのは、それから間もなくのこと。
鏡の中の大河の背後に、白いものが立っていた。
「っ……」
完全に忘れていた三ヶ月前の不可解な出来事――いや、幻が断片的に甦る。
自分に風船を押し付けた。帰りのバスが出発する直前に手を振っていた。ホテルの窓の外に立っていた。
何で、学校にいる?
大河が振り返ると、そこには何もいない。やはり幻覚なのだろうかと鏡に視線を戻すが、その中では奴は確かに存在していた。
背中に悪寒が走り抜け、大河は意識せぬまま咄嗟に鏡に拳を叩きつけていた。
バリン、と耳障りな音を立てて硝子の破片が辺りに飛び散る。鋭い鏡の欠片は大河の顔にも飛来し、頬に赤い線を描いた。
鏡はもう、その役割を果たさなくなった。破片が零れ落ちた以外には、鏡全体に大きな亀裂が入っており、正確に物を映さない。
当然、奴……ウサギの着ぐるみの姿もである。大河は、いつの間にか早鐘を打っていた心臓を胸の上から押さえ、ほっと安堵の息を吐いた。
(俺……どうにかしてんじゃねえの)
ウサギの着ぐるみなんてこんな場所にいる訳ないのに、見えるなんておかしい。幻覚以外、それが見える理由はない。頭がおかしくなってしまったのだろうか。そう考えてから、大河は嫌そうに顔を歪める。
ガチャリ、とドアが開く音が聞こえて、一人の男子生徒がトイレに入ってきた。
「ひっ……うわあっ」
彼は床に硝子の破片が散らばったトイレの惨状と大河の姿を見て、情けない声を上げた。驚きと僅かな恐怖の滲むその瞳は、大河の手から滴り落ちる血を捉えている。
彼は何も言わずにトイレから出て行った。大河の足元には真っ赤な血溜まりが出来上がっていた。
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