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融解-2にしおりをはさみました!
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融解-2
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夕食を取っていると、正面に無言で座っている犬飼の視線に気がついた。
目線は大河自身を捉えているが、一方で箸の動きを観察されているようでもあり、少し居心地が悪い。
幽霊でも、食事は取ったりするのだろうか。
「食いたいのかよ」
「……いや」
じゃあ何だ、と不審に思いつつ、大河は視線をシャットアウトして食事を進める。しかしどうにも咀嚼して嚥下するという行為に集中できない。
「……」
「……」
「……米と鮭なら残ってるけど。いるか?」
「いや、いらない」
じゃあ何故ずっと見つめるのだ。
半ば呆れながら大河は黙って食事を進める。沈黙に堪えられなくてテレビを点けるが、七時前の時間帯ではニュース番組しかやっていない。仕方なしに惰性で眺めるが、あるニュースの映像を見て背筋が凍った。
その事件現場は、近所だった。アパートから歩いて行ける、近隣の公園。
ぐしゃぐしゃになった濡れ雪の上に、大量の血液とともに、数匹のウサギの死体が転がっていたらしい。
ブルーシートで覆われた公園の映像に、目を瞠った。危うく咽返るところだった。急いでリモコンの電源ボタンを押して、流れ込んでくる情報を遮断する。そうして犬飼を見た。
やはり、ずっと大河を見つめていた。余計なことは言わず目で何かを訴えるように一心に寄越す視線に、ざわついた心は落ち着きを取り戻し始めた。大丈夫だ、と目が言っている。少し慌てながらもじゃあ大丈夫か、と素直に従ってしまう自分の心情に、少なからず驚いた。
「お前が?」
「?」
「やったのか」
殺したのか、ということだ。大河を助けるために、どうやったかは知らないが、きっと犬飼がウサギを殺したのだ。殺さなければならなかったのだ。
「さあ」
「さあ、って。やったのかやってないのか言えよ」
犬飼は大河を見つめながらも、身に覚えのないふりをしていた。けれど大河は根拠なしに確信していた。犬飼がウサギを殺したに違いない。
でなければ、遺体となって転がされニュースで放送されるのは大河の方だったろう。全身の骨が折れ、腹が裂け、血肉や臓腑が飛び出している、元の姿が分からないようなおぞましい格好の死体だ。食事中にうっかり想像してしまって大河は顔を顰めた。
再び沈黙が戻ってくる。この後の静寂の中に食器がぶつかる音だけが響くのが苦痛で、大河はいつの間にか話し掛けていた。
「そういや、お前、昨日まで……何してたんだよ」
「昨日まで?」
「俺が、消えろって言ってから、昨日まで」
何だか不貞腐れたような言い方になってしまった。まるで犬飼を責めているような。決してそんなつもりはないのだ。犬飼はまったく悪くなかった。悪いのは、大河の方だった。
そう考えるのも少し極端かもしれないが、消えろ、と言って犬飼を拒絶したのは大河だ。それから暫く、犬飼は姿を現さなかった。やはり、きっかけは大河の言葉だったのだろう。
「特に、何も」
「何もってことはねえだろ。何かしてたんじゃねえの」
「分からない。覚えてないから」
「…お前、何もかも分からねえんだな。自分のこと」
どういうことなのだろう。本当に分からないのか、それとも惚けているだけなのか。大河の領域には踏み込んでくるくせに、自分自身のことは何も語らないのだから、理不尽だ。
……いや。大河が、今まで知ろうとしなかっただけか。知る必要はなかったし、知ろうとも思わなかった。知って何になるのかと、聞かずにいたのだ。
でも、今は知りたいと思う。犬飼のことを理解したいと思っている。
「何て言ったらいいか分からないけど」
「あ?」
「俺は一回、消えた。全部」
「それってどういうことだよ。意味が……」
分からない、訳ではない。大河に消えろと言われて、この世に徘徊する魂は霧散したと、そういうことだろうか。言わば、成仏したということだろうか。考えながら少し胸が痛む。
だから、その間の記憶がないのだろうか?
「でも、仲宗根が呼ぶ声が聞こえたから、戻ってきた」
視線が射抜いた。馬鹿な。
「一回成仏して、戻ってくるなんてことがありえるかよ。仮に俺が呼んだとして、いや呼んでねえけど」
「お前は呼んだ。俺は確実に聞いた、仲宗根の声を」
「じゃあ呼んだことにするけど。お前は、俺が消えろって言ったら消えるし、戻って来いって言ったら素直にあの世から戻ってくるのか?」
自分でもなかなかに陳腐な内容を口にしているような気がする。成仏だの、あの世だの。
しかしこれが真実であれば。
「仲宗根がそう強く望むなら」
消えもするし戻ってもくる、と目の前の幽霊は力強く頷いた。まるで淡々としている様子に、大河は言うべき適切な言葉をなかなか見つけられない。
それは実は恐ろしいことなのではないか。犬飼が消えるも消えないも大河次第ということだ。死者を好き勝手に呼んでいいものか。
「自分の意志はねえのかよ」
「ある」
「じゃあ」
「本当は、ずっと傍にいて守りたかった。けどお前が失せろって言うならどうしようもなかった」
嫌われたくなかった、と相変わらず抑揚の少ない声で呟いた。淡々と放ったその言葉は、第一印象では下手な演技に聞こえるかもしれない。けれど大河は知っている。犬飼は、本当のことしか言わない。
「……悪かった。消えろって言って。ただの八つ当たりだ。上手くいかないことを、自分が悪いのにお前のせいにしてた」
食器を静かにテーブルに置きながら、自分の身勝手さを噛み締める。不幸の原因を自分ではない誰かにしなければ自身を保てないほど、弱かったのだ。もちろん、今も弱い。今まで生きて来て、強かった時なんて一瞬たりともない。
「邪険にして悪かったよ」
「……ああ。別に、怒ってない」
「なら良かった。……だから」
だから、これからも傍にいて欲しい。
そんな告白のような甘ったるい台詞など、口に出来る訳がない。
唇の隙間から遣る瀬ないため息のようなものを吐きながら、大河は食器を持って立ち上がった。
「だから、何だ」
「何でもねえよ」
「言いかけるな。気になるだろ」
「まったく気になってない感じの平坦な声で言うな。何でもないって言ったら何でもないんだ」
「釈然としない」
「ずっとそのままでいろよ」
今日は珍しく執拗に追及してくるなと思いながら素っ気なく背中を向け、シンクに食器を置きに行く。乱暴に置いたつもりはないのにガチャン、と耳障りな音が鳴った。蛇口から水を出すと、リビングでただ座っていた筈の男がいつの間にか隣に立っていた。
「気配を消すな。びっくりするだろうが!」
「仲宗根は怒ってるのか」
「はあ? 何で俺が怒るんだよ……てか、どうした」
「何が」
シンクの淵にかけた手に、何故か犬飼が手を重ねてくるのを訝しげに見遣る。そのまま視線を滑らせて相手の顔を見ると、案の定というか、表情がないために意図が読み取れない。
「お前、変だぞ。しつこい」
「仲宗根が素直に謝ったから、俺も素直になってみようと思った」
「それによく喋るな」
「素直になったんだ」
それならばもう少し表情に色をつけたらいいだろうに。重ねていた手を徐々に上で移動させ肩を抱くというような行動だけで示されても困る。蛇口からの水が食器を溢れてシンクを叩く音を聞きながら、大河は頬が引き攣るのを感じた。
「なあ、これは何だ。今はそういう流れじゃねえだろ」
「そういう?」
「勘違いすんなよ。昨日は、まあ……止むを得ずだったし不可抗力だったけど、やったからって俺とお前は恋人同士でも何でもねえ。しかも男同士だし、お前はもう死んでる。明らかにおかしいだろ」
「俺は仲宗根が好きだ」
よく躊躇いもなく言えると、感心すらする。ストレートな告白の言葉に不本意ながら動揺していると顔が近づいてくるので、「違う!」と叫んだ。
「何が」
「お前が俺のことを好きなのは分かった。けど、それだけでこういう流れになるのは違うだろ」
「……仲宗根も、俺のことを好きじゃないといけないってことか」
そういうことだよ、と言いかけそうになったのを寸前で飲み込んだ。違う。そういう問題ではない。
今日の犬飼は扱いにくい。
「とにかく俺から離れろ。不必要に触るな。俺は洗いものを片づけて風呂に入る」
「俺も入る」
「幽霊が風呂に入る必要はねえだろうが」
手を乱暴に振り払い、とにかくリビングで大人しくしてろ、と鋭く睨んで訴える。犬飼は素直に戻って行ったが、大河の内心は平静ではない。
(調子狂う……)
掴んだ茶碗を危うく落としそうになった。
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