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融解-15にしおりをはさみました!
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融解-15
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電車の中でも、アパートに着くまでの道も、終始無言だった。息遣いさえも雪が吸収してしまうので、二人の間には本当の静寂が佇んでいた。
帰宅するとすぐに暖房をつけた。フローリングは氷のようにひんやりとし、足裏をつけるのも躊躇するほどだ。屋内にも関わらず、吐いた息は白い。
「お前、本当に寒くねえの」
大河はコートを着たうえにマフラー、手袋までつけているのに、犬飼は学校のブレザーだ。幽霊だから寒くても暑くても関係ないのだろうが、この真冬に軽装備を目の当たりにすると顔を顰めたくなる。
「あまり」
そういう犬飼の顔は、言葉の割に青白い。具合が悪そうに見えるが、これが彼の標準だった。
暖房をソファの近くまで引っ張り、重たい腰を下ろす。犬飼も隣に座ったところで、大河は「なあ」と唐突に話を始めた。
「お前、昔会ったことがあるって、言ってたよな」
「ああ」
「俺も思い出した」
「……そうか」
「何で言ってくれなかったんだよ」
別に怒っているつもりはなかった。自分でも驚くくらいに、一体何年ぶりに出したのかというほどの穏やかな声が口から出ている。犬飼は「ごめん」と呟いた。
「言っても覚えてないだろうと思った」
「確かにそうだけど……お前はずっと覚えてたのかよ、俺のこと」
幼い頃に友達だった男のことなど、十年以上も覚えていられる筈がない。
「いや……俺も、すっかり忘れていた」
それが当然なのだと分かっていたのに、何故か大河の胸は僅かに軋んだ。
「仲宗根が教室をやめたあとも、俺は小学校まで続けてた。でも、やる気は全然出なかった。惰性で通ってた」
惰性で通っていたにしてはあのピアノの上手さ。少し嫌味に感じるが、やはり犬飼は何でもそつなくこなしてしまう。
「仲宗根がいないのに、ピアノなんて続ける意味がない」
「……俺かよ」
犬飼が一瞥する。仲宗根はポケットから、犬飼の母親からもらった写真を取り出した。それを犬飼の膝の上に置くと、彼の視線は下に落ちた。
「……家に行ったんだな」
「分かってんだろ。お前がどこにいたかは知らねえけど」
自然と、拗ねたような口調になってしまった。
犬飼が墓の前で姿を消した時、本当に、深い穴に落ちてしまったような不安に見舞われたのだ。
「道を通った時、母さんがいるって分かった。そしたら身体が勝手に、向かった」
「何で、急にいなくなった」
「……見ていられなかった」
犬飼の手は、いつの間にか写真の縁を強く握っていた。爪が食い込んで、皺になる。はっとして犬飼の顔を見るが、俯いていて表情は見えない。
「久しぶりに会った。……辛そうだった」
「お前の母さん、泣いてた」
「弱ってる姿なんて、俺は一度も見たことなかった。あの人はいつも笑ってたんだ」
「……」
「強かったあの人が泣くところなんて見ていられない」
普段は聞けない、犬飼の心情。犬飼の口から滞りなく言葉が零れ落ちるのを、大河は黙って聞いていた。
「あの人を悲しませてるのも辛いけど、……あの人が悲しんでるのを見て、自分の死を思い知るのも、嫌だった。俺にはもう家族はいない。……一人だ」
感情の感じられないいつもの声ではない。大河には、犬飼が今にも泣きだしそうに聞こえた。
それから犬飼は何も喋らなくなった。無機質な、時計の針が動く音と、暖房の低い唸り声だけが聞こえる。部屋の温度は徐々に温かくなってきた。息を吐いても白くはならない。
目を瞑ると、夢に見た幼い頃の記憶が浮かび上がった。ブランコに乗りながら、犬飼が屈託のない笑顔で言う。
「ずっと一緒にいよう」
「……え」
犬飼が、驚いたようにゆっくりと大河に目線を移した。
「ずっと一緒にいようって、お前が言ったんだよ」
子どもの頃の、一時の幼い感情だったかもしれない。しかし、それを瞼の裏に見た時、再び犬飼と出会って、今、同じ時間を過ごしているのはきっと必然なのだと思った。
「一緒にいようって、最初に言ったのはお前だ」
「……仲宗根」
「お前は一人じゃねえ。俺が、ずっと傍にいる」
躊躇もせず、大河は犬飼の手を握った。そうすることで、少しでも安心して欲しいと思った。大河がそうだったように。
「子どもの頃にした約束、ちゃんと守ってやるよ」
腕をやや強引に引き、犬飼の頭を肩にのせる。ない筈の質量と温もりを感じた。互いの手はしっかりと結ばれたままだ。
「仲宗根」
「……何だよ」
「ありがとう」
低い振動が肩から伝わってくる。
「仲宗根にそんなことを言われるとは思ってなかった」
「俺だって、言うとは思ってなかったよ」
「でも言おうと思ったのは俺が先だ」
「あ?」
犬飼の手が、写真をソファに置いた。
「俺も、お前のことはしばらく忘れていた。でも高校で見つけて、思い出した」
「俺は全然気づかなかった」
「俺も最初は分からなかった。見た目がだいぶ変わってたから。けど名前が引っ掛かって、思い出した」
確かに、二人とも幼い頃とは容姿がまったく異なる。背丈も顔つきも、十年も経てば大きく変わってしまう。仲の良かった時期もほんの少しとなれば、外見だけで気付くのは到底不可能だ。
「仲宗根はいつも一人だったな」
「好きで一人なんだよ」
「本当か?」
犬飼が上目使いに見上げる。真っ黒な瞳にすべて見透かされてしまいそうで、大河は僅かに目線を逸らした。
「俺にはそうは見えなかった」
「お前に分かるかよ」
「強がってるだけだ」
犬飼の頭が肩から離れる。重みと温もりが消えただけなのに、どうしてか追い縋りたくなるような不安がある。
「本当は寂しい。そう感じてる自分にも嫌気が差す」
犬飼の手の平が頬を包む。視線がかち合い、何か見えない力によって逸らすことができなくなった。
「気づいたら仲宗根を目で追ってた。お前は一人じゃない。俺がいる。いつか、そう言おうと思ってた」
顏が近くなったと思ったら、額同士がぶつかった。視界いっぱいが犬飼の顔で埋め尽くされる。深い黒色をした目の奥。最初は何を考えているのかまったくわからない、無の色だった。今なら分かる。
「犬飼……」
息を止めて唇を合わせた。
心に優しく触れるように、唇は表面を僅かに撫でただけですぐに離れた。犬飼の吐息が顎にかかる。
「……最初は、こんなつもりじゃなかった」
犬飼の言葉に後悔している風はない。むしろ充足感が強く滲み出ていた。
「こういう『好き』じゃなかった。仲宗根とこういうことをしたいとか、思ってなかった」
「……俺だってそうだよ」
冷たい鼻先が触れ合う距離で、囁く声が鼓膜を震わせる。大河はむず痒いような感覚を覚えた。犬飼が静かに「俺だってそうだよ?」と疑問符をつけて大河の言葉を繰り返した。覗き込むように瞳を見つめられると顔を背けたくなる。
「俺だって、お前の手握ったり、キスしたり、するとは思ってなかったよ」
それも自分からするなど、絶対にありえないと思っていた。
「仲宗根は、俺のことが好きなのか?」
好き、とはどういうことなのか。以前に自分から犬飼に口づけたのも、不安がる犬飼を引き寄せたのも、安心させてやりたいと思ったからだ。ずっと一緒にいてやると口にしたのも、そうだ。
大河自身、犬飼から与えられた温もりだ。
隣に、傍にいると安心する。心に居座る感情が、恐怖や不安よりも安堵が勝る。
それが好きということなのだろうか?
「……わかんねえよ」
犬飼の視線が僅かに揺らいだような気がして、思わず相手の頬に手を添えた。
「けど、お前の傍にいたいって……思った。……これじゃ駄目か」
顔の中心に熱が急速に集まるのを感じる。それでも視線は交えたまま、逸らさなかった。
犬飼の視線が眼を越えて脳髄にまで刺さりそうだった。しばらくして犬飼が唇を動かす。
「……十分だ」
顎をそっと掴まれ、唇は再び重なった。掠めるようなものではなく、今度は深く交じり合う。僅かに開いた唇の間から犬飼の舌が潜り込んできた。臆することなく大河もそれに自らの舌を絡ませる。
「……っ、ふ」
鼻から抜けたような声が出る。犬飼の舌は大河の口腔を蹂躙した。歯茎を優しく撫でられると背筋に柔い痺れが走る。以前のように背中を叩いて制止しようとは思わない。もっと犬飼に触れていたいとさえ思う自分に、大河は胸中で困惑した。
「……ん」
口内を犯す相手の舌先を優しくしゃぶると、犬飼の手が肩まで下りてきた。そっと押され、唇は一度離れる。
「何だよ」
「続けていいのか」
「あ? ……んなこと、きくなよ」
「前は抵抗しただろ」
犬飼が静かに言葉を紡ぐ。唾液で濡れた唇から低く声が漏れ出るのが妙に艶めかしく、少し不安げに大河にきく犬飼に、大河の心臓は跳ねた。
「それは前の話だろ」
「今はいいのか。今更だけど無理強いしたくない」
「だから……」
ここに来て焦れったい犬飼の唇に、大河は思わず噛みついた。以前にしたって、抵抗する自分に構わず強引に最後までしたくせに、と。
柔らかい唇を噛みながら、相手のネクタイを強引に引っ張り、抜き去った。柔らかい肉を何度か食んでから、唇を離す。
「……いいって、言ってんだよ」
真っ向から直視できず、目線を逸らす。言わせんなよ、とぶっきらぼうに吐き捨てた。
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