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K01 : 熱の入江 25
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「ううん、何でもないよ」
元気な調子で言いたかったのに、ちゃんとした声が出ない。
駄目だよ。
そんな風に言われると、寄りかかりたくなってしまう。
「たいしたこと、ないんだ。本当に」
無理に口角を上げてみせると、多田さんは俺の瞳を覗き込みながら口を開く。
「お家の人と、喧嘩でもした?」
ただの喧嘩だったら、どんなにいいだろう。
そんなことを思いながら、俺は多田さんの腕に手を掛けて少し強く引っ張った。
「そんなところだよ。ね、たいしたことじゃないでしょ。だから大丈夫。行こ?」
多田さんが止めていた足を動かすからホッとしたのも束の間、俺の方に半歩近づいて空いていた2人の距離を詰めただけだった。
恐る恐る見上げれば、真剣な眼差しが俺を真っ直ぐに捕らえてた。
「大丈夫だったら、どうしてそんなに泣きそうな顔をしてるの」
多田さんのせいだよ、と言いかけた言葉を呑み込む。
なんでそんなことを言うんだろう。普通にしてくれればいいのに。
そんな風に優しくされると、ちゃんと張り詰めてたはずの気が緩んで、縋りたくなってしまう。
多田さんの腕を掴んだまま、俺は目のやり場に困って俯く。
「───多田さん、事情はどうしても話せないんだ。だから、聞いてもらうわけにはいかなくて」
兄貴とあんなことをしてるなんて、絶対に言えるわけがない。
俺の言葉に、多田さんが「わかった」と小さく頷いてくれたのが視界の隅に映る。
落とした視線の先には灰色のアスファルトが広がっていて、そこに突然ぽつりと一点の黒い染みが現れた。
ぽつり、ぽつり。次第に染みは増えて、やがて地面を覆い尽くしていく。
ああ、ちょうどよかった。
代わりに空が涙を流していると思えば、俺はもう何ともない。
「お願いがあるんだ。きいてくれる?」
恐る恐るそう切り出せば、多田さんが息を呑む気配がした。
酔ってるから。嫌なことから逃げ出したいから。そんなときに、優しくされたから。
言い訳なんて幾らでも都合がつく。だから、衝動に任せて俺は吐き出してしまう。
「今夜一晩だけ、一緒にいて……」
こんな形で多田さんに縋るなんて、俺はたぶん間違ってる。
それでも、震える声を強引に押さえつけながらそう口にすれば、胸のつかえがするすると解けるように取れていく。
次第に大きくなっていく雨垂れの音に混じって、「いいよ」と落ち着いた優しい声が聴こえた。
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