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番外編Ⅱ:家出少年
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暖房が効いていた店内のお陰か、店から出てもそんなに寒いとは思わなかった。
しかし、自分の吐く息が暗闇の中で白く浮かぶのを見て、やはり寒いのだと知る。
真一は買った物を仕事用の鞄に入れ、左手首にしてある腕時計に視線を向けた。
短針は6を指し、長針は3と4の間ぐらいにある。
今から帰れば19時前に家へ着くだろうと予想がつくと、この時期にしては優秀すぎる帰宅時間だなと真一は自分を褒めたくなった。
定時丁度は叶わなかったが、18時を過ぎるか過ぎないか辺りには今日の仕事の目処がつき、会社を出ることが出来たのだ。
「今日は早いですね。あ、クリスマスだからか」と、わざとらしい言葉をかけてくる女性の同僚に、「偶然ですよ」と愛想笑いを返しながら、仕事場を後にした。
外は普段と何ら変わらずすっかり陽が落ちてしまっているが、いつもより人通りの多い道から、まだそんなに遅い時間ではないことを実感する。
他の通行人にぶつからないよう気をつけながら家へと歩みを進めていると、真一は無意識に平助のことを考えていた。
今日何度目になるか分からない平助の姿が、頭の中に浮かぶ。
少々誤解をうんでしまうかもしれないため予め断っておくと、何も普段から四六時中恋人のことを考えているわけではない。
むしろ仕事中に平助のことを考えるのは珍しい。
そんな珍しいことが起こったのも、全ては今朝何気なく自分の住むアパートを振り返った時に、ベランダへ出ている平助を見つけたからだった。
一体あいつは何をするためにベランダへ出ていたのか。
洗濯物を干すにしても、洗濯機は昨日の夜から真一が出勤するまでの間で動いていた覚えはない。
つまり、干す洗濯物がないのだから、洗濯物を干すためにベランダへ出た可能性はないだろう。
そうなると、次に思い浮かぶのはーー
(…………まぁ、昨日の夜からなんとなく変だったけどな)
昨夜、平助はカレンダーを見ながら「クリスマスに一人って、初めてだなぁ」とぼやいていた。
それは真一を咎めるような言い方ではなく、ただ単純にどうやって過ごそうかと途方にくれているようなものだった。
そして今朝、玄関で見送ってくれた時も、平助は何処と無く元気がないような気がした。
そういったことが気になったというのもあり、真一は初めて通勤路から自分のアパートを振り返ったのだ。
まさかベランダに、平助の姿を見るとは思っていなかったが。
当の本人も、真一が振り向くことは予想していなかったらしく、驚いた顔をしているのは遠目からでも分かった。
しかし手を振れば、まるで飼い犬が自分の尻尾をちぎれんとばかりに振るかの如く、大きく手を振り返してきたため、その元気そうな姿にホッとしながら、真一は会社へ向かったのだった。
(………案外寂しがり屋だよな、あいつ。最近知ったけど)
平助は今、何をしているだろうか。
夕飯だけでなく、クリスマスケーキも作り、今か今かと自分の帰りを待ちわびているかもしれない。
ソファーに座ってテレビを見ながら、ちらちらと壁に掛けてある時計へ視線を向けている光景が目に浮かび、真一は家路への足を速めた。
「サンタさんって、クリスマスに来るんでしょ?でもさぁ、なんでクリスマスイブの夜にプレゼントを持ってくるのかなー?クリスマスに来るなら、クリスマスの夜にプレゼント持ってくればいいのにー。小さい頃から不思議だったんだよねぇ」と、よく意味の分からないことを話していた平助を思い出しながら。
しかしこの時の真一は、まだ何も知らなかった。
真一の帰りを待つ平助が、一人ではないということを全く想像していなかったのである。
「……………………何だそれ」
そのせいで、リビングに入るとまず初めに出た言葉はそれだった。
平助は意気揚々と答える。
「じゃじゃーん!今年はなんと!クリスマスツリーを買っちゃいましたー!はい、拍手!!」
「ツリーじゃねぇよっ!そっちだよそっち!!誰だそいつっ!?」
今朝出社する時にはなかったクリスマスツリーの前に立ち、踊り出しそうなぐらいのテンションで両手を叩く平助に大きな声が出た。
反射的に指をさしてしまったのは、テーブルの椅子へ座り、平助が使用しているマグカップで何かを飲んでいる少年だ。
小学校低学年ぐらいの年齢とおぼしき少年は、くりくりとした丸い目を怯えさせると、すぐに平助の後ろへと身を隠す。
「こらー、真ちゃん人に指ささないの!彼はライトくんでーす。源氏名じゃなくて、本名ね。ぴちぴち9歳!」
「らい…………キラキラァ……」
「なんかねー、一文無しで家出してきちゃったみたいでさぁ。休憩場所に選ばれたのがうちでしたー。ちなみに、このツリーについてる綿はライトくんの案でーす。雪降ってるみたいに見えるよねぇ。賢い!偉い!」
自分の後ろへと隠れた少年ーーライトの頭をぐしゃぐしゃに撫でると、黒髪があちらこちらへと跳ねるが、ライトはそれを嬉しそうに受け入れている。
そして、「いえーい!」という平助の掛け声と共に、二人はパチンとハイタッチした(平助は少年の顔の前に手を出しただけだが)。
一体いつから平助とライトが一緒にいるのか分からないが、二人は既に打ち解けてしまっているらしい。
真一はもう、何が何だか、この非現実的な現実に目の前がチカチカし、頭がくらくらしてくる。
しかし次の言葉は決まっていた。
「かえしてこいっ!!」
大きな声に怯んだのは少年だけであり、平助はケラケラ笑う。
「何回聞いても教えてくれないから、お家分かりませーん」
「じゃあ、とりあえず外に出せっ!」
「ひどーい!こんな真っ暗な中外に出したら、誰かに誘拐されちゃうかもしれないじゃーん!」
「お前がっ!今っ!やってることだからなっ!それっ!!」
たとえライトが家出少年であり、さらにライトの方からうちにやって来たとしても、こんなご時世だ、誘拐に思われても仕方がない。
もう19時を過ぎているのだ。
家にいるはずの息子が居ない、または帰ってこないことに対し、ライトの両親が慌てふためいている姿が容易に想像できる。
もしかしたら、警察に連絡をしているかもしれない。
そう考えると、真一は血の気が引いて、身体がわなわなと震え出すのが分かった。
そんな真一を他所に、平助は至極暢気にライトへ「怖くないよー。大丈夫だよー。本当はすごく優しい人なんだよー」と話しかけている。
その会話で、真一はプツリと何かが切れる音がした。
無言でスマートフォンを取り出す。
「あれー?真ちゃん、何やってるの?」
「警察」
「え?」
「もしかしたら親が連絡してるかもしれないし。してなくても、こっちから連絡すれば誘拐を疑われることはないかも……」
「わー!ちょっと!ちょっと待ってぇ!」
今度は急に平助が慌てだし、真一に近付くとその手からスマートフォンを取り上げた。
真一は平助からスマートフォンを取り返そうと腕を伸ばすが、平助も負けじとそれを死守する。
少年の目の前で、大の大人の男が二人、スマートフォンの取り合いをしている光景は、なんとも滑稽だ。
「安心しろっ、平助ぇ。お前が誘拐してないってことは、俺がちゃんと弁明してやるからっ!安心しろっ」
「仕事行ってて何も見てない人がっ、どーやって弁明するって、いうのーっ?」
「やってないんだろ?やってないならっ、大丈夫だっ!」
「やってないからっ!ちょっと待ってって、言ってんでしょーっ!……んもー!ライトくん、ちょっとこれ持っててー!」
平助がスマートフォンを託したのは後ろで呆然と二人を見ていたライトにだった。
少年も少年で、言われた通りスマートフォンを受け取るが、どうしたらいいのか分からないという困惑した表情をしている。
すかさず真一がライトの手の中にあるスマートフォンを取り返そう近付いたが、それを平助は抱き止めるように身体で止めた。
「離せ平助ぇ!」
「どうどう!真ちゃんどうどーう!はーい、こっち来てー!ライトくんはちょっと待っててねぇ。あ、テレビ観ててもいいよー」
そしてずるずると、リビングから玄関へ続く廊下まで真一を連れていく。
平助は後ろ手でリビングのドアを閉めると、リビングの明かりだけが射し込む廊下は薄暗くなった。
取っ組み合いで息を切らす真一の背中を、平助は優しくさする。
そのほんの数秒後に、リビングからテレビの音が聞こえ始め、真一は信じられないという気持ちになった。
この状況で、あの少年は平助に言われるがまま、テレビをつけたのだ。
度胸が座っているというか、なんというか……。
リビングにいるライトを気遣ってか、平助は小さな声で真一に話しかける。
「真ちゃん。あの子多分、このアパートに住んでる子だと思うんだよねぇ。今朝ゴミ捨てに行った時、見かけたから」
「…………このアパートに子どもって住んでたか?」
首を捻る真一に、平助は続けた。
「ほら、母子家庭の家族が住んでるじゃん?あー、でも真ちゃんは朝早いし、見かけたことないかなー?俺は時々見かけてたんだけどー」
「……どこの部屋だ?」
「うちが使ってる階段とは別に、もう一個階段があるでしょ?そこの部屋の子だと思うんだよねぇ。2階の……角部屋」
「……やけに詳しいな」
「うちに綿がないって言ったら、すぐ持って来てくれたんだよ。こそーっと踊場で観察してんだけど、その階段を登って行ったから、そこの子かなぁって」
「………じゃあ早く家に帰せよ」
「それが帰りたくないの一点張りなんだよねぇ。オレも17時ぐらいに一回ライトくん家に行ったんだけど、誰も出てこなくってさぁ。もう参っちゃったから、二人で楽しくクリスマスケーキ作っちゃったー」
「お前は…………」
困っていると口にする割に、ケラケラ笑う平助からは全くそんな様子はうかがえず、真一は呆れてため息をついた。
しかし、平助も一度は少年を家へ帰そうとしたのだと知り、漸く気持ちが落ち着いてくる。
さて、どうするかなと、真一は頭をかいた。
警察に連絡をするという選択肢は未だ残っているが、直接少年の家へ行く、もしくは抱えてでも連れて行くという新たな選択肢も出てきたわけだ。
どの方法が最善かを考え出した時、平助は再び口を開いた。
「オレがライトくん見とくからさぁ、真ちゃんはライトくんママ連れてきてよー。そろそろ帰って来てると思うし、ライトくんがいなくて心配してるかもー」
こいつはなんて重い任務をこう簡単に言いのけるんだろうかと真一は頭を抱えたが、仕方がないと思い直す。
明らかに、ライトは平助になついていた。
大きな声しか上げていない自分が一緒にいるよりも、平助が一緒にいる方がいいだろう。
漸く話がまとまり、取り敢えずリビングへ戻ろうとすると、二人の内どちらかがドアを開ける前にそれは開いた。
「へーすけ」という小さい声と共に、ライトがドアの隙間から顔を出す。
その少年の目に密着した男二人がどのようにうつったのかは知らないが、元からくりくりとした丸い目が、さらに丸くなったのが分かる。
そしてこれまでの様子からでは想像もつかないような大きな声で、少年は言った。
「二人ってホモなの!?」
「ホ……ッ」
「わー、よく分かったねぇ!すごーい」
固まる真一の隣で、平助はケラケラ笑うと、ライトの肩を持ってリビングへ入った。
「げーっ!気持ち悪ぅ~!」
ライトは舌を思いっきり出した大袈裟な表現を平助に向けると、さらに平助はケラケラ笑ってその頭を撫で回した。
こいつ、こんなお調子者だったのか。さっきまで猫被ってたな。
帰れクソガキと心の中で毒づきながら、真一もリビングへ入った。
「触んなよーっ!ホモ菌がうつるっ!」
「えー、そんなこと言われたら触りたくなっちゃうな~。えーい、えーい」
「わーっ!やめろ、バカへーすけ!!」
「パンツ脱げ~い」
「ぎゃははははははっ!!!」
仲良くソファに座ってじゃれ合う少年と平助を見て、真一は大きくため息をついた。
これからこの少年の家へと行き、初対面であるその母親にこの現状を説明しなければならないのだ。
なんて説明するかなと真一は考えながら、テーブルに置かれていた自分のスマートフォンをポケットの中へ入れると、「コンビニ行ってくる」とだけ告げて、再び玄関へと向かった。
リビングから、賑やかな声が聞こえる。
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