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そんな日常:足立美奈子
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[2]
『今日はヒレカツだよ~(●´ε`●)』
『キャベツも超千切りにしたから、たくさん食べてねんヽ(o´3`o)ノ』
超千切りってなんだ、と真一は心の中で突っ込む。
送り主は平助だ。
定時時間が近付いてくると、必ず平助からLINEが入る。
毎回毎回決まった時間に送られてくる夕飯のメニューを見る度、マメな奴だと思う。
そして、これからこいつも出勤か、と、そう思うのだ。
「彼女さんからですか?」
「え?」
いつの間にか後ろに立っていた同僚の女性に話し掛けられ、横山真一は大袈裟に身体をビクつかせてしまう。
そして咄嗟にスマホを胸ポケットに入れた。
その動作に対して何を思ったのかは知らないが、女性はニヤニヤと笑みを作りながら真一を見ている。
「横山さん、この時間になると必ずスマホ見ますよね」
「……そ、そうかな?」
「彼女からかなぁって、みんな噂してますよ。横山さん、彼女居ないって言ってるから」
「ははは……。……彼女じゃないよ」
女性の笑みから覗く、どこか獲物を見るような目に、真一は変な汗をかきながら乾いた笑いで誤魔化す。
自分でも不自然だと思う笑い方に、女性は「ふ~ん」と何か言いたそうな目で真一の顔を上から下に眺めたが、それ以上の追求はしてこなかった。
代わりに書類を渡してくる。
「これ、明後日の会議の資料です。明日渡したかったんですけど、私午前中は外に出てるので、今渡してもいいですか?」
「ん?あぁ、分かった。チェックしたら、机に置いとくよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
女性から受け取った資料を手にとり、机に向き直る。
定時前に資料か……と、思うところはあったが、枚数はそれ程多くない。
家に持って帰るほどでもないと判断し、資料に目を通しだすと、何故だか空腹感を覚えてきた。
すると自然に、平助から送られてきたLINEの内容が思い出される。
今日はヒレカツか。
肉なんて買ってただろうか。
無いとするなら、あいつは睡眠時間を削ってまで買いに行ったんだろうか。
そういえば、最近買い物をしていないような気がする。
料理も、平助が作る方が美味いからと、していない気がする。
なんだこれは。少しあいつに頼りすぎてないか。
いつからこうなった。
「横山さんって」
「うわっ!まだ居たの!?」
急にまた背後から同じ女性に話し掛けられ、真一は先程よりも大きく驚いた。
てっきりもう自分の机に戻ったのかと思っていたが、女性は全く位置を変えていない。
真一の驚き様に、女性も驚いた顔をしたが、すぐに笑い出す。
真一も真一で、照れ隠しのように笑ったが、心臓に悪い女だと心の中で悪態をついた。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「うん、何?」
笑いがおさまった所で、女性は真一の方に顔を近付け、少し声をおさえた。
近付いてきた顔に身体を引いてしまいたくなるのを、ぐっと堪える。
女性がつけている香水の匂いが、鼻孔をくすぐった。
一体何を聞かれるのかと、再び変な汗が出てくる。
「受付の、足立美奈子と付き合ってるって、本当ですか?」
内緒話をする様に、女性は真一の耳元で囁いた。
真一の思考は一瞬停止する。
というのも、何を聞かれるのかとドキドキしていた分、女性の質問内容はこれまでも何度かされてきたことだったため、拍子抜けしたからだ。
同時にほっと、胸を撫で下ろす。
「付き合ってないよ」
「でも一緒に出勤したり、帰ったりしてる所を見たって人、たくさん居ますよ」
それだけで交際してると判断するなんて、お前らの頭は思春期かと突っ込んでやりたくなるが、いや確かに誤解を招きかねない行動だとも思い直す。
しかし、誰が誰と交際しているかなんて、そんなに気になるだろうか。いや、気になるか。
思春期のそれとは、少し違うか。
真一は笑みを貼り付ける。
「足立さんとは同じ方向だから、途中で偶然会ったりするんだよ。それだけ」
今までと同じ返答をした。
当たり障りのない返答だが、嘘はついていない。
[3]
「あ、真一くんだ。お疲れ」
「美奈子……」
噂をすれば影、というのはあながち間違っていないんだろう。
結局定時を少し回った所で今日は退社することが出来たのだが、帰っている途中で話題にのぼった本人、足立美奈子に出くわした。
彼女は真一を見ると、ふわりと優しく微笑む。
美奈子は真一の勤める会社の受付嬢だ。
彼女を表現するならば、誰もが柔和という言葉をあげるだろう。
痩せすぎず、太りすぎずな体型に、小顔だが丸い輪郭。顔付きも優しい。声は高いのだがゆっくり喋るせいもあって煩くない。
性格は大人しいが、常に朗らかで笑顔を絶やさないため、会社内だけじゃなく、外部からのうけも良い。
当然、彼女を狙う男性からのアプローチも多いようだが、彼女は決してなびかないというのはそこそこ有名な話だ。
そんな彼女の明るすぎない茶色の髪は、受付にいる時とは違っておろされていた。肩先までの長さで、毛先は少しだけ内側に巻かれている。
それがまた、彼女の印象を柔らかくしているように思えた。
「今帰りか?遅いな」
「うん。少し勉強してて。家じゃ手がつかないから」
真一は、当然のように美奈子の隣に立ち、そして二人で歩きだす。
歩幅は自然と美奈子に合わせられた。
歩道脇に並ぶ店のショーウィンドウにうつる、自分達の姿を見て、真一はなるほどなと思う。
確かにこんな二人を見れば、交際していると思われても仕方がないのかもしれない。
しかし、二人は付き合っていないのだ。
そんな雰囲気になったこともない。
何故ならば、彼女は真一の会社で唯一、彼の秘密を知っているからだ。
「平助くんとはどうなの?仲良くやってる?」
美奈子は周りを気遣ってか、二人にしか聞こえないぐらいの小声で聞いてきた。
こんな街道で誰も自分達の会話など気にも止めないだろうと思うのだが、それが美奈子の真一に対する配慮だと分かるため、悪い気はしない。
「うーん、まぁまぁかなぁ。ペース崩されてばかりだけど。今朝とかあいつ、玉子焼きにマヨネーズかけやがってさ。信じられるか?」
「ふふふっ。平助くんならやりそうかな」
「おかげで朝から胸焼けが酷いのなんのって」
本当は胸焼けなど起こしていなかったのだが、敢えて大袈裟に話してみそれば、美奈子は可笑しそうに隣で笑った。
真一も笑う。
美奈子は真一よりもずっと前から平助のことを知っている、いわゆる幼なじみだ。
彼女は平助が恋愛において性別を気にしない奴だということも知っている。
そして、真一と平助が、男同士で交際していることも、平助が真一に美奈子を紹介することによって、芋づる式にバレてしまった。
真一は、平助から美奈子を紹介される以前から、彼女が自分が勤めている会社の受付嬢であることを知っていた。
しかし存在を知っている程度で、話したことはなかった。
接点など持たないだろうと思っていた所で、平助が自分の幼なじみが困ってるんだよねと話し、なんの前触れもなく美奈子を真一に会わせたのだ。
「この人、オレの彼氏なんだけど~」
ちょうど、今から通りすぎる角を曲がった先にある、耳の遠い老人が一人で経営する隠れ家のような喫茶店で、客は自分達しかいなかった。
平助は、急に呼び出された先でまさか受付嬢に出くわすとは思いもせず、頭の中で冷静に状況の整理を行いながらも困惑していた真一を他所に、平然と美奈子に自分達のことを打ち明けた。
それまで誰にもカミングアウトなどしてこなかった真一は、自分の性癖を他人に知られることの恐怖感と焦りが怒りにかわり、その場で平助の頬を殴りつけた。
他人と言っても、出勤すれば必ず顔を合わせる受付嬢だ。
こんな性癖を知られてしまっては、もう会社を辞めなければならないと、飛躍的な考えを起こした真一は、女性の前であるにも関わらず、殴られて壁際に追いやられた平助の胸ぐらを掴んだ。
反抗しない平助は、あの口調でまぁまぁと宥めてくるのだが、逆にそれが真一の神経を逆なでし、もう一発殴りそうになった辺りで、美奈子が真一の腕を掴み、なんとかその場はおさまった。
しかし、絶対に美奈子から自分の性癖が会社にバレていくと思い込んだ真一は、次に美奈子を睨み付ける。
美奈子は一瞬怯んだが、しかしそこでギュッと唇を噛み締めると、彼女にしては凛とした声で交換条件を出したのだ。
「事が収まるまで、私の彼氏のふりをしてください。それをしてくれたら、事が収まった後でも貴方のことは誰にも言いません。ここであったことは全て忘れます。信用ならないんだったら、私が会社を辞めます!」
だからお願いしますと、テーブルに額がついてしまうぐらい頭を下げた美奈子の必死様に、ただものならぬ物を感じた真一は、少しだけ冷静さを取り戻した。
隣で鼻血が出たらしい平助は、街道で貰ったティッシュを鼻にねじ込みながら、「美奈子ちゃんは口固いよ~」と言った。
そんなことが、真一と美奈子の間ではあったのだ。
美奈子の言った『事』というのは、2週間ほどで収拾がついた。
真一がしたのは、2週間、美奈子の彼氏のふりをしながらの護衛であり、事を収めたのはだいたいが平助だ。
たった2週間だったのだが、美奈子を知るには十分だった。平助が言った通り、美奈子は人の秘密を口にする女性ではなかった。
真一が会社を辞めずにすんだのも、その2週間で美奈子を信用することが出来たからだ。
そして2週間が終わった後も、こうして出会せば言葉を交わし、一緒に出勤したり帰路につくようになったのは、美奈子の人柄のおかげだと思う。
お互い、もう必要ではないのに会社の外では下の名前で呼びあうのが抜けないのも、信頼関係の現れだ。
真一は、隣を歩く美奈子を、可愛らしい人だと思う。
可愛らしく、優しく、賢い女性だ。好感が持てる。
彼女を口説こうとする男の気持ちも、分からないことはない。
しかし真一は、美奈子に対して守りたい、優しくしたいという感情は起こっても、それ以上のものはなかった。
昔から平助のことを知っているからなのか、美奈子には偏見というものがない。
そのせいか、彼女の隣は居心地がいい。
自分の秘密がバレているというのに、こんなにも落ち着ける相手というのは、恋人の平助の他に美奈子だけだった。
「平助くんによろしくね」
「連絡してやってよ。美奈子から連絡来ないって、不貞腐れてたからさ」
「ふふふっ。じゃあ今度遊びに行こうか。3人で」
地下鉄の入り口で、美奈子とは別れる。
彼女は小さく手をふりながら、階段を降りていった。
平助も、美奈子になついている。
少なくとも、あいつが仕事で相手にしている女性と美奈子は全くの別物だ。
真一と美奈子の偽りの関係を信じ込み、逆上した美奈子のストーカー男が包丁を取りだした時、それに全く怯むことなく男に飛びかかったのは平助だった。
きっとあいつなら、客である女が同じ状況になった場合、同じような行動に出るだろう。
しかし、執拗までにストーカー男を殴り付ける平助を見て、真一は思った。
平助は美奈子を特別視している。
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