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日曜日の来客者:謝罪
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[5]
「……ごめん」
「何が~?」
真一はベッドに腰掛けると、先にベッドに入っていた平助に背中を向けたまま謝った。
平助はベッドに俯せで寝転がり、例の本をペラペラとめくりながら返事をする。
読む気はないらしく、最後までページをめくり終えると、また適当な所で本を開き、そのページを進めていく。そんなことを繰り返していた。
真一が何に対して謝っているのか、全く分からないといった口調だったが、何も分かっていないはずがない。
しかし、何も気にしていないという態度だった。
あの後、母は涙ぐみながら平助を励まし、平助はさも真剣にその話を聞いて心を打たれたかのように嘘泣きをしながら、母に抱き付いた。
後から来た美奈子も、彼女なりに状況を察したのか、涙ぐんでいた。
しかしやはり頭の切れる女性で、立ち尽くした真一の横に来ると、その肩を叩いて時間が迫っていることを教えてくれた。
その後は、ただただ、慌ただしかった。
慌てて準備をし、真一は急いで母を地下鉄の入り口まで連れて行った。
その間、会話らしい会話はしなかったが、地下鉄の入り口に着いた時、母はいつもと何も変わらない様子で真一の肩を叩くと、「頑張りなさい」と笑った。
そして印刷した地図を持ち、大きく手を振りながら地下鉄の階段を降りて行く。そんな母の姿が見えなくなるまで、真一は見送った。
帰って来ると、駐車場を出ようとしている美奈子の軽自動車に出会した。
まさか平助も、と過ったが、車には美奈子しか乗っておらず、真一は安堵する。
平助のキャリーバックと段ボール二つは、平助自身が美奈子の車から家に運んだらしい。
「悪かったな」と、その日一日分の意味を込めて謝罪すると、美奈子は相変わらず朗らかに笑った。
「気にしないで」と、彼女は言った。
「平助くんが言ったことも、気にしちゃ駄目だよ」と。
美奈子の運転する車が見えなくなるまで見送ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
母に向かって謝りながら、頭を下げる平助の姿が浮かんでくると、今すぐ平助の顔が見たくなる。
しかし、今日はずっと平助に対して酷いことばかりしてしまったという罪悪感もあり、どんな面をして会えばいいのか分からなかった。
家に帰ったら、まず平助に謝ろう。
そう思いながら、重たい足取りで階段を昇り、家に帰ると、母が持ってきてくれたタッパーを冷蔵庫から取りだし、その中身を食べている平助がいた。
「真ちゃんママの漬物、超美味いんだけど~」と、漬物だけを頬張る平助に対して、真一は拍子抜けしてしまう。
あんなことがあったというのに、平助はいつも通りすぎた。
謝罪の言葉を言うタイミングを確実に逃した真一は、二人でベッドに入ろうとしている今、ようやくその言葉を口にすることができたのだった。
「……お前が居なかったら、大変なことになってた」
真一は後ろを振り返らずにそう呟く。
すると、本が閉じられる音と共に、座っていたベッドが軋んだ。
平助が起き上がったのだと分かったが、真一は振り向けない。
背中に、平助の体温を感じた。
平助が背中に抱き付いてきたのだと、すぐに分かる。
首に腕が回されるのと同時に、平助の腕によって例の本が真一の目の前に掲げられた。
カモフラージュのために覆っていた小説のカバーはなく、『同性愛とは何か』という本のタイトルが、真一の目に飛び込んでくる。
このタイトルを見た瞬間、母が顔を反らしたことを思い出すと、真一の胸が痛んだ。
そんな真一を知ってか知らずか、平助は本を横に振る。
「こんな本読んじゃうなんてさぁ。真ちゃんらしいよね~。オレには何が書いてあるのかサッパリ~」
平助が何故本を真一の前に掲げたのか、その意図は分からない。
責めているのだろうか。しかし、責められても当然かと、真一は思う。
そんな時、後頭部に唇が当てられるのが分かった。
「オレは目を逸らさないよ」と、小さな声で平助が言う。
「真ちゃんが一生懸命、自分に向き合ってた証拠だもんね~」
その言葉は、真一の奥深くに落ちてきて、温かく滲んだ。
唇は、首もとにまで降りてくる。
「……ごめんな」
「だから、何が~?」
「お前は関係ないのに、謝らせてごめん。頭なんか下げさせてごめん。本当は、俺が謝らなきゃいけないのに、俺、動けなくて」
情けないよな。
そう溢すと、首から腕が離れて、そして首もとの脣が離れ、平助の体温が離れていった。
それがどうしようもなく真一を寂しくさせたが、すがることが出来ない。
真一は両手で顔を覆うと、大きく息を吸い、それを長く吐き出した。
平助は今、どんな顔をして自分を見ているんだろう。
平助は今、何を考えているんだろう。
平助は、こんな俺を、どう思ったんだろう。
自分のことばかりを守るのに必死で、全て恋人である平助に押し付けた自分を、どう思ったんだろうか。
怖い。今ここで、平助を失いそうだ。
真一は再び、息の仕方が分からなくなる。
苦しい。苦しい。
息を吸い、そして吐いているというのに、苦しい。
「謝んないでよ~」
平助の声が聞こえるのと同時に、離れていった体温が再び背中に戻ってくる。
その固さと重さから、平助が額を背中に預けてきたのが分かった。
「……真ちゃんにとって大切なものはさぁ。オレにとっても大切なものなんだよ。それが守れたんならさ、それ以上のことって、ないよねぇ」
そう言いながら、背中の平助が微笑んだ気がした。
家族が大事だから、自分がゲイであることは一生話さないと、真一は平助に話したことを思い出す。
だからこいつは、無関係なのにも関わらず、謝罪したのか。
頭を下げたのか。
プライドというものがないのか。
いや、いくら平助でも、そんな訳ない。
そんな訳ないのに、どうして、自分なんかのために、それを簡単に捨ててしまえるんだろうか。
もしも逆の立場だったなら、自分も平助と同じ行動を取ることが出来るんだろうか。
平助にとって大切なものが、平助の手から離れそうになった時、自分はそれを守ることが出来るんだろうか。
「…………お前にとって、大切なものって何だ?」
「真ちゃん」
間髪入れずに、平助は真一の問いに即答した。
そして腕を腰に絡めてくる。
「真ちゃん、もうそろそろ顔上げてよ~」
「やだ」
「な~んで~。オレ今めっちゃ真ちゃんとちゅーしたいのにぃ」
「駄目だ」
「ちゅーしよ~、真ちゃん。真ちゃんもオレとちゅーしたいでしょ~。ほら、ちゅ~!ちゅ……」
「ちゅー」と、平助が繰り返す前に、真一は前屈みになった体勢を起こすと、片手で平助の両頬を掴み、盛り上がった唇にキスをする。
そんなただ乱暴な、触れるだけのキスなのに、平助は離れていく真一の顔を見ながら、目を細めて微笑んだ。
「……めちゃくちゃ激しくってさぁ、甘~いセックスしよ。真ちゃんもしたいでしょ?」
そして再び、平助は真一の首に腕を絡め、唇を真一の唇に重ねると、舌を入れてきた。
誘われるがままに、真一は自分の舌を平助の舌に絡ませ、そのまま平助をゆっくりベッドに押し倒す。
「そういう顔した真ちゃんも、大好きだよ」
自分がどういう顔をしているのか、真一は分からなかった。
しかし見上げてくる平助は、とても機嫌が良かった。
§
「真ちゃんには、美奈子ちゃんがいいと思うだよね~」
「何言ってんだお前」
二人でベッドに仰向けになり、天井を見上げていると、隣にいる平助はそう呟いた。
昼間、母に真一と美奈子は付き合っていると嘘をついた平助のことを思い出す。
あれは、あの場を誤魔化すための嘘だと思っていた真一は、再び平助が似たようなことを口にしたことで、眉間に皺を作った。
平助は、そんな真一に気が付いているのかいないのか、そのまま白い左腕を天井に伸ばす。
「真ちゃ~ん、これ知ってるぅ?」
そして、肩と肘の間に一段と白い一本の線を、真一に指差した。
それは生まれつきではなく、後から付けられた傷だということは見て分かる。
気が付いていたが、敢えてその傷のことを平助に尋ねたことはしてこなかった。
指でなぞることはあったが、その度平助ははぐらかした。
その傷を、平助は自分でなぞりながら、真一に見せる。
「知ってる」
「これさ~、母ちゃんが包丁振り回した時についた傷なんだよねぇ」
真一の返答を受けると、平助は天井に伸ばした左腕を引っ込めた。
そして、しみじみと語りだす。
「家で彼氏とセックスホイホイしてたのがバレた日だったかな~。ほら、不良息子に対して母親がさ、『あんたを殺して私も死ぬ』みたいなやつ。包丁向けられた時はさすがにビビったけどさぁ。でも、母ちゃんが自分の首に包丁の刃を向けた時が、一番怖かったなぁ」
平助の話を聞きながら、真一は、包丁を向けてきた美奈子のストーカー男に臆することなく立ち向かっていった平助の姿を思い出した。
きっとその時もそうだったんだろう。
首に包丁を突き付けた母親を、平助はきっと全力で止めたんだろう。
その姿は、簡単に想像することが出来た。
「オレ、男も女も好きになっちゃうけどさ、悪いことしてるとは一回も思ったことないんだよねぇ。こっちとしては、男にも女にも性欲沸いちゃうから、二倍大変なんだよとか思ってたとこあるしさぁ。だから、謝んなかったんだよねぇ、母ちゃんに。今まで一度も謝ったことないの。今後も、謝る気なんてない」
でもさぁ、と、平助は続ける。
「あの時の母ちゃんには、嘘でも謝った方が良かったのかな~って、ほんの、ほんのちょこっとね。そう思ってたんだよね。だから今日、真ちゃんママに謝れて、良かった。なんか、あの時の母ちゃんに、謝れた気がする。……だから真ちゃんはさぁ、本当に、謝らなくっていいんだよ」
謝らせてくれて、ありがとう。
そう言った平助の左手に、真一は右手を絡めた。
返事をしない代わりに、その手を強く握る。
平助も、無言で握り返してくる。
『正しく生きろ』と、父は言った。
それは、人に迷惑をかけず、人を騙さず、常に誠実であること。
それは、真面目に働き、自分の家族を養い、大切にする父のような生き方。
同性を好きになる。
最早そこから、正しく生きてはいないと思う。
平助と付き合いながら、家族に対して後ろめたさを感じてしまうのは、正しく生きていない証拠だとも思う。
しかし、平助は違う。
平助は、父の言ったように、正しく生きている。
(正しく生きるって、なんだろう……)
この右手が繋ぐ同性を、愛しく思い、大切に思い、大事にしたいと思い、守りたいと思うことは、正しくないことだろうか。
平助との日々が、この先もずっと続くことを願うことや、平助との日々に幸せを感じてしまう、この気持ちは、正しくないことだろうか。
それを隠すことが、正しいことなんだろうか。
隠している今は、正しいことをしているんだろうか。
瞼が重たくなってきたのに逆らわず、真一は天井を見上げていた両目を閉じた。
ゆっくりと、意識が暗闇に沈んでいく。
それを感じながら、隣にいる平助が、独り言のように呟くのが聞こえた。
「真ちゃんの幸せの形が、オレと一緒になったらいいのに」
そういえば、自分が正しい生き方を考えている間、平助は何を考えていたんだろう。
そう思うのを最後に、真一は意識を手放した。
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