アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
Ωはβとすれ違う
-
Ωとβはすれ違う
人の、女の塊がある。黄色い悲鳴を浴びているのは灰色がかった白い髪をした背の高い男だ。紫の瞳はたれ目がちで人の良さそうな笑顔で群がる女たちの相手をしている。高級そうなスーツに身を包み、その身体は程よく鍛えられているようだった。本能的に分かる。あれは、αの男だろう。
α、話には聞いたことがあるが実際目にするのは初めてだ。Ωと同じくらい希少価値のある存在。但し二つのタイプの価値観は全く別物で、αは生まれもった才能や能力を惜しみ無く発揮しリーダーとして社会を形成していく超一流の生活をする人生の勝ち組。一方Ωと言えばそれとは真逆の立ち位置。社会の底辺でαの番になり子どもを生む、その一生を子を育てるためだけに家庭の中で過ごす子作り要員だ。αとは雲泥の差、しかも三ヶ月に一回は発情するなんてはた迷惑な機能付き。やってられない。
俺はΩのしかも男。生まれ落ちた瞬間から負け組な上に男なのに子ども産めちゃうとか泣きたい。 ごく普通の一般人である人口の大部分を占めるβタイプに産んでくれよほんと。圧倒的少数派のよりにもよってΩタイプ。 しかしそれを悲観したところでタイプを変えることなんてできないし批難したくとも俺に親はいない。両親は生まれてすぐ判別したタイプを聞いて俺を孤児院の前に置いてどこかに消えてしまっている。顔も名前も知らないから捨てられたことを恨んでない。Ωとして産んだことは腹立つけど。
しかし諦めるのは早い。日々変化していく社会で技術が発達して数年前にΩにとって画期的なものが発明された。
抑制器
それは家の中で丸くなるしかなかったΩにとって革新的で画期的で高い有用性を持った。今だって俺は発情期真っ最中だけどこうして素知らぬ顔して街を歩いている。開発したのは名もない若いαの人間らしいが今はきっと優雅な暮らしをしているだろう。抑制器の原理とかどんなもので構築されているかとか俺の知る由もないが、αは理解できないほどの天才なのだということは理解できた。
少し離れた先で囲まれているあのαも俺が知らないだけでとんでもないことをしているのかと思うとため息が出る。外を歩けるようになったとは言えΩの社会的な地位は低いままだ。こんなに近くにいながらこんなに同じ見た目を持ちながら一生並ぶことはできない。 並びたければαと番になるしかない。養われるしかない。それがΩにとっての幸せであり、勝ち組になる方法なのだ。
ジッとαの男を見ていると不意に男と目が合う。紫の目は柔和な笑みを浮かべている。しかし俺を視界に捉えると笑顔が顔から消える。
多分俺のフェロモンに気付いた。αはΩのフェロモンをβ以上に敏感に感じとるらしいから発情期のくせにフェロモン撒き散らして歩いてやがるとか思ってるんだろうな。目線を外して足早に去る。αに目を付けられると厄介そうだから捕まる前に逃げよう。
αはその余りある才能を誇りに思っているせいかやたらと自尊心が高いやつが多い。それ故体裁をすごく大事にしている。フェロモンを嗅ぐとαもβも正常ではいられなくなるのだから分かっているものをわざわざ外で嗅ぎたいやつなんて稀有なことで。やつらにとって必要なとき以外でフェロモンを出すΩは非常に腹立たしい存在だ。何をされるか分からない発情期だし逃げたもん勝ち。
小走りに大通りを抜けて路地に入る。それから何回か曲がるとボロボロのドアが現れるので飛び込んだ。
「お帰り、遅かったなっ」
目に入ったのは白。あのαとは比べ物にならない透き通った白の髪に白い肌。透明に近い茶色の大きな目が俺を優しく迎え入れてくれる。
「ただいまテンゼロ。ちょっと珍しいもの見ちゃったからさ…はい卵、これでいいよね?」
「ありがとう!すぐ朝飯作るから手洗って待ってろよ。…ん?珍しいもの?」
「そ。αだよαの男を見たんだ。βとかΩとかに囲まれてた」
「へぇ、それは珍しいものだな!」
テンゼロは受け取った卵を取り出して手早く目玉焼きを作り始める。並んで手を洗う俺よりも少し小さいテンゼロはしかしβの成人した男なのだ。コロコロと笑う姿は子どもの俺よりずっと子どもっぽいがそれを言うと怒るので心に留めておく。
「何もされてないよな?」
「大丈夫だよ、心配しないで」
テンゼロは心配そうに俺を見上げる。その間も手は動かしているのが器用だなと感心する。
「…俺が買い物に行けたらどんなに良かったか」
「テンゼロは心配しないでよあんたの身体になんかある方がずっと心配なんだから」
「けど…」
キッと睨むとテンゼロは口を尖らせてフライパンに目を戻す。あっという間に作った、白と黄色が眩しい目玉焼きを皿に乗せる。美味そうだ。皿を受け取ってテーブルに運ぶ。
「テンゼロは身体が弱いんだし無理したら倒れるよ?俺は抑制器があるから全然平気。テンゼロには恩がある…返したいんだよだから俺に甘えてくれない?」
柄にもなく猫なで声で小首をかしげればテンゼロはあっという間に陥落してうーんと少し不満げに席についた。
「いただきます」
「ちゃんと食べろよ少年」
手を合わせて食べ始める。出来立ての目玉焼きにソースをかけ箸を入れれば俺好みの半熟の黄身が溢れてソースと混ざった。黄身とソースを絡ませた白身を少し切って口に運び真っ白で温かいご飯をかきこめばソースの塩っ気と黄身の甘さが上手くご飯と合って頬が緩む。
「美味い!」
「そうかそうか、どんどん食えよ」
テンゼロに笑いかければテンゼロもにっこりと笑い返してくれる。いたずら好きな子どものような笑顔が溢れて俺はそれもおかずにしながらご飯を噛みしめた。幸せとはきっとこの事を言うのだ。αと番になることだけがΩの幸せじゃない。βとは番にはなれない。でも一緒にはいられる。ずっと続けばいい、いやずっと続くんだ。
「テンゼロ」
「ん?なんだ少年」
「いつもありがとう」
素直な気持ちを吐露するとテンゼロは少し驚いた顔をしてから、俺の方こそありがとう、と、にかっと笑うテンゼロは俺の世界で一番輝いていた。
カチャカチャと軽やかな音を立てながら鼻唄混じりにテンゼロが皿を洗っている。エプロンを付けた背中を眺めていると無性に抱き締めたくなった。腹が膨れたからか妙に下半身の怠さを感じて感じるままにテンゼロに抱きつく。
体格差があれば包み込むようにできるのになと考えながら腰に手を回すとテンゼロが擽ったそうに身を捩った。
「んー?どうした少年?もう少し待っててな」
「いいよそのまんまで」
そう言いながらも手を休めないテンゼロにムッとしながらも悟られないように平静を装って腰に回した手に力を込める。顔をテンゼロの首に埋めると石鹸の匂いとテンゼロの匂いがした。鼻腔を擽る香りに気を良くしてペロリと舐めてやればテンゼロは、ひゃあ!と裏返った声をあげ全身を弾ませた。 面白いので今度は歯を立ててみる。すると今度はぎゃっと可愛らしくない声を出して俺の方を見やった。
「少年やめろよビックリしただろ?もう…あとちょっとだから待てって」
嫌そうな素振りを見せるが基本放任主義のテンゼロは俺の好きにさせている。寛大なお心に感謝しつつ手をモゾモゾと動かして脇腹や太股を誘うように撫でる。
「んん…少年擽ったい…うっ!?しょ少年なんか当たって」
「当ててるんだよテンゼロいい?」
耳に息を吹きかけて耳朶を甘噛みしてやる。太股を撫でていた手を股間に持っていく。柔らかいそこを揉めばビクビクと震えた。
「う…ん…少年ダメだって…あっちょっ、待って!」
さすがにテンゼロも不味いと思ったのか皿を洗っていた手を止め暴れ始める。
わーわー慌てながら俺の服を引っ張るので止まってやる。勝手に息を切らしてテンゼロは睨むが丸い目では迫力がなかった。口の端を吊り上げれば効果がないと気付いたらしく自由な足で俺の足を蹴るが力は殆ど入っていない。牽制と言うところか。そんな牽制球は効かないとばかりにまた手を動かすとびくりと震わせてから水を打ったように静かな声が部屋に響いた。少年、と呼ばれて思わず動きが止まる。怒らせた…?名前を呼んでから甘い声をかけるが制される。
「…なぁ、少年」
「な、にテンゼロ…」
背中を冷たいものが流れるのに下半身は熱を持っていてちぐはぐなそれが気持ち悪い。
「俺、最近思うんだ。少年はさ、」
聴いてはいけない。頭が警鐘を鳴らす。けれど無情に言葉は紡がれた。
「やっぱり番を見つけるべきだ。すぐにじゃなくてもいい。でも、αと一緒になるのが少年の一番の幸せなんだよ」
聴きたくなかった。テンゼロの口から絶対に聞きたくなかった言葉だ。声が出ない。声を出すのってこんなに難しかったっけ? 漸く出した声は潰れていて情けなかった。
「…俺と一緒は嫌…?」
するとテンゼロは眉尻を下げて宥めるように話しかけてくる。
「違う。そんなことはないよ少年。俺は少年のこと大好きだ。でもな…"いつか"は考えなきゃならないなって。…それが少年の未来のためだから」
「そんなの!」
まだ考えたくない、とテンゼロから離れながら叫ぶ。
テンゼロは極めて冷静に続けた。声が若干震えていたのは俺を追い出すのが辛いからだと思いたい。
「それでも。少年だって本当の家族が欲しいだろ?」
頭を殴られた気分だった。テンゼロの言っている意味が分からない。俺の家族はテンゼロだから。
「俺はここにいちゃダメなの?」
「ダメだなんて言ってない。ただいつかは番を見つけてここを出ていくんだ…本当の家族を作るんだよ…」
テンゼロは泣きそうだった。でも泣きたいのはこっちだ。
「…そうだよね。俺はテンゼロが一生懸命内職で稼いだ金を食う穀潰しだもんね、手伝いとかしたつもりだったけどごめん勝手に役立ってる気分だった。ただの自己満足してたよ。大丈夫出てくから、テンゼロに、迷惑は…かけない、から」
目の前が滲んで言葉が上手く続かない。震える拳を握り足に力を入れる。そうしないと立っていられない。
心は寒いのに身体は熱くて場違いな発情期に苛立ちが増す。
「…今までありがとう。俺、出ていくね」
なんとか笑って背を向けた。一度目をぎゅっと瞑ってから外に出るドアに向かう。
「待て。なんで今出ていこうとするんだ!今じゃなくていいって言ってるだろ!それに今は…」
テンゼロが俺の左手を掴むが、頭の片隅でどこか他人事のような気持ちの自分が驚くくらい俺の身体は頭の言うことを聞かなかった。
「ずっとここにいていいよって言ったのはそっちだろ!?それなのに、」
「今さら!今さら出ていけなんて!だったら最初からそう言ってくれよ!!俺はあんたといられるのが何より幸せだったのに!ずっとずっとここにいられるんだって思ってたのに!あんただけが俺の家族だったのに!この、裏切り者!!」
言ってしまった。言ってはいけないことを。
テンゼロの顔が見たことのない悲痛なものに変わる。
俺は謝ることができなくて掴まれていた手を乱暴に払うと外に飛び出した。カランと何かが落ちる音がした気がしたが振り返る暇はなかった。早くあの場から逃げたくて、無我夢中で走った。
テンゼロは出ていけと言ったわけじゃない。そんなことわかってる。俺が曲解してるだけだって。でも。俺はずっと一緒に暮らすつもりでいたから。本当の家族だって思ってたから。テンゼロに本当の家族を見つけるんだと言われて、テンゼロにとって俺は本当の家族じゃないんだと思ったら悲しくて悔しくて心臓を握り潰されるように苦しかった。
はぁはぁと肩で息をしながら昼間でも薄暗い裏路地をさ迷う。全身が重くて特に下半身が重い。鉛みたいだ。走ったせいか身体も熱く頭がチカチカする。無理だ歩けない。フラフラしながらなんとか立っていると後ろから声をかけられた。テンゼロかと思ったがあの状況では追いかけては来ていないだろう、では誰なのか。
振り返ると立っていたのは太った中年の男だった。薄汚く下卑た笑みを浮かべてこちらを上から下まで眺めている。舐めるような視線に吐き気がした。
「何かよ…」
「イケない子だねぇ…今時抑制器もつけないで外を歩こうだなんて。悪いおじさんに食べられちゃうよ?」
そう言いながら男が近づいてくる。何日も風呂に入っていないのか鼻につく臭気に顔が歪むのが分かった。近付かれては下がるを繰り返すと直に壁に背が当たる。身体が重い。走るどころか歩くことも苦しい。
「悪いおじさんに食べられる前に優しいおじさんが優しく食べてあげるからね」
男の中心に目をやるとすでにそこは主張していた。おかしい。抑制器があるのになぜこの男はここまで興奮しているのか。恐る恐る左手首を触るとあるはずの感触がなかった。目だけを向けると抑制器がなくなっている。
そうかテンゼロを振りほどいたときだ。
あの時の音は抑制器が落ちた音だったのか。テンゼロに酷いことを言った罰だ。自業自得だ。
男に押し倒されて脚を広げられる。あぁ、こんなところで見ず知らずの男に犯されるのか。そしたらこの男の子どもを孕むのかな。
あぁ…どうでもいいか。
テンゼロの家を飛び出してきてしまった時点でもう何もかもがどうでもよくなってしまった。俺は独りぼっちがお似合いなんだ。
ズボンを下ろされると俺のモノも勃っていた。発情期は本当に厄介だ。意図せずにこうなってしまうのだから。男はこれに気をよくしたのか己のモノも出しながら俺の脚を持ち上げた。
そう言えばテンゼロはいつもこっちをやってくれてたな。妊娠しない一番確実な方法でしょ?と可愛らしく言ってやれば渋々と俺に従ってくれた。少年を傷付けたくないからと、自分を納得させていたようでテンゼロはどこまでも優しかった。今度は俺がテンゼロの役をやる番だ。いや、元々Ωはこの役しかしない。俺がおかしいのであってこれは自然の摂理に従った行為だ。
抵抗しない俺に気分がいいのか男が再度優しくするからねとニヤニヤと汚い歯を見せる。優しくなんてしてもらわなくていい。どうせなら手酷く犯して何もかもを忘れさせてほしい。
そう言おうと男を見上げると同時にぎゃあと醜い悲鳴が上がって男が地面に突っ伏した。見えたのは綺麗に手入れされた革靴。それを上へ辿っていくと仕立てのいいスーツが見えさらにその上にはたれ目がちな紫の目があった。その目に光は宿っていないが忘れるわけがない、朝に見かけたαだった。
「粗末なもの見せないでほしいなぁ見苦しいよ」
突っ伏した男をゴミを見るような冷めた目で見下ろす。それから俺の方を見ると
「大丈夫?立てる?」
と言いながら手を差し出された。あの時のように柔らかく笑う男に苛立ちを覚えて大きくて男らしいゴツゴツとした手には掴まらず自力で立ち上がろうとする。しかし脚に力が入らなかった。
身体が怠くて動けない。ぐぐっと力を込めるが思うように身体は反応しない。すると突然腕を掴まれ強い力で引き上げられる。
「発情期で身体が付いてこないんだよ。ほら、ズボン上げな」
身体を支えられながら何とかズボンを上げるがその時手が小刻みに震えていることに気がついた。あ、怖かったんだ俺。
「君どうしたの?抑制器もつけないでこんなところ歩いてさ。家は?良ければ送ってくけど」
「家はない。出てきたんだ…助けてくれてありがとう。俺、もう行くから」
そう言って離れようとするがガクンと身体が崩れた。
咄嗟にαの男に支えられなければ地面に座り込んでいただろう。
「家を出てきたって…家出?抑制器もつけないでよく出てくる気になったね?それとも忘れるくらい慌ててたの」
「うるさい!あんたには関係ないだろ!!」
助けてくれた男には悪いが喧嘩の原因でもあるαにイライラして声を荒げるとさして驚いた風もなくそうだね、と返された。
「確かに関係はないんだけどここで放っておいてまた襲われたなんて事になったら目覚めが悪いんだよねぇ。…そうだ、家においで俺今仕事が片付いて帰るところだからさ。家に帰れば抑制器があるし」
それがいいと一人で納得すると、俺の返事を待たず先程より強い力で引っ張られる。
「ちょ、ちょっと待てよ!誰もあんたのところに行くなんて言ってない!」
引きずられながら抵抗すると、そういうの要らないから子どもは大人に甘えればいいの甘えられるのは子どもの特権だからねと一蹴され、大通りに止められていた黒塗りの車の後部座席に押し込まれた。俺を乗せると男も運転席に乗る。運転席が左にあるということは外国製の車なのか。初めて見た。
有無を言わさず車は走り出してどこかに向かう。話通りなら男の家だろうが、その後はどうなるのか…。
不意に、着いたよ、と間延びした声をかけられる。地下の駐車場にいるので全貌は計り知れないがどうやら男はマンションに住んでいるらしい。しかも高い、とてつもなく高い。空に届きそうな高さのマンションに住むとは金持ちは次元が違う。
エレベーターに乗ると迷うことなく一番上のボタンを押す。押されたボタンの50という数字に目が眩んだ。静かに上へ昇っていくエレベーターに一抹の不安を感じ、いつでも逃げられるように入り口付近で男に向き合うように立つ。男は興味ないのか見向きもしない。ここは密封された箱の中だし、俺からは相変わらずフェロモンが出ているはずだが男が誘われている様子はない。
もしかしたらこの男には番がいるのかもしれない。番を持つαは番以外のフェロモンに欲情することはないようだから。それにさっきの話が確かならαには必要のない抑制器を所持しているみたいだ。番の持ち物である可能性がある。
けれどΩの俺を家に上がらせて大丈夫なのだろうか。よろしくないような気がする。
「さぁ、入って」
「あ、うん…」
色々考えている内に男の部屋に着いてしまったようでドアを開けて早く入れと促される。歩くのも辛いし考えるのが億劫だしどう転んだって俺には関係ないか。
促されるまま俺は部屋に入った。
一本の廊下の突き当たりにドアが見えた。廊下の右手にもいくつかドアがある。少し歩くと廊下の左手が開けた場所になって、ガラス製のローテーブルに高級感のあるL字型の紺色のソファーがふかふかな絨毯の上に置かれている。リビングらしい一角の奥にはキッチンがあり、大きな冷蔵庫と電子レンジが端に鎮座していた。金持ちならもっと壺とか絵画とか置かれてるのかと想像したのに肩透かしをくらうくらい物がない。必要最低限の物だけが並べてあるだけでよく見るとリビングには時計もなかった。
スマホで確認すればいいやと言った具合なのだろう。
「何突っ立ってるのさ。座りなよ」
キッチンに立つ男がソファーを指差す。そこに座れということか。
ソファーに崩れるように座るとクッションが全身を優しく包む。柔らかくて一度座ったら立てなくなりそうだ。
「牛乳でいいよね?」
疑問系だが選択させる気はないらしくコップに牛乳を注いで俺の前にことりと置く。自分は黒い飲み物を注いだ白いカップを啜りながらどこかにふらりと行ってしまった。ソファーに座ると廊下に背を向ける形になってしまうので身体を捻ってみると廊下の突き当たりの方に向かったようだ。暫く様子を窺っているとまたふらりと帰ってくる。手にはカップと見慣れた輪があった。
「はい、これ。抑制器ね。ブレスレットタイプなんだけど付け方わかるよね?」
「あ、ありがとう…」
どういたしまして、となぜか楽しそうに答えL字型ソファーのLの書き終わり部分に腰掛ける。俺はLの書き始めのあたりに座っていたので一番離れた場所に互いは座っている。男が腰を落ち着けるのを見てから抑制器を左手にはめ、ネジを回す。このネジで抑制の度合いを制御できるというわけ。最大までネジを上げる。
装着すると気持ちが落ち着くのが分かった。身体もその内に楽になるだろう。
「ふふっ使い慣れてるね」
「いつも使ってるのと同じだから」
抑制器を撫でながら答えると男は嬉しそうにカップを口に運んだ。中身はコーヒーってやつだろう。苦いらしいけど実際に飲んだことはないので真偽の程は不明だ。暫く眺めていたけどあまり見つめると不審がられそうだから俺も男に習って恐る恐る牛乳を飲んでみる。よかった普通の牛乳だ。
「そうだ、抑制器の調子はどう?フェロモンは抑えられてるみたいだけど身体の調子はいい?つけ心地は?不具合とかない?こうした方がいいとかない?」
男は何か思いついたのか興味深そうな顔で矢継ぎ早に訊ねてくる。
「え?いや、特に問題は…。調子もまぁ、普通かな」
なんだこいつと見つめると男は笑いながら
「実はさぁ、その抑制器作ったの俺なんだよね!だから実際につけてる子見るとついつい使い心地とか訊いちゃうんだー」
だから朝、君を見たとき声をかけようとしたんだけど逃げられちゃった、と頬を掻いた。
「朝…会ったの覚えてたんだ」
「そりゃあね。フェロモンの匂いで分かったよ」
あっけらかんと話す男は柔和な笑みを浮かべる。
「俺はね、Ωの子でも自由に働ける時代が来てほしいと思うんだ。αが働いてΩが家を守る。そんなのはもう古いんだよ。今は皆好きなように働いて家庭を持つ時代なのさ。その第一歩として抑制器を作った」
ウインクして男は新時代というものについて語る。楽しそうに夢を語る姿に俺を見下した様子はない。αはプライドが高くて他を見下していると言い始めたのは誰なんだろう。それを鵜呑みにした俺たちはなんて視野が狭いのか。目の前の男は想像とかけ離れた柔らかい考えの持ち主のようで熱く演説を続ける。マイペースなところは癪に触るけど。
ある疑問が浮かぶ。ならΩの幸せはαと番になることだけなのか、男はなんと答えるのか。
「あの質問がある、」
がしゃん
何かが壊れた音が遠くでする。リビングの奥の方からだ。
「あ~起きちゃったか。すやすや寝てると思ったんだけど。ごめんね。俺の可愛い子が起きちゃったみたいだから様子見てくる。待っててね」
そういい残して男はカップを机に置くと奥に消える。
待ってろと言われても頭が覚醒してきて好奇心が湧き始めたのでそろりと後を付いていく。音は廊下の突き当たりの部屋からで何やら話し声がする。音を立てないようにドアを開くと耳をつんざく怒声が響いた。ビクリと身体が震える。
恐々としながら薄く開いたドアから中を覗いた。
「てめぇこの家ん中にΩ連れてきただろ!発情期のやつを引っ張り込んでくるなんてどこまでオレを馬鹿にする気だ!!さっさと捨ててこいよ!クセェんだよ!」
「まあまあ落ち着いてジェレミアくん。近付けないから安心してよ?」
俺を助けた男は落ち着き払った態度を崩さないがその向こうで大きなベッドに座っている男は吠え続けている。
真っ黒な髪はサイドが長く伸びているが後ろは短く切り揃えられていて髪質は男のものとは思えないぐらいさらさらと細く光沢があった。
白目が多い三白眼で目は水色をしていた。灰色の髪の男を睨み上げ威嚇し罵声を浴びせている。しかし何より目についたのは首にある物。あれは、首輪だ。赤い首輪を嵌められ首輪から鎖がじゃらじゃらと落ちていてその先はベッドの下に隠れている。
そういうプレイなのか?
「今の嫌がらせじゃ満足できないってか!?苦しむ顔見て悦ぶなんて大層なご趣味なことで!絶対、殺してやるからな…!」
前言撤回。男は怒り狂っている。ならこれは監禁ということになるだろう。助けてくれた男を全うなやつだと思ったのは時期尚早だったようだ。
ジェレミアと呼ばれた男が壊したのはベッドの横に置かれていたランプだったらしく灰色の髪の男は黙ってそれを見ている。何も言わない男にジェレミアは益々苛立ったようで放送できない罵詈雑言が飛ぶ。暴れているが鎖の範囲外にいる男には手が届かない。
果たして荒れるジェレミアという男は灰色の髪の男の番ではないのか。身体つきはΩの俺よりαの灰色の髪の男の方に似ている。それにどうやら俺の僅かに溢れるフェロモンに反応しているらしい。ここまで敏感に感じ取れるのはα以外にはいないはず。だとしたら何故?αがαを監禁するなんて異常だ。そこまで強い恨みが?
すると黙っていた男が遂に口を開いた。
「あ~あジェレミアくん。また壊しちゃったんだね、これ。ダメだよって何回も言ってるのに」
「うるせぇ!壊されたくなかったらオレをここから出せ!」
「…お仕置きが必要かな」
お仕置き、と呟かれた瞬間ジェレミアが怯えた表情になり身体を小さくした。大量の汗をかいている。
男はガサガサとベッドの下にあった箱を漁って男の手にすっぽりと収まる小瓶を取り出した。中には液体が入っている。それを見たジェレミアはあからさまに動揺して逃げようとしている。しかし鎖がそれを許さない。
やめろと言うジェレミアの顔は蒼白でさっきまでの威勢は微塵にも感じられない。
「大人しくしててね」
キュポンと蓋を外すと男はそれを飲み干すとジェレミアの顎を掴み唇を重ねた。
うわ、α同士でキスしてる。あり得ない。俺もβであるテンゼロとキスとかそれ以上のことしてたし人のこと言えないけどα同士って不毛すぎる。嫌がらせもここまで来ると圧巻だ。
「ん…んん、んー!うんん!!」
ジェレミアが男を押し返そうともがくがそれ以上の力で押さえ込まれる。ジェレミアの喉が上下すると漸く唇を離した。
「…くそ…てめぇよくも…!」
ジェレミアが睨みを効かすがそれに覇気はない。それどころか涙ぐんでいて頬を赤く染め全身で息をしている。キスをされたからにしては少し大袈裟で不思議に思っていると、ジェレミアは身体を丸め苦しみ始めた。
「はぁ…はぁ…くそっくそっ…!ふざけやがって!んっく…うぁ、…」
くぐもった声が上がるが何だか苦悶の声というより艶やかな声といった方が妥当な気がする。荒い息を吐くジェレミアを恍惚とした表情で眺めてから男が踵を返した。
「玩具はいつものところに入ってるから自由に使ってね」
男がこちらに来ようとするのに驚いてリビングまで戻る。ソファーに浅く座って牛乳を飲む振りをしていれば男が柔和な笑みを浮かべながら戻ってきた。
「待っててね、って言ったのに覗き見なんて感心しないな」
バレてる、ソファーに腰を下ろし優雅に足を組みながら俺を男の双眼が捕らえた。
「まぁ見られて困るものじゃないけどね。でもジェレミアくんはああ見えて繊細だから大切に扱わないと」
「ジェレミア…あのαのこと、だよな?」
俺を咎めるつもりはない男に質問してみる。
「そうそう。可愛いよねぇ彼。君のフェロモンに当てられて興奮しちゃったみたい。普段はもう少し汐らしくしてるんだけどね」
顎に手を当て普段を思い出しているのかにやにやと笑う。
「あの人のこと、恨んでるの?」
監禁なんてしてとは口が裂けても言えない。
「恨む?まさか!俺はジェレミアくんのこと大好きだよ。愛してる!」
信じられないといった顔をしながら両手を広げて男は言う。
「俺もジェレミアくんもαだよ?番にもなれなければ結婚すら許されない。倫理観も苦い顔をするだろう!でも、だから何?それで発熱した愛は止められるか?否、できない!俺はそういう決まりとか価値観とか押し付けられるのって大嫌い。誰から後ろ指を指されたって気にしない。俺は俺がしたいと思ったことをする。俺は今までそうしてきたしこれからもそうするつもりだ」
グッと握りこぶしを作って男は自信満々に鼻を鳴らした。
こいつ、狂ってる。まともそうに見えたけど回り回ってそう見えただけで中身は頭のおかしいやつだ。愛のためなら犯罪だって犯したって構わない、そんな感じだ。
「…と言ってもジェレミアくんは全然俺の気持ちに答えてくれないんだけどね。でももうすぐ彼は気づいてくれるよ。俺の世界に彼しかいないように、彼の中にも俺しかいなくなる。そうしたら晴れて俺たちは結ばれるんだ」
頬を赤らめ男はうっとりとする。
そもそも監禁していると言う意識がこの男にはないのか。重症すぎる。よくこれで日常を送れるな、あぁそうか俺が初めて出会った印象を周りも抱くのだろう。この狂気を普段は上手く隠して生活していてジェレミアの前では素を出している。それを知ってジェレミアはこの男を恐れ嫌っているのかもしれない。
「あ。そう言えば君、家出してきたんだっけ?何があったの?」
急に目が覚めた男がきょとんとしながら俺を眺めた。気分の移り変わりの激しい男に引きながら、何とはなしに話始める。こうも正直に話されると話さないわけにはいかない気がしたのだ。
「あの人に、一緒に暮らしてる人に言われたんだ。番を見つけろって」
言いながら悔しくなって膝の上で拳を握る。
「でも、俺はあの人と一緒にいられるのが一番幸せだった。あの人と俺に血の繋がりはないけど本当の家族だって思ってた。あの人も家族だって言ってくれたし、最初に言ったんだ!ずっとここにいていいよって!なのに、なのに…!」
目頭が熱くなり頬を冷たいものが伝う。その先の言葉が出てこない。
「そっか。君はその人が大好きなんだね。そしてその人も君のことが大好きで大事なんだ」
「違う…あの人は俺のことなんて…」
「そんなことないよ。ただその人は番を見つけることが幸せだって思ってるんだよ。ほら、言ったでしょ古い考え方なんだよそれは」
古い考え方…口の中で反芻する。
「αと番になれば幸せになる。昔は確かにそうだった。でもね、それも幻想なんだ。俺の知り合いのαの人はΩに自殺されて今も独り身でね」
そのΩは元々好き合ったβがいた。二人は肩を寄せて慎ましく暮らしていた。
そんなときΩはαと運命的な出会いをしてしまった。αは当然Ωと番になろうとして実際二人は番になった。でもΩの心はβから離れられなかった。それでも発情期になると身体は自然とαを求めてしまう。その野性的な感情と理性的な感情の間で揺れ動き続けたΩは遂に病んでしまって命を絶った。
ね、幸せじゃないでしょ?
男は穏やかに笑っている。
「野性的な感情を蔑ろにしろとは言わないけどだからって従うのが正しいかと言ったらそうでもない。君は俺の理論からすれば理性的な感情を優先していて相手の方は野性的な感情を優先してる」
理性的な感情とはΩの俺がβのテンゼロを慕って共にいたいと願う気持ち。野性的な感情とはβのテンゼロがΩの俺にαと番になって幸せになってほしいと願う気持ちのことだろう。なら、テンゼロには理性的な感情はないということなのか。
「そんなことないと思うけど」
「え?」
あれ、俺声に出したっけ。
「何となく考えてることはわかるからね。読心術ってやつ。それより、君は考えすぎだよ。その人もきっと君と同じようにずっと一緒にいたいって思ってる」
でもさ、
男が確信したように言う。
「その人はきっと大人だから、我が儘を言えない。言ったらダメだと思ってる。理性的な感情って人から見ると我が儘に見えるんだ。だから我慢しなきゃって自分を抑えてる」
「我が儘…」
確かに俺の気持ちは我が儘かもしれない。血の繋がりもないβと暮らしたいなんて奇特なことだ。
「ふふふっ考えすぎ。君は子どもなんだから!我が儘言っていいんだよ!子どもは甘えていいの子どもの特権だからね!」
ドヤ顔は要らないが言葉は諦念に包まれた俺には衝撃的なものだった。
「甘えてもいいのかな…?」
「当たり前でしょ。そこに血の繋がりとか関係ないから。ドーンと甘えちゃえ。子どもは大人を困らせていいの。追い出されたのなら考えなきゃいけないけど君の意思で出てきてるんだからまだ帰れるよ。帰って謝って本当の気持ちを真正面から伝えてみな?」
本当の気持ちを伝える。俺にできるだろうか。
「…やってみなきゃ、わからないよな」
「そうそうまずは行動あるのみ。後は何となく纏まるから!」
「いや、あんたはもう少し考えた方がいい」
奥の部屋をちらりと見て小さく吐く。幸い男には聴こえてないようだ。
「そうと決まれば早速話さなきゃね。近くまで送っていくよ」
そう言いながら男はさっさと玄関に向かっていく。帰ってからスーツを着替えていない彼には申し訳ないがこちらも一刻を争うので甘えさせてもらうことにした。
「じゃあ気をつけて」
「うん、ありがとう」
「どういたしまして。頑張ってね」
彼が運転席で手を振る。ここだけ見たらイケメンなのに残念なんだよなと思う。天もさすがにいくつも才能は与えなかったみたいで安心する。
「そうだ、俺あんたの名前聞いてないや」
思い出したので聞いておく。一応助けてもらったし。
「俺?俺はねー…」
えーっと、言いながら黒い財布みたいなものから紙切れを渡される。名刺らしい。初めて貰った。今日は初めて尽くしだな。
「アロー…社長なんだ」
「一応ね。若輩者ですがよろしく!なら俺も聞かなきゃ。君の名前は?」
「俺は、ミスト」
「ミストか。ミスト、君とは気が合いそうだ。またいずれ、会えそうだよその時は仲良くしてね」
バイバイと再度手を振るとアローは車を走らせあっという間にその姿は見えなくなった。
さて、俺も帰らなくては。踏み出した脚は家を飛び出したときより力強く地面を蹴っていた。
意を決してぼろぼろのドアを開ける。テンゼロがすぐに視界に入ってきたが顔は白ではなく青くなっていた。
「テンゼロ…」
言い切るより早くテンゼロが俺を抱き締めた。勢いがあったので倒れそうになるが踏ん張る。
「よかった。帰ってきてくれて」
テンゼロの声は震えていてそれだけでなく全身が震えていた。やっと顔を見せてくれたと思ったらテンゼロは泣いていた。大粒の涙をボロボロ溢しながらテンゼロがすがりついてくる。あまりに力が込められて痛かったが心地よかった。
「ごめんねテンゼロ」
謝るとテンゼロは頭をブンブン振って俺の方こそと何度も謝ってくれた。
「ねぇ、テンゼロ。俺あんたに言いたいことがあるんだ」
「言いたいこと?」
テンゼロは首をかしげて俺の次の言葉を待つ。
「俺、あんたと暮らしたい。ずっとずっと。番なんて要らない。あんたさえいてくれればいい。あんたがここにいていいって言ってくれたんだ。それなら俺はそうさせてもらう。あんたが出てけって言ったって出ていかないから。そのつもりでいて?」
「え、しょ、少年?」
「無理とか言わせないよ?家族といるのは自然なことなんだから」
絶対に離れないと言ってテンゼロを抱き返す。同じくらいの力でぎゅうっと抱き締めてやる。苦しいと潰れた悲鳴が上がるが気にせずさらに力を入れると俺の意思の強さを感じたのか根負けしたのかテンゼロは黙って俺に抱き締められる。暫くそうしていると、テンゼロがいつも通りの優しい声色で声をかけてくれた。
「…少年の気持ちはよくわかった。少年がそれでいいなら、一緒に暮らそう。俺は少年の気持ちを優先する」
そう言うテンゼロは見たことのない大人の顔をしていた。甘える子どもを慈しむそんな優しい笑顔だった。
Ωとβは互いを理解する
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
1 / 1