アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
お金なんていらないよ
-
たくさんの人で賑わう、古いお好み焼き店。
馴染みの顔が並ぶなかで、駆け回る店員たちの激しい怒声。コンクリートのざらついた床へ等間隔に並べられた四角形の机。カウンターも仕事帰りのサラリーマンで埋まっている。一段上がった座敷では、しきりがあってないようなくらいに盛り上がる学生たちだ。
鼻を擽るあたたかな、ソースの濃いにおい。ともすれば熱にとかされそうになる、暑さがただよう。焼き途中の生地が、混ぜられてなんとも言えない風合いで空間を埋めた。
食欲を刺激する淡黄色の生地、それにかかった濃厚なソースと、芸術品のごとく調和するマヨネーズが和えられている。紅生姜がパラパラと振りかけられ、青のりで彩られる。今日も影浦家直通のお好み焼店はこの美味しいお好み焼がテーブルごとにずらりと並んでいた。
時刻は19時。まさに晩飯時である。今日は近くで部活動――たしか、サッカーの試合が行われていたため、その選手や応援の生徒が多く座敷に居座っていた。しかし、学生であるぶん回転率は高い。レジの担当はてんてこまいだが、新しいお客がどんどん入ってくる現状ではそれもありがたい! と商魂たくましい影浦母は豪快に笑った。反面、父はというと宴会でいつまでも帰られない大人のお客様に今から頭痛がしている。
新しいオーダーの準備をしつつ、影浦兄は新しい客のチェックをした。扉を見ると、ちょうどのれんを潜ってくる客が見えて、大きくかおをほころばせる。
「雅人ーーッ!!」
「ア"ァ?! なんだよ!!」
客のテーブルでサイコロステーキを転がしていた影浦雅人―――以下、雅人、父、母、兄と呼び分けさせていただきたい―――は、勢いよく振りかえって、わいわい入ってくる常連たちに舌打ちをした。客商売にあるまじき所業である。
「オイオイそれはねーんじゃねえのマサトクンよぉ~」
「いけないな、舌打ちは」
客、というにはいささかフレンドリーに立ち入ってきたのはそれもそのはず、雅人の(やや一方的ではあるが)友人であるものたちだ。当真、北添、村上、今、国近、穂刈ご一行の登場に――というか、主に北添に、お好み焼き屋の場がわいた。
「おっ北添のぼっちゃん!今日は弟は一緒じゃないんだね?!」
「今夜もいい食べっぷりを見せてくれよ~」
「アタシは国近の嬢ちゃんに賭ける! 今日こそ負けんといてくれよ!」
「俺は北添のだ!」
最初は当真と穂刈だけだったのに、いつしかついてくるようになった四人や他にも犬飼や荒船などを加えたこの学年のメンバー。彼らは、影浦お好み焼店ではすでに皆に知られている。そのたびに“こう”なる治安の悪さに雅人はアホか!と渇を入れてから彼らを席へ案内していた。
「空いてる席勝手に使っとけ!」
「…客に対する態度ではないわね」
「別にいいけどねぇ~~あ、あっち空いてる~~おじさん、ここ相席いい~~? えっ座布団貸してくれるの? ありがと~~」
「お邪魔します」
座敷でとなりになったサラリーマンたちに丁寧に礼をしながら、縁の下のくつをキッチリと揃えているのは村上だ。その律儀さに脳裏によぎったのは、雅人の家に上がったとき同じようにしていた少年の姿だった。
そんなことはいざ知らず、メニューをまとめて頼みだす北添を母に任せ、雅人はバックヤードに戻った。手に取ったのは、青々しく滑っていたり、珊瑚のように美しかったりする海草類だ。一級品というほどでもないが、近くの漁師から買い取ってきただけあって新鮮である。
穂刈はぱちくりと目を瞬かせた。
「…なんだ、これは?」
無理もない。
お通しとして彼らの前に出されたのは居酒屋などではよくあるものだ。しかし、雅人がそのようなコストパフォーマンスの悪いことをするのは今までで初めてだったのである。
「カゲ、荒船に影響されたのか……?」
暗に気取っているという感想を申したてた村上。ちげえよと雅人がかぶりをふってみせると、では何故、という視線が八方から寄せられた。いや、実際には八人ではないわけであるが。
それらの疑念を受け取った雅人は若干眉を寄せたが気にしないように小鉢を勧めた。
「いいから食え」
放っておいたらすぐにメインが来てテーブルに置き場がなくなってしまうわけだし、そうなれば小幅であれどお通しなんておいてはいられなくなる。
若者たちはそれを悟って、不思議半分、ありがたさ半分でそれを口にした。
「ん~~おいひぃ~~
そ~いえば、今ちゃんとわたしので色違うんだねぇ」
国近が指摘したように、小鉢の色はそれぞれ違う。国近は鴇、今は錆浅葱、当真は朱、村上は藍海松茶、穂刈は梅幸茶、北添は雪白とバリエーションも豊富だ。
一応の料理番である、父がしたのだろうか。
「緑か…」
「可愛いね、ピンク色」
「俺に赤を持ってくるたぁ、やるじゃねぇの。おやっさんがしてくれたんか?」
「あ? あのおやじがんなことするわけねぇだろ」
つーかできねぇ。
続いたため息まじりのことばに、一同はああと首を縦に振る。
かわいそうに、かの父には圧倒的にセンスがなかった。それはもう、センスのなさではA級品な後輩、出水も裸足で逃げ出すレベルである。彼の場合自身のセンスのなさを自覚してないのがたちの悪いところであるが、それは影浦父にも当てはまった。まさに悲劇だ。
「そのお陰でこの店は儲かれてないんだよね、カゲもよく愚痴ってるじゃない」
「カゲの家が、だな、正確には」
一見、大繁盛のお店だが、その実態はいつ崩れてもおかしくない砂上の城である。この店に問題があるわけではない。北添が言ったように、原因は、父にあるのであった。
センスのなさの塊のような彼は、自分のセンスのなさを自覚しようとせず、幾度も工芸品や絵画、あげくのはてには彫刻にまで手をだし、自作の後に商品化した。前衛的すぎるそれらに買い手がつくわけもなく、膨大な初期費用による浪費、それに付随してきた借金は、影浦家の家計を日毎圧迫していた。それでも、母や兄、そして雅人の奮闘努力、店の稼ぎや近所との連携によってギリギリのラインを保っているのである。
「だからセービスなんて最低限だったのにね、どうしたの?」
「ね~~、なんでこんなことになってるの~~? 閉店セールはやだなぁ」
女子二人に聞かれる雅人は、もとから求められれば話すつもりだったのだろう。そうでなければこんな布石は打つまい。雅人と長年の付き合いであるメンバーはわかっていた。
しゅる、と頭のタオルをほどいて席につく。母が運んできたもんじゃの原液を手際よくプレートに並べると、タイマーを押す。そして、何事においても器用な村上にヘラを任せた。依然として騒がしい店のなかで駆け回る子供たちの声を聞きながら、雅人の回想が始まる。
闇夜が郭に蠢いている。カァカァ啼く家無き子たちすらもう見慣れた。日常の風景と相反しながら一番近くにある場所では、今日もネオンと添加物ばかりの光が充満していた。
廃ビルやラブホテル、その他ややこの前には到底出せませんな形のいかがわしい建物たち。それらが立ち並ぶ闇の街は、昼夜を考えずに喧喧囂囂としている。まだ十五時だというのに。
影浦はこの空気を好まない。美しくもないし当然おいしくもない、自分に害しかないものだと知っているだけに息すらしづらいのだ。従って、彼がポケットに手を突っ込んで闊歩するのには、それなりの理由があった。
疎らな街灯の下以外、道と建物の境もわからぬほどの暗さ。だが、本当にわからぬわけではなくて、目はすぐ闇に慣れる。
アスファルトの闇と、冷たい繁るビル群の間に、自分の求めていた事象の起こっているのもすぐに見つかる。
「……っ、ん……は、……めてください」
「ん…だよ、出せ…………るんだろ?」
途切れ途切れにしか聞こえないせいで、まるで艶めいたもののように聞こえる。このアウトローな場所ではそれも珍しくはないが、今回に限っては違う。抵抗する手足のばたつきと、人が何かをつかむときに出る、不快な衣擦れの音と。それらを頼りに影浦がひょいと覗いた、不動産屋と闇医者のビルの間。
平凡なブレザーに身を包んだ、恐らく黒髪の、メガネの少年。それを組伏せんとする、一回りも大きいヤンキーがそこにいた。
存在まるごと鴨葱な少年が、なぜこんなところにノコノコと。影浦はそう思ったあと、間も置かずに男の背を蹴った。
Vカットのシャツの背中に足跡がつき、「ぶべらっ」なんて汚い呻き声と共に、蹴られた勢いそのままで男は倒れ付した。そして、倒れた先、拘束されていた少年がうまくかわしたお陰でコンクリートの壁に突っ込む。
髑髏と蝶などというヤンキー男の面構えにはおよそ似合わない刺青(タトゥーかもしれない)の腕を雅人がごりごりと踏みつけると、いくらかの断末魔、いや、死んではないが、そのようなものをあげた男はそれっきり気を失う。あと三十分は起きないはず。
「よく交わしたな、お前。どんくらそーなツラしてっくせに…反射神経……じゃねぇな、なんか武道か」
「……友人の引き取り手の男性に仕込んでいただいているんです」
答えを求めていたわけてはない影浦は、服のホコリを払って立ち上がる少年から思わぬ返答を受ける。
「仕込み?」
「はい。護身術と、友人の友人から、空手を少し」
なかなか上等な知り合いがいるらしい。だというのに避けなかったのは、反撃しなかったのはなにか理由があるのだろうか。
ブレザーのシワを整え、伸びている男の懐に遠慮なく手を差し込んで財布を取り出すほどに肝も座っているこの少年は。
「この力や技を、理由もなく人に向けて使うべきではないと判断しました。……それに、もう少し話せれば解決していたかもしれませんし」
反撃することに理由がいる? では、恐喝されていることは理由にならないというのか。正当防衛だろうに。雅人は、ああいうチンピラは話なんて聞かねぇんだよ、と半ばあきれながら、自分と考え方の全く違う彼に興味を抱いていた。
何を言ったものかと思案する。
しかし、はた、と気づく。ここは闇のはびこる繁華街、少年が先程遇った危機を考えれば、こんなところに長々といさせるのも悪いというもの。諦める他ない。
少し変わっていても、普通そうな少年のことだ、これに懲りてここにはもう近づかないだろうし、再度会うこともないだろうが、仕方ない。巡り合わせというものは雅人のような一個人で変えられるものではないのだから。
後々、面白いことがあった、と仲間に与太話をしてやればいい。街の入り口まで送ってやろう、とだけ考えて、雅人の前で財布の中身を確認している少年に声をかけようとする。が、その前にスッとなにかを差し出される。
「さっきは、ありがとうございました。これ受け取ってください」
「…………あ?」
ぴかっ、とビルのあわいに光が指す。向かいの娯楽店がシャッターを開けたのだろう、ぱたぱたと興奮したようすの蛾が飛び込んできた。
明瞭になった視界で、雅人の瞳に写った少年。その全貌は、確かにいたって普通のものに見えたが、彼の手のひらに支えられた札束だけが違って異質だった。
「んだ、これ」
「今持っているぶんで、出せるだけ出したんですが……足りなかったでしょうか」
話がいまいち噛み合わない。見れば見るほど少年には似合わない額の札束は水に揚げた蒟蒻のように揺れている。
「なんで…………そんな金持ってんだよ」
まさかこの周辺の怪しい店に入ろうとしていたのか、ヤミ金に手を出しでもしたのか、とか。そういう疑問を晴らすように、少年はにこりと笑う。
「このくらいのものは、いつも持っているんです。帰りのお金は差し引いているので、大丈夫ですよ」
「そんなん聞いてんじゃねぇよ………………帰りの金?」
「あ、電車とバスのです。だから、全部はやめろ、とあの人にも言ったんですが」
「あー、あのヤンキーにな……」
「困りますよね」
眉を少しだけ下げて今さらに冷や汗を流す。
雅人はもはや、この少年が平凡であるとは思わなかった。それならば、このまま、帰さずに話を聞き出してもいいのではないか? と、魅力的なアイディアが耳元にささやかれるようだった。むくむくと沸き上がってくるのは、貪欲な好奇心だろうか。
「待て」
「……え?」
「訳わかんねぇまま金だけ受け取れるか。俺はそんなもんよりお前の話が聞きたい」
雅人に差し出された手を押し返してやると、まさかそんなことをされるとは思っていなかったかのように目を瞬かせる少年。ダメか、とちらりと思ったが、どうやら単に驚いただけらしい。
「……わかりました」
「いいのかよ」
「断る理由もありませんから」
「じゃーウチ来い。そんなキレーじゃねぇけどな」
あっさり頷いた彼の、華奢で土に汚れた手をとって、雅人は歩き出した。
雅人についてくる少年が、道すがら何人かの人にぶつかっている。そのたびに丁寧に謝るので、雅人はその不器用さにゆるく笑った。今まで周りにいなかったタイプなだけに扱いは難しいが、慣れればどうということはないだろう。それに、そっちの方が面白い。面倒なことは嫌いなはずなのに、柔らかな厚みを感じながら、雅人は不快さなど全く感じていないのだった。
「そういえば、あなたのお名前は?」
雅人は、手を握られて後ろを歩く少年に振り返る。よくもまあ、素性も知らないすさんだ見た目の男にホイホイついてきたものだ。葵色の光彩が入った瞳に、雅人の姿が写る。
夜の街の門をくぐり抜けながら、雅人はしずかに自分の名を名乗った。
「きれいな名前ですね」
少年に言われると、なんだかおかしな気分だった。笑い出したいのとも違うし、怒りがわいてくるわけでもない。
遠く上の星のない空を見れば、そこにあるのは闇ではなく見慣れたいつもの夜空だとわかる。
そうして、常闇の街から、星々がまばらに咲く町へ。
深夜で客の少なそうなのを外から確認すると、雅人は修を呼び寄せて裏口を通った。
影浦家の店には個室はない。代わりに、二階の宴会場を貸しきることができた。修が狭い部屋ですねとかいってこなかったことは雅人にとっては幸いだった。
「まずは手当てだな……あとは……」
修野手や膝がところどころ汚れているのを見て、雅人は修に待っているようにと言いつける。修には必要ないと遠慮されたが、飲食店で血やら何やらを放置するなといってやれば引き下がった。
もともと真っ白だったのに、いまでは薄く黄色になった救急セットを持ち出して階段を上ると、大部屋の畳の上にいる修は正座をしていた。友人である村上が慕う、来馬も同じように正座していたのを思い出して、やはり育ちのいいお坊っちゃんなのか、と考える。それにしては、やけに俗世慣れしているような気もするが。
「おまえやっぱりボンボンなのか?」
「ボンボン……お金持ち、ってことですよね。いえ、えっと、家が金持ちであるわけではないです」
「へぇ?」
つい、疑うように見てしまう。そこはかとなくおかしな雰囲気を纏う少年の性格は、生まれもっての家柄から来るものではないと。
畳の上をスス、と歩くと、修の前に腰かけた。雅人の視線にも、通常運転の冷や汗を見せるだけで怯んではいない修を、再び面白い、と思った。
パカリ、救急セットを開けて、適当な医薬品を畳に放り出す。脱脂綿に消毒液を染み込ませる。包帯はさすがに要らないはずだ。
修の話を促すように、細かい怪我をした手のひらを引っ張る。
「手当て、ありがとうございます……ぼく、自分で」
「してやるっつってんだから、されとけ。それより話せよ。理由がいろいろあるんだろ」
雅人が傷ついた肌に軟膏を塗ってくれるのを見ながら、修は軽く微笑んでから話し出す。
「ぼくの、元家庭教師の男性が、多分、原因なんだと思います。さっき言った、友人の兄で……」
その声は、懐かしむようでもあり、寂しそうでもあった。
「麟児さん、というんですが、あの人は、家庭教師の仕事をするくらいにはかしこいひとで、本業のかたわら、株だとか、難しいお金の流通に関わっていました。……そのなかで、麟児さんはたびたび、『自分の稼いだ金は、けしてきれいなものだけじゃないから、修が使うなら、見えない形での投資にしてくれよ』と、……今思えば、闇金、とかそういうものにも関わっていたんでしょう。そのときぼくは、冗談だろうと思っていましたが」
「ヤバい奴だったのか」
「いいえ。本人は、優しくて物腰の柔らかい好青年だったと思います」
背負っていたものが薄暗かっただけか。
修にもその影響がうつっているのならば、この性格にも納得だ。
手当てする内に見えだした、少し昔のものらしい引き連れた腹の傷に直接は触れず、軽く包帯を巻き直した。
「麟児さんは、ぼくに大切な家や、莫大な財産や、株、その他にも利権だとか……価値のあるものをすべて譲って、突然どこかに消えてしまいました。
麟児さんしか家族のいない妹……ぼくの友人を、知り合いの男性に任せて」
「…そう、だろうなァ」
好青年だった、と過去形で語られる家庭教師の男の結末がどういうものかは、暗い世界を闊歩した経験のある雅人にはなんとなく察っせていた。
知り合いの男性というのは、木崎という男らしい。会ってみて信頼できる者のようだったから、修は友人である千佳を彼に預けた。
その後いろいろと調べてみるも、麟児に繋がる情報は、『そばかすの女と夜逃げしているのを見た』という信憑性の薄いものだけ。前兆はあったというのに引き留められなかったことを後悔する修は、ついに決心をする。
「……何を」
「麟児さんの残したものを、すべて、使いきろうと。きっと、ぼくにあれを遺していったのは、そうしてほしかったからじゃないかと、思うんです。それに、」
「……それに?」
「…ぼくは、そうしないと、ずっと後悔したままな気がするから」
貯めておくのでも、捨てるのでもなく、使いきる。あくまで、彼が言った通りにと、全て修は自身の母に説明した。法を破り稼がれたであろう大金の入ったスーツケースを前に、彼女は一言、
「私は旅行にいってくるから、あんたは好きにしなさい」
と言ったらしい。
「つえー母親だな」
「ぼくの、自慢の母です」
『可愛い子には旅をさせよ』、ならぬ、『可愛い子には家守らせろ』で、修の母香澄は出所のはっきりしない金を受け入れた。そして、修の名義の通帳からいくらかを引き出すと、麟児が預けた家の内装を思いきり変えた。具体的にいえば、数多くのトラップや頑強な仕組みを整えたのである。内部だけメカニックになった家の居間で、彼女は税金の話やらを修に聞かせ、一晩の内に海外で働く夫のもとに飛行機でとんだ。
「…………スゲェ母親だな……」
「そうですね……金があり余っているんだから改築くらい三時間で終わらせろなんて言っていましたし……」
豪快というかなんと言うか。母とはかくも強いものであったろうか。雅人の母もなかなか剛胆なところがあるが、それ以上の器に思える。
「ぼくも、父のもとに行くかどうかは聞かれました。その方がもしかしたら、麟児さんに近づけるかもしれないって。……でも、高校も入ったばかりですし、
………………もしかしたら、戻ってきてくれるかも、なんて。そんなこと、ありえないんですけどね」
「そりゃわかんねぇだろ?犯罪者だって犯行現場に戻ってくるっつーじゃねぇか」
かなりぎりぎりなセリフではあったが、雅人が茶化しても軽くいっているのでもなくただ、臨終の床に立ち会うような静かな表情で言うから、修は目元を歪ませながらも頷いた。こんな話を聞いても修を避けるということをしない雅人は、信用に値する人だと修のなかでの彼の位置付けはもう決まっていた。
「で? どうやって金ばらいてんだよ」
「……あの街のような繁華街、歓楽街に行って、つぶれそうなバーや事務所の借金を一部肩代わりしたり、カツアゲや詐欺の被害者に同額を補給したりですね」
後ろぐらい金なので正式に貸し借りしたり、金融機関に預けるわけにも行かない。かといって、募金なんてするのも違う気がする。そう考えた修は、影で泣いている人たちを助けることに決めたのだ。
「もちろん、悪質な店にお金を落とすなんて事はしてませんよ」
付け足して、微笑む修の手を、雅人はグッとつかんだ。
こいつと、自分のやりたいことは一致している。
そう確信しての、腹のそこから沸き上がるような喜びがそうさせた。修はといえば、完全に衝動に身を任せる形となった雅人に、驚いたようすで片手を預けている。乗り出した体を行き場なく固める雅人に、修がその翠の目で赤い目を覗きこんだ。
「影浦、さん?」
なにか言いたいことがあるんでしょう。そう、透かすような明晰な瞳で問われる。
「………俺は、俺ん家は、事情があって貧乏なんだ。だから俺が、何とかするためにカツアゲ狩りをしてる………べつに被害者から金ふんだくろうってんじゃねぇぞ。加害者からだ」
「それはわかります。影浦さんは、助けてくれましたから」
当然だというように、握られていない自由な方の掌を雅人のそれに添える。初対面でここまで人となりを知ってくれる人間というのはそうそういない。雅人の胸はむずむずと逸った。
「こんな見た目なので、ぼく、よく絡まれるんです。木崎さんに護身術は習っていますし、夏目さんの空手もあるんですけど、人を傷つけるのを、躊躇ってしまうので」
「………だから?」
修が、しっかりと視線を固定して話しかけるのに、雅人は自分がワクワクしているのを感じた。
こいつは今から何をいってくれるのだろう?
「影浦さん、ぼくと、契約してください」
唾を含んだ、息が漏れる。修の言葉は影浦が望んだものそのものだった。目的が違えど手段は同じ、雅人を利用しようというのだ、修という少年は!
「―――――ッ、ハハ」
畳の上にあぐらをかいたままの姿勢で、雅人は修の手のひらの上に額をくっつけた。修からは、雅人のつむじが見えているだろう。
それは、西の騎士がするような、けれどどこか獣特有の荒さの見える、服従のしるし。
「俺がお前を守ってやるよ。存分に要らんことに首突っ込め。俺が、全部片付けてやる。修、今からお前が、俺の雇い主だ」
「しっかりと、謝礼は払わせていただきます。どうか、ぼくのために、働いてくださいね」
無償で守ってもらおうなんて思ってすらいない、ギブアンドテイクだからこそ成り立った関係だ。利用できるものは存分に、その修のスタンスは雅人には好ましかった。頭の上でささやかれる契のことばに、雅人はうつむき加減のまま、歯を見せて笑った。
ポカンと一様に間抜けた顔を浮かべる学友たちに、雅人はガリガリ、首の後ろを掻いた。こういう反応が来るとはわかっていたのた。自分で話しておいて何だが、あまりにも非現実で、漫画じみている。
「へぇ~! そんなドラマみたいな話があるんだなぁ!」
「最近カゲが出掛けるのが多くなったってヒカリちゃんが言ってたけど、こういうことかぁ」
なるほどね、と頷く当真と北添は雅人の話を受け入れたようだ。村上も、話を聞いて一時停止していたヘラを再度動かし始める。次々と焼き上げられていく豚やイカのにおいが香ばしい。こんな非日常的な話ですら、学友たちのほほえましいような笑いで、すんなりと受けとめられていった。
「三雲くん、って言ったっけ? その子、この辺に住んでいるの?」
話を終えて、いろいろと聞きたそうにしていた女子二人は、穂刈や北添を巻き込んでうずうずしていた。今日は長くなりそうだ。
本人をつれてきた方がいっそ話が早いか? いやしかし、あの純朴な高校生を迂闊に引き入れると、犬飼や王子や隠岐辺りなんかは全力で絡みそうだ。それは困る。
そんな勘定をしつつ視線をうろつかせていると、ニコニコした北添と目があった。
「カゲ、その子の事大切にしてるんだねぇ」
「……ハぁ?」
「口に出てたぞ、全部」
「あっめえなぁカゲ! お前のそんな顔なかなか見れたもんじゃねーぜ? ま、面白い話に免じて写メ犬飼に送んのは勘弁してやるよ」
自分が修に甘い、とは。改めて考えてみて、それがすんなりと受け入れられることに面映ゆさを感じた。照れを隠すようにわめいてからお好み焼を貪るが、それすら友人たちにはお見通しのようで。
「いつか会わせてもらいたいな」
「そーだねー、うん、たのしみ~」
ガヤガヤと詰め込まれた熱気が、雅人の頬を撫でる。そろそろ、閉店の時間だ。
しどけなくビル郡にもたれ掛かる闇に、所処浮かぶネオンが蛍のようだった。
「蛍はねぇだろ、そんないいモンじゃねーよ」
「そうですか? きれいですよ。他の街と比べれば」
隣を歩く少年は、珍しくもふわふわと酔ったような笑みを一瞬だけ浮かべて、雅人を見る。
なにがいいものか、虚飾と黴の臭いが蔓延するこの裏町が。
そう言うつもりだったのに、雅人の口からこぼれたのはそれとは真逆の言葉だ。
「………ま、悪いもんでもねぇ、か………お前といれば」
「ふふ…嬉しいです。ぼくも、同じですよ」
それは、テレビ通話の画面で見せられたことのある、お綺麗な彼の母とそっくりな顔で。
――ウゼェ男がよってくんのも仕方ねぇんだよな、と、弾みをつけて、不埒な輩に横蹴りをした。
「ぐふ、っ!」
修の背を襲おうとしていた男は、横這いになって倒れる。気配に気づいていなかったらしい修がきょとりとしてから、その男に駆け寄って「大丈夫ですか?」なんて声をかけた。
「オイバカ、んなことしたら」
案の定、男は勢いよく起き上がり修に覆い被さる。
「ッハァ、はぁ、はあっ………なぁ、いーことしようぜぇ、きもちいーからさぁ」
「………やめてください。酔っているんですか」
そのまま男が修のシャツに手を入れようとしたとき、
「がっ……!」
雅人のかかとが男の脳天に直下した。雅人は呆れたように息をつく。よいしょ、と立上がってから、慰謝料のつもりか万札をぱらぱらと置いている修に、軽くチョップしてから、ズボンについた土を落としてやった。
「なンっでお前は抵抗しないんだ、え?」
倒す、とまではいかなくても、這い上がってくる嫌らしい手を撥ね付けることくらい普通はするだろう。凄む雅人に、修は全く脅えずににこりと笑う。
「雅人が、たすけてくれるんですよね?」
雇い主とボディーカードの身だ、遠慮などするなとさんざん言った結果の呼び名と、未だ残る敬語とのギャップ、確信的な問い。
「ったりまえだろうが!!」
それに、大声で返してから――満足そうに目を細めて、不機嫌さなど忘れてしまったかのように修の腕を引いた。
「雅人?」
「送る。もう遅いだろ」
最後にもう一回、容赦なくさきほどの酔っぱらいを蹴りあげる。
雅人が腕を引っ張っていくのを、修は止めようとはしなかった。
「……明日、休みですよ」
「だからなんだってんだよ」
「……………その」
修の手はかすかに震えている。つかんだ手首から、じわりと嫌な汗がにじみ出てくる。
「うち、寄っていきませんか」
少しだけ早口で言う修。彼は彼なりに、恐怖を感じてはいるのだろう。表にほぼ出ないだけで。自分より大きな男に押し倒されて体をまさぐられるなど、怖気が走る。
「あの家は落ち着かねぇんだけどなァ」
修の家はセキュリティが万全だ。防犯カメラなんていくらでもあるし、探せば赤外線のなんちゃらとかレーザー銃とかさえでてくる。べつに修に悪さを働くわけではないのだが――淫行、と呼ばれる年でもないし――見られていると言う事実が落ち着かなくさせるのだ。
「なら、ぼくの部屋に」
「………そういや入ったことねぇけど」
「あそこだけは、名にもないんです、仕掛け」
「…良いのかよ? んなとこに俺を……部外者をいれても?」
「……雅人は、部外者じゃないですよ」
修はそっぽを向いて、雅人に顔を見せないようにしながら、呟く。
「あなたはぼくのものでしょう?」
するりと繋がれた手のひらが、否応なしに熱を伝えた。
×××××
無差別カツアゲ狩り男と、それを従える眼鏡の少年の噂が裏路地界隈に広がる。それを聞いて黄色の目の獣の餌に少年を浚うととんでもないことになるぞ!
たまーに脚の長いリーゼントとか、銃弾も跳ね返しそうな大きな体ののんびりした熊さんとか、均整な筋肉の盛られた黒髪お祭り男と、帽子の俳優っぽいのとか、さらには金髪のヤバ気な眼をしたおにいさんや、その他もろもろが、くっついてくる。
修にお金目的で近づく女の子は王子様によって意識を剃らされ、男は今ちゃんや国近ちゃんほか女子により連れ出されたところを緑の侍が一刀両断だ!美人局かな?
そのうち高校にまでお迎えに来るようになるボディーカード雅人は最高にクール。18歳組なかよしかわいいね。
ちなみに30000円/時くらい。それでも有り余るお金である。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
1 / 1