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地下室
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ホテルの部屋へ帰り着き、アルバーニがフロントに預けていたアップルパイの箱を開ける。ネーヴェはその手付きをテーブルへ頬杖をついて眺めているが、頭の中を占めているのは別の事だ。
『食べるかい?』
そう問われ頷くと、アルバーニがホテルから借りたナイフを手に取った。サクッとパリパリのパイ生地に刃を立てて切り分ける。
『どうぞ。』
『うん。』
フォークを添えて差し出された皿を受け取り、そのまま手で掴む。あーん、と大口を開けてあの日の様に頬張った。ホールごと食べたいと思う程には、腹は減っていない。
『フォークを使ったらどうだい。それともまだ傷の痛みが強くて上手く食べれないなら、私が口へ入れてあげよう。』
アルバーニがネーヴェの座る椅子の隣へ立ち、腰を屈めて皿からフォークを取ろうとするのを制する。
『いいよ。こうやって食べる方が美味く感じるんだ。』
口元に付いたパイの欠片など気にしない。もぐもぐと咀嚼してりんごの甘味を味わう。
『口に付いてる。いい香りだ。』
近付く唇も、そこから覗く舌にも何も感じない。ねっとりと舐め取られても咀嚼を止めず、こくんと飲み込む。
『食べづらい。』
文句を言いながらも、食べかけのアップルパイを皿に戻してテーブルへ置くと、求められるままにくちづけに応えた。
監視カメラが廊下の天井から無機質に録画している中、初めて踏み入れた別荘の地下室は、オーソドックスな鍵で開ける仕組みの部屋だった。
照明を点け、菊嘉はその室内を懐かしい思いで眺める。天井まで続く壁一面の棚にはぎっしりと書類や本が並び、窓の無い空間を埋めている。中央に置かれた小さな木製の机には、本を読む為のアンティークなライトとペン立てがあった。
今でこそ、至る所でセキュリティ強化をしているモダンな別荘だが、菊嘉の幼い頃はもっと素朴な、本宅に比べれば小さく親しみやすい場所だった。
「まあ、変えたのは僕だけど。」
古い内装を変える事に雪は反対しなかったが、その胸の内は分からない。兄に至っては、細かい事にはこだわらない質なので口を挟まないし、文句すらなさそうだった。
「で、ヒントはどれだ。」
ざっと本やファイルのタイトルを見回す。その中で、目に止まったのは英語でrainyと書かれたファイルだった。
「雨…?」
手に取り立ったまま中を見れば、自分が書いたのではと思う程に似た筆跡だ。レイニーという名の猫は妊娠していて、約二ヶ月分の体温や体調の変化のデータが細かく記されている。
そして、何故か二人の人間のデータまで載っていたが、明らかに血液データがおかしい。しかも、そのうちの一人は菊嘉も良く知る者だ。急に胸が激しく脈打つ。
「は?…なんだよ、これ。ベルーガと…樹雨。」
二人は親子だから当然とも言えるが似た血液を有し、人間とは思えない数値を示している。得体の知れない畏怖、未知への興味。通常であれば、この異常な記録を信じずに直ぐ閉じたかもしれない。しかし、彼は学者としての好奇心が勝った。
興奮する気持ちを抑えて机に移動し、ライトを点ける。ページをめくり、ざっと目を通していく。内容は樹雨の成長日記のようであり、随所にレイニーの名前が出てくる。主に子守をしているのはレイニーで、記録によれば樹雨は人の赤ちゃんとは思えない育ち方をしている。疑問が募り、レイニーのデータを読み返せば、体外受精で遺伝子操作した子供を産んでいて、それを仕組み、実験したのは勿論菊善だ。
「樹雨は…レイニーとベルーガの掛け合わせという事か!!なんだよこれ…。そもそも、何の為にこんな事を。」
続くページにはベルーガの衰弱死の様子、そして信じ難い事に再生までの経緯が綴られている。しかも、樹雨の血を輸血した事が再生への手助けになっている。
「…この衰弱の様子、まるで最近の秋吉じゃないか。食べ物のアレルギーも同じ。死ぬと狼の姿に還るって何の事だ?」
下唇をたわませて考える。夢中で読むうちに、途中のページから写真が滑り落ちた。この別荘を背景に並んで写る三人は、左から随分と痩せた姿の菊善、幼い頃の樹雨、長い白髪を下ろしサングラスをかけた雪。猫の姿は無い。
「ふうん…、僕は写ってないのか。」
写真の右下には日付があるが、菊嘉は三歳になっている筈だ。何故、この家族写真とも言える一枚に居ないのか。疑問は残るが、まだ資料は半ばだ。はやる気持ちを抑え、記録の続きに戻った。
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